観測所の歴史
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1906
中村春ニ氏(1877-1924)により,成蹊園が開学する.開学当初は小さな私塾に近いものであった.その後の21年間で,小学校,高等学校,女学校および実務学校を含む学園へと徐々に発展した.l
1925
高校が7年制の旧制高等学校となった.加藤藤吉氏( 1887-1972)が,東京府立第五高等学校から赴任した.加藤氏は生徒と伴に気象観測を開始
左:旧理化館南側にあった旧露場
右:加藤藤吉氏(昭和38年頃).どんぐりに似
ているので「エーコン」というニックネームだっ
た.
1926
加藤藤吉氏が,気象観測法に準拠した正式観測を開始した.これが現在の成蹊気象観測所の前身である.当時の観測は午前10時に行われた.最初の年間データ集「気象観測報告」を発刊.
1936
最初の「10ヵ年観測報告」を発行した.
1942
当時の東京管区気象台(TMO)より,「吉祥寺観測所」の名称で補助観測所の指定を受ける.以降,旬報を報告.
1953
観測時間が,午前9時となる.
1959
加藤藤吉氏退職.成蹊気象観測所を設立し,以降所長となる.
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左:昭和38年当時の露場.中学校舎の前に設置されていた
右:現在の露場.特別棟前へ移転

1963
成蹊高等学校新校舎の完成を期に,東京タワーと富士山の視程観測を開始する.
1968
加藤氏が高齢となられたため,大後 美保博士(  -2000)が所長となる.
1972
加藤藤吉氏逝去.
1976
成蹊高等学校地学科・内田 信夫氏が所長となる.気象庁AMeDASの展開に伴い,「吉祥寺観測所」の業務が終了.
1982
「気象観測報告」が逐次刊行物番号 ISSN 0388-3515 を取得.
1983
成蹊高等学校地学科・倉茂 好匡氏が所長となる.
1992
酸性雨観測を開始.
1998
自動気象観測装置(OTAC-2000 Weather Computer System :大田計器製作所製)の記録を正式観測記録として運用開始.
2000
成蹊気象観測所ホームページ運用開始.
2002
降水の電気伝導度測定開始.
インターネットで観測データのリアルタイム公開開始