所蔵史料紹介

創立者中村春二関係

-刊行物-

『旅ころも』中村枯林(春二)著

表紙 大下藤次郎 画(色刷)1907(明治40)年8月 晴光館書店刊 四六版 319頁

中村春二は高師付属中学時代、恩師より登山・旅行の手解きを受けました。本書は、主に一高・帝大の学生時代、当時都会人には未踏であった山野に、すすんで挑んだ折の数かずの紀行文(33篇)を収録したものです。平明ながら力感溢れる美しい短文で綴られております。
「一、赤城山」に始まり、「三三、白梅の精」に終わる33箇所の行脚の地は、男体山、房州、松島、富士の周辺などにおよび、読み終えたとき、山野の自然の姿や、旅先で邂逅した人びとの面影が彷彿とし、山の旅へと誘われます。
1921(大正10)年7月、装丁を変え、「代謄版」として学園出版部より再版されました。また、その1冊(記念室に展示)を娘篤子に贈り、遊紙にペン書きで次のように書いております。

あつ子さん
十五六ねんまえ だしたものを  またすこしばかりそのまますりました。
ひまのとき をよみくださればとさしあげます。
はるじ(後略、原文のまま)

その後、中村春二は3年を経ずして亡くなりました。(学園史料館)

『斯の道の為めに』

本書(菊版・522頁)は、1923(大正12)年2月、学園出版部より発行された著書です。
巻頭に「謹んで此書を岩崎小禰太今村繁三兩兄に捧ぐ」と献呈の言葉があります。
1912年より1922年まで、学園発行の諸雑誌に発表された感想文などのなかから、自身で選んだもので、遺稿中最も重要な著書とされております。
本文は年代順にまとめられ、乃木大将の死についての感慨を記された「不言の化」にはじまり、99篇もの所感、論説が集成され、1922年の「麓の道」で結ばれております。
教育上の論説などでしめられるなか、1920年の章に、「湘南即興(寫音假名遣を用ゆ)」と題し、15篇の詩を掲げてあります。逗子の浜辺に静養中詠んだもので、ばあやと二人暮しの安寧で孤独な心境がつたわってまいります。
中村春二記念室には保存されております本書(写真)は、小口の面の不揃いからみて、アンカット本であったと窺われ、頁の染みは回数を重ねて読まれた証と察せられます。(学園史料館)

中村春二・秋香文庫

中村秋香 先生

成蹊学園創設者中村春二(1877~1924)旧蔵の国文学関係和書1474冊。厳父国文学者秋香(1841~1910)の和漢蔵書478冊からなっています。
ここでは、国文学者としての中村秋香について少し触れてみます。

国学者山梨稲川を祖父とし、自身は国文学者として名をなし多数の著作物がある。特に、明治期の詩歌に新風を送り『新体詩論』を表し、「押韻を捨てて風調と語格とに心すべし」と論じ、和歌においては「既成観念にとらわれず、心に感ずるところを詠み天真の声をよろこび、感ずるところを自在に歌いあげるよう期すべし」と『新説歌かたり』では述べている。1897(明治30)年には、宮内省御歌所寄人を仰せつかり以来毎月の兼題を詠進された。また、国文註釈においては『落窪物語評解大成』を1901年に刊行。後に改題して『落窪物語大成』として成蹊学園出版部より1923(大正12)年に再版されている。
(近代文学研究叢書第十一巻「中村秋香」より抜粋)

中村秋香の蔵書は、1926(昭和元)年に、春二の蔵書は戦後中村家より学園に寄付され、「中村文庫」として長い間大学図書館で利用・保管されてきました。現在は遺品・遺墨・自筆原稿等と共に学園史料館において大切に保管されています。(学園史料館)

『なかむら せんせい』(菊判・75頁)

執行助太郎編

本書は、中村の一周忌後の1925(大正14)年8月に「かながき ひろめ かい」より発行されたもので、当時成蹊小学校訓導であった執行助太郎氏他二氏による中村の偉業を偲ぶ追悼書であります。
はしがきを執行助太郎氏が記し、「私が平素感じていることを卒直にいってしまえば、一、先生わ傳統的に信じないで、體驗的に信ずる人でした。」(後略、原文のまま)を含む十項目(改革案、信念の人、見識、多方的、平等観など)を列挙し、それぞれに実例を示しながら教育家中村春二のひととなりを見事に分析し語られてあります。
章を変え、片山禮方氏の「なかむら せんせいと その しごと」(かながき文)ならびに岩田仁平氏の「成蹊小學校の十二ヶ月」を転載し、巻末を先生の五行詩提唱文と自選の作で結んでおります。
表紙は息子である正氏が小学校時代に画かれた中村の似顔絵を藍色で刷り、書中より醸しだされる中村春二像にも、綴じ込みの肖像のうつしえにも重なり、追想の書そのものであります。(学園史料館)

『志のぶぐさ』

成蹊高等女學校編

本書(四六判・236頁)は、1923(大正12)年7月、成蹊學園出版部より発行されたもので、「序文」のなかで中村は、次のように記しております。

なつかしい 過去の世をまざまざと
現在にからませたこのしのぶ草

しのぶ草は成蹊女學校創立の際入學を許された一二年生が卒業する迄の間の種々の行事の記録であります。
過去をそのまゝ過去として大きな時の流れに一からげに一掃させてしまうのわ何だか勿體ない様な氣がします。(中略)
過去のくさぐさを再び現實に持ち来るところに私たちの短い人生がそれだけ延長されるような氣がします。そしてその追憶が又極めて樂しいものでありますからこの延長わ誠に悦ばしい嬉しいものといわねばなりませぬ。(中略)私わこれらの教え子の過去の幸であつたと同じように將来も幸であるようにと祈つて居ります。

大正十二年六月二十八日
成蹊學園 中村春二(学園史料館)

『中村春二歌集 椎の一もと』

中村春二遺稿刊行會 昭和3年

道のべの椎の一もと葉かげなほ
まばらなれども椎のひと本    春二


中村春二の詠歌は年代による変化も見られ、教育者として道歌的な歌も詠んでいますが、中村本来の抒情豊かな詠歌、清らかな心境による叙情歌など、その幅も広く、大正末年から五行詩に転ぜられてすぐれた作を多く残しております。
中村は絵画にも秀でており、本書の中にも挿入されており、筆蹟と絵とに先生の高雅な好もしい人となりが偲ばれます。
先生の詩歌は、短歌171首、口語詩30首、五行詩66首、他に長歌5首、俳句28首であります。また、本書の装幀は息子の秋一氏、表紙および扉文字は一番末の小学校3年生の文雄氏によってなされております。

わが膝のもとにおきてぞ育てまし
めぐしわが子はわがうみにしを
(学園史料館)

  • 成蹊学園 史料館
  • 〒180-8633
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  • 開館時間:月曜日~金曜日 9:30~16:30
  • 閉館日:土曜日・日曜日・祝日・学園の定める休業日

※各学校の行事の開催に合わせ、特別開館も行っています。日程につきましては開館カレンダーをご参照ください。