成蹊学園インフォメーション

日本経済新聞シリーズ企画 教育鼎談 第4回 成蹊教育の「真価」と「進化」 100年の伝統を礎に、第二世紀への新たな挑戦

橋本 竹夫 学校法人成蹊学園 学園長

上原 明 大正製薬ホールディングス株式会社代表取締役社長 成蹊学園理事

Part3 成蹊教育の真価を、次の100年へ。

成蹊学園は創立100周年を期に、第二世紀へ向けてスタートし、新しい学園運営体制を整え、時代の要請にあった教育改革を実行しています。
100年間の成蹊学園の歴史を振り返り、これからの成蹊学園を考えるにあたって、極めて重要で貴重で文献があります。
それは今から100年ほど前、成蹊学園創立者の中村春二が書き記した「教育図解」という十二枚の図付の文書であり、自身の教育哲学をわかりやすく説明するために残したものです。「教育図解」を紐解くことで、成蹊教育の原点、真の価値、そして建学の精神を尊重した改革への道筋が明らかになります。

「コップの中をみよ」は、成蹊教育の根本となる、教師と生徒の関係、本来教師が成すべきことを明確に表したものです。教師が生徒の個性を尊重し、一人ひとりに適した接し方を実践していくことの大切さを表しています。

「コップの中をみよ」

教師は生徒の個性を凝視し、その神性を開くことに専念すべし。

口の大きなコップ(生徒)は、水(教育)を入れることはたやすいが、こぼれやすい。口の小さなコップは、水を入れるのに時間はかかるが、こぼれにくい。大小さまざまあるコップ七、八十個や五十個に一人で水をつごうとすると、コップの大きさにより注ぎ方をかえることができない。(現代語訳)

ここでの七、八十は当時の小学校、五十は中学校の学級定員数であり、春二は早くから「少人数制による個性尊重の教育」の必要性を唱えていました。同時に、教える者の目は金や名誉や権力ではなく、常に生徒一人ひとりの個性を見つめ、その心の門を開くことに向けられるべきである、と説いています。
春二は、教育の要諦は自我の開発ではなく「真我」の開発にある、という信念を持っていました。自己中心ではなく、人のため、世の中のために尽くそうという、心の奥底にある尊い心。そうした「真我」を求める熱意と自己向上の精神を、春二はまず教師に要求していたのです。

成蹊学園では、教師と生徒の心が共鳴し、生徒の心が開かれていくことこそが生徒の成長を後押しするとし、強い師弟関係を成蹊教育の基礎としています。それは教師と生徒が、心を通じ合わせることによって初めて、教育の効果が発揮されるという考え方に基づいているからです。

教師と生徒の心の共鳴があることで、教育の効果が十分に発揮される。

赤い丸が本心(真我=我々の心の奥底にある尊い心)である。
A図-赤丸と赤丸が繋がっていないでとぎれている。つまり教師は教育を生活の方便としており、その心を生徒に通じさせようとする努力をしていない。生徒も外界の刺激や誘惑に左右されている。これでは真の教育は出来ない。
B図-教師側は教育に対する自覚があり、教育の為に尽くそうと努力はしていても、生徒側がA図と同じように外界の刺激や誘惑に左右され、それを受け入れる体制が整っていない為、教師の熱誠も生徒に感化を与えることが出来ない。
C図-教師、生徒の本心が通じ合っている。外界の刺激や誘惑は教師の熱誠によって生徒に悪影響を及ぼしていない為に教育の効果は充分に発揮されている。師弟の心の共鳴による本心(真我=我々の心の奥底にある尊い心)の開発である。
真我とは簡単に言えば「我々の心の中にある尊い心」、人間の持つ根源的なエネルギー、生命力の源泉という意味であり、真我を開発とはその力の発揮ということである。(現代語訳)

教師は、教育者としての自覚と深い愛情を持って、生徒と接することによって、心を触れ合わせ、心を開くことができます。これこそが、成蹊教育の真価であることから、教師が情熱を持って接することのできる生徒の数、教師と生徒の距離は非常に重要な要素になります。また、画一的でない、自由な教育のあり方がなければ、成蹊教育の真価を発揮することはできません。

教師と生徒の心が共鳴する、心の教育こそが、もっとも重要である。

今の教育は主に視覚、聴覚によって行われている。従って教科書や教授法が最も重要とされる。しかしながら教育というものは耳目によって行われるものではなく、最も大切なのは師弟の心の共鳴である。教科書や教授法の研究も悪くはないが師弟の心の一致を根本として考えないといけない。この意味においても生徒の定員減少は最大の問題であると思う。(現代語訳)

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