SEIKEI
成蹊学園 成蹊大学 成蹊中学校・高等学校 成蹊小学校
成蹊教育のいま
ホームに戻る
第4回 国語科教育
ことばと格闘中
成蹊小学校教諭 木下 ひさし(きのした・ひさし)  
プロフィール
東京学芸大学、同大学院修了。1989年より現職。 著作に『読み合う教室へ』『ことば遊びの王様』 『国語科授業用語の手引き(共編)』『国語教室 宣言(共編)』『子どもたちのことば探検(共 編)』など。小中学校国語科教科書編集委員。日 本文学協会、日本作文の会、日本児童文学学会、 日本国語教育学会等に所属。
成蹊との出会い

「成蹊」と出会った3冊の本

 卒業論文を書かなくては、でも何を書こうかと 迷っていた学生時代の後半ころ、ひとつの方向性 を示してくれた本があります。滑川道夫著『映像 時代の読書と教育』という新書版の小さな本です。 滑川氏の膨大な著作群のなかではさほど注目され てはいませんが、私にとっては忘れられない本で す。ことばの教育ってなんだか面白そうだぞと思 わせてくれたのです。 
 卒業後、四年間の小学校現場経験を経て大学 院に進みまし た。国語科教 育専攻でした。 そこで国語科 教育史の基本 的な文献とし て示されたのが、飛田多喜雄著『国語教育方法論 史』でした。国語科教育の歴史は単なる読み書き の歴史ではないことを知らされました。 
 そして、子どものことばの教育を自分の研究 課題としたとき、研究室の薄暗い書架で基礎資料 として見つけたのが、西原慶一著『日本児童文章 史』でした。
  この三冊の著者の経歴を見て驚きました。三氏 とも成蹊小学校という小学校の教師をしていたの です…。
  これが私と成蹊小学校との「出会い」でした。 国語科教育史に大きな足跡を残す三氏が勤めてい たという学校、いったいどんな学校なんだろうと 当時は思ったものでした。ちなみに、後から知っ たのですが、一九三九年から一九四一年までの三 年間はこの三先生は同時に成蹊小学校で学級担任 をしておられたのでした。
伝統に連なりつつ
 その学校に今自分がこうして在職しているとは なんとも不思議な縁を感じます。この三先生をは じめとする諸先輩から続く「成蹊」の伝統を担っ ていかなければならない責任も感じます。 ただ、伝統といってもそれは昔ながらの材料で 昔ながらの授業を行うということではないでしょう。 それは、目先の流行やら社会状況に左右されず、子 どもにとって大切なことは何かという本来の教育の あり方を今日的に追究し実践していく姿勢だろうと 勝手ながら考えています。
古くて新しきもの
 本稿が目にとまるときには新しい学習指導要領 が告示されているはずです。その要領の国語科編 の編纂過程で強調されてきたのが「PISA型読 解力」というものです。詳しい説明は省きますが、 簡単にいってしまうと、映像やら図表といった多様 なテキストを読解し表現していく力です。一部では 今日的で新しい考え方のようにとらえられました が、滑川先生の先の著作には同様の内容が書かれ ているのです。ことの本質は変わっていないという ことでしょうか。 
理科フィールドワーク 秩父・長瀞にて
 『思考と行動における言語』(S・I・ハヤカワ 著、大久保忠利訳)という本があります。「一般意 味論」という理論の解説書として半世紀以上も前 に書かれたものですが、そこで示される内容は十 分に現代の国語教育、つまり言語の教育に生かせ るものです。いや、IT時代と呼ばれる現代にこそ 生かさなければならない言語論なのです。 このように、新しいようで古い、古いようで新し いのが国語科、すなわち「ことば」の教育です。先 の読解力養成といった現代社会からの要請という今 日的な課題にも対応しなければなりません。その一 方で、ことばが人間形成に深くかかわることを考え れば、言語操作の教育のみで国語科教育を終わらせ てはなりません。 こういう現代だ からこそ例えば 優れた文学作品 の持つ教育的な 力も考えていき たいのです。 
 と、日々「こ とば」と格闘し ています。でも、 ことばは友だち です。

ページTOPへ戻る