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第14回 日本の中近世移行期研究
自ら赴き、歴史の痕跡を探し、感じる
成蹊大学文学部国際文化学科教授 池上 裕子(いけがみ・ひろこ)
プロフィール
新潟県佐渡に生まれる。一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得。1991年より成蹊大学文学部に着任。過去・現在に神奈川県・新潟県・小田原市・八王子市・町田市等の文化財保護審議会委員を務める。『戦国時代社会構造の研究』(校倉書房、1999年。成蹊大学より出版助成を受ける)で2000年に角川源義賞を受賞。楽しみはカメ(亀)グッズを集めること。
中世とはどんな時代か、さまざまな面から考える

わたしは日本史を専攻していまして、今はおもに三つのことに取り組んでいます。
一つ目は、大学院に入って以来の研究テーマである戦国時代の研究です。このごろは少し時期を広げて、十五世紀の後半から、江戸時代前期にあたる十七世紀までを対象に考えています。戦国大名が活躍し、統一政権ができたこの時代は、日本の社会全体の大きな転換期に位置しているとともに、中世から近世への移行期に位置していると考えられています。
そこで、この時代に何がどう変化したのか、中世から近世への移行はどのように行われたのか、そもそも中世とはどんな時代なのか、古代や近世とどう違うのか、そんな問題を考える必要があります。そのためには、さまざまな側面からの検討が必要になります。その一つに、支配者の政策、たとえば武士(領主)をどのように編成したか、その経済基盤をどう保障したか、農村・農民、都市・町人をどのように支配したか等の検討があります。戦争の時代でしたから、そのトータルを軍事力としてとらえることもできます。
もう一つは、支配される側の農民や町人がどのような社会をつくり、どのように生活・生産・経済活動を営んでいたか、自治組織が発達した時代ですから、自治や自立性の実態はどのようであったかの検討です。高校の日本史教科書にはその両方が一応は書かれていますから、もうみんなわかっているのではないかと思われるかもしれませんが、そうではないのです。とくに、後者の民衆のことはわからないことが多いですし、民衆の側に視点をおいて支配者の政策をみると、これまでの評価や意味づけを変える必要があると思われるところも出てきます。

写真1:中世の多摩川渡河点近くにあった関戸宿 の跡(東京都多摩市)に鎮座する熊野神社   
写真2:中世、特に13〜15世紀に関東地方で多くつくられた板碑(板石塔婆ともいう。石でつくった供養塔)。文字資料が少ない関東地方では貴重な歴史研究資料
地域を歴史的視点でとらえる楽しみ

二つ目の取り組みは、自分が住んでいる地域の研究です。わたしが住む横浜市の北端のあたりはかつて武蔵国都筑郡、隣の川崎市のあたりは橘樹郡といいました。この二つの郡の範囲は現在の暮らしの中でも近い関係にありますし、戦国時代には小田原に本城があった戦国大名北条氏が小机城という支城をおいて支配した小机領の範囲に入ります。そこで最近、地元の歴史好きの人たち十人ほどで都筑・橘樹勉強会という集まりをつくって勉強をはじめました。研究発表のほかに、明治期と今の地図を手に一日中歩いて、寺社や墓地や村の様子などをみて回ります。そのとき写真2のような板碑に出会えると、みんな興奮してしまいます(ただし、写真1・2は一つ目の取り組みのために歩いたときのものです)。
三つ目の取り組みは、東京の多摩地方にある市の市史編纂に昨年から携わるようになったことです。ここでも土曜・日曜に市域を歩いて過去の人びとの暮らしの痕跡を探し感じることと、資料を調べることに取り組んでいます。
以上の三つでこのごろ特に心がけていることは現地に行くこと、歩くことといえます。


写真3:地元の人びとの信仰を集め続けている石仏。都市化が進んだ横浜市でも、こんな場面に出会います。

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