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第19回 日本文学
『方丈記』から考える、現代人の幸福
成蹊大学文学部教授 浅見 和彦(あさみ かずひこ)
プロフィール
専門は日本文学、地域文化論、環境日本学。『方丈記』800年祭準備委員長。NHKカルチャー、朝日カルチャーセンターなどの講師も務める。著書に『壊れゆく景観』(共著、慶應義塾大学出版会)、『方丈記』(ちくま学芸文庫)、『東国文学史序説』(岩波書店)など。
歴史は繰り返す――『方丈記』より
 昨年三月十一日、私はちょうど学内にいた。あまりの巨大な揺れに驚き、あわてて中庭に避難した。
十二階建ての大学一〇号館はコンニャクのようにたわみ、しなり、今にも折れそうだった。足元の大地は左右に激しく揺れ動き、とても立っていられる状態ではない。中にはその場に座りこんでいる人もいた。ふだん見せることのない自然の威力をまざまざと見せつけられた感じだった。
鎌倉時代初めのころ、『方丈記』の作者、鴨長明も京都で巨大地震を体験した。マグニチュード七・四、震源は琵琶湖北辺、直下型に近い地震であった。平安京の建物という建物は倒壊、あるいは損壊して、もうもうとほこりが舞い上がったらしい。
地の動き、家のやぶるる(= 壊れる)音、雷にことならず。
(『方丈記』)
大地の揺れる音、家が壊れていく音を、鴨長明ははっきりと耳にした。
(『方丈記』)
という長明の感想は全くその通りであるといってよい。
 長明が体験したのは地震だけではなかった。京都市街の三分の一を焼き払った大火、中心街を吹きぬけていった巨大竜巻、四万人の餓死者を出した大飢饉。世はまさに末世、この世の終わりを予感させるような出来事が次々と起こったのだった。しかも、そのころは源氏と平家の大争乱期、各地で激しい戦闘がくり返されていた。人々は不安におののき、逃げまどった。そんな世相を思うと、何か現代の日本と重なって見えてくるから、不思議な気がする。地震に追われ、原発に追われ、やはり歴史というものは間違いなく繰り返してくるものなのだと思う。被害を蒙こうむるのはいつも弱者なのだ。長明はこう思った。「都会地は危ない」「人口の密集する都の中は危険だ」後年、出家した長明は京都郊外の日野( 京都市伏見区)に小さな草庵を建てて、そこに退隠した。広さはわずかに方丈(約三メートル四方)、五畳ほどの空間である。狭くて、お義理にも立派な家とはいえないが、長明は満足していた。
元暦2(1185)年7月9日の大地震の様子 『鴨長明方丈記之抄』[明暦4(1658)年刊](成蹊大学図書館蔵)
ほど狭しといへども、夜臥す床あり。昼居る座あり。一身を宿すに不足なし。
(『方丈記』)
狭い部屋だといっても、夜寝る所もある、昼居る所もある。我が身、一身で住まうにはこれで十分だというのである。
ぜいたくは要いらない。余分なものは要らない。必要最低限の広さと物があれば、それで十分ではないか。方丈の庵はそんな長明の考え方をきわめて簡明に具現したものといえよう。濁富より清貧。ここには“貧の思想”が流れている。
ずっと日本は右肩上がりの成長で発展してきた。「大きいことはいいことだ」「速いことはいいことだ」という考え方で日本はぐんぐん伸びてきた。だが今や伸び過ぎた。インターネットや携帯電話で囲まれた現代人の生活は本当に今、幸福なのだろうか。鴨長明が『方丈記』を書き上げたのが、一二一二年。
今年はその八〇〇年目にあたる。それを記念して東京、京都などで講演会、展覧会が開かれる。これを機会に『方丈記』にふれていただければと思う。
浅見教授外部講演・ 展覧会のお知らせ
●5月19日(土)
講演とシンポジウム「不安の時代をどう生きるか
―鴨長明と『方丈記』の世界―」
山折哲雄氏、馬場あき子氏ほか
於:イイノホール(千代田区)
●5月25日(金)〜6月23日(土)
特別展覧会「鴨長明とその時代」
於:国文学研究資料館(立川市)
※いずれも入場無料。詳しくは国文学研究資料館のウェブページをご覧ください。