学科・大学院

在学生・修了生メッセージ
【博士後期課程】

小宮山 真美子
(英米文学専攻 博士後期課程満期退学 国立長野高等専門学校准教授)

学部卒業後、博士課程前期の2年間を終え、しばらく会社員をした後に博士課程後期に戻り4年間在籍しました。この6年間で印象に残っているのは、修士論文を初めて英語で書いた経験です。テクストや論文、批評書から引用を書き写したカードを何十枚も作り、それらをグループ分けして章立てを考え、論を組み立ててゆく作業は、頭の中でごちゃまぜになった思考をクリアに仕分けてゆく作業でした。そしてテクストという平面から、論文としてひとつの世界を立ちあがらせることは、ある種の快感を与えてくれたように思えます。しかしいざ書き始めると英語のテンポに乗り切れず、毎日のように指導教官の下河辺先生の研究室に詰めて、序章を真っ赤になるくらい添削していただきました(その時の手書きの原稿は今でも私の原点として取ってあります)。そのようにして「英語のリズムで考え、英語で書く」感覚を掴めたことは、後に英語論文を書くときにも生かされています。

博士後期課程に進んだ後は、文学研究科の紀要『人文研究』に毎年一本その年に読んだ作品に関する論文を出してゆきました。また学会の全国大会のデビューをしたのもこの頃です。不安と緊張の高まるなか発表を終えると、大勢の方に自分の論を聴いてもらえた喜びに加え、ご著書でお名前を拝見してきた先生方からコメントを頂けたりして、ずっと感動で打ち震えていたことを覚えています。

現在は高専(高校3年+短大2年の5年教育)で理工系を専門とする学生さんたちに英語を教えています。毎日の授業以外に校務やもろもろの業務が次から次へと降ってきて、その隙間に研究を割り込ませているという感じです。大学院時代のように朝まで研究室にこもって、好きなだけテクストに没頭するという贅沢はできなくなりました。そんな私の心の支えは、同じ研究室で苦楽を共にした仲間たちと、今でも学会や研究会などで情報交換をしながら語り合う時間です。

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高瀬 祐子
(英米文学専攻 博士後期課程 満期退学 静岡大学情報センター特任助教)

1冊の文学作品から社会が見えた瞬間のぞくぞくするような感覚、私が研究から離れられないのは、この感覚が忘れられないからだと思います。卒業論文を提出した後、1つの作品に集中してのめり込むおもしろさに目覚め、もう少し続けたいと思い大学院進学を決めました。博士前期課程では日々の授業をこなしながら修士論文という大きな目標に向かっていきます。研究室には自分の机や本棚があり、同じフロアには先輩や同級生がいて、専門分野の垣根を越えて仲間と語り合うことはとても勉強になりました。また、修士論文を書く際も、一緒にがんばる友人が近くにいることは励みになると思います。

修了後、私はいったん大学院から離れて地元の高校で非常勤講師として働いていましたが、半年を過ぎた頃、大学院で勉強していた時の情景が思い浮かぶようになり、研究のために贅沢に時間を使えたあの頃を懐かしく思うようになりました。授業料や仕事のことなどいろいろ悩みましたが、やりたいことがあるなら今やろうと思い復学を決意しました。現在も高校で非常勤講師として働きながら博士後期課程で研究を続けています。仕事と研究の両立は大変ですが、充実した時間を過ごしています。

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松元 真由(旧姓 島田)
(英米文学専攻 博士後期課程満期退学 区教育委員会非常勤職員)

私は大学院に7年間在籍していました。言語と思考の関係に関心を持ち、博士前期課程では言語習得論、博士後期課程では語彙意味論を中心に、少人数を対象としたきめ細かい指導を受けながら存分に学びを深めることができました。専攻ごとに個室が準備されており一人ひとりに割り当てられたデスクもあるほか、専攻を超えて皆が集まれる憩いの場所がありました。PC機器なども自由に使える状態に整備されているなど、恵まれた環境で研究をさせていただけたと思います。

研究テーマにとことん向き合い、一日中そして一年中、英語で論文を読み書き討議した日々は、濃く深く貴重なものでした。研究は地道な作業と考察の繰り返しです。緻密に論文を読み込み、仮説を立て、検証を繰り返します。論文を書き進めていても、矛盾やほころびが一つでも見つかれば、ゼロから検証をし直す必要があります。自分の好きなこととはいえ辛いと思ったことは幾度もありましたが、丁寧にご指導くださる教授陣、同じ思いをもち研究をしている同僚、落ち着いて研究に打ち込める環境に恵まれ、充実した日々を過ごすことができました。

現在は、区の教育委員会で非常勤職員として働いています。5年間は区立小学校の外国語活動の実践に際し、学校の先生方に指導助言を行うアドバイザーとして関わらせていただきました。5年を過ぎてから現在までは、庶務的な業務を主に行っています。大学院では言語理論を中心に研究していたこともあり、研究内容がすぐにそのままの形で役に立つというわけではありませんでした。実践または社会勉強という意味では、職場で学んだことは数多くあります。
それでも大学院での日々に大きな意味があったと確信するのは、試行錯誤の日々を通して、ささやかでも一つ一つの事実を地道に積み上げていくことがいかに大切で本質的なことかを肌で感じることができたから、そしてその訓練を大学院で十分積むことができたからだと感じています。自分の関心を誰に止められることなく広げ深めていけた経験に感謝しながら、これからも知に触れ、考え、新しい日々を切り開いていこうと思います。

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西内 友美
(日本文学専攻 博士後期課程満期退学 出版社勤務)

現在、文学通信という日本文学・日本語・周辺領域の書籍を刊行している出版社で働いています。主に研究論文をまとめた研究書、日本文学科の学生さんやカルチャースクールで使われる教科書、日本文学の魅力を広く紹介する一般書などを刊行しています。小さい出版社ということもあり、大きな出版社のように分業ではなく、編集・営業・組版・装丁・デザイン・取材など、何でも自分でしています。大学院には、卒業論文を書く際に読んだ先生の研究書に憧れて進みました。研究書はひたすら難しいものだと思っていましたが、自分の知らない世界を、整然と静かな熱量を持って教えてくれる文章はとてもおもしろくて、イメージが一変しました。大学院では学部に比べて、より専門的な授業や論文指導を受けることができ、研究会などを通して人脈を得る機会も増えます。なにより、「調べる」「伝える」ことだけを目的に試行錯誤する時間を過ごせたことは、とても貴重でした。在学中に書籍編集のお手伝いをする機会があり、研究成果と社会を繋ぐことにやりがいを感じて、作る側となり今に至ります。人文科学研究はすぐに社会の役に立つものではありませんが、多様な分野の知の蓄積がなければ、健全な社会の均衡は保てません。これからも研究の価値や魅力をどのように紹介していくのか、考え続けていきたいと思っています。

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石堂 彰彦
(社会文化論専攻 博士後期課程修了 大学非常勤講師)

私は社会人を経て大学院に入学しました。オッサン院生でしたが、同じ専攻には私より年輩の方、アジアからの留学生など多様な院生がおり、さらに他の専攻・研究科の院生とも交流があって、さまざまな知的刺激を受けつつ、院での研究生活を送りました。何人かの方とは交流が続いていて、私の狭い研究の視野を今も見開かせてくれます。外部の研究会や学会にも所属しましたが、院にもいろいろな分野の研究会があり、それらにもできるだけ参加するようにしました。多様な専門領域をもつ先生方や院生が集まるいわば他流試合の場で、かえって強烈な印象の残る発言に接することもあり、それは自身の研究領域に閉じこもっていてはおそらく得ることのできない貴重な経験だったといえます。

入学当初は、近代日本のナショナリズムが研究テーマでしたが、博士論文はメディアと階層を主題として執筆しました。その理由は研究を深めていくうちに、ナショナリズムを突き詰めて研究するにはまず階層を明らかにしなければならない、と考えた結果です。研究対象が変わったとはいえ、当初の問題意識が研究の動機として持続していたことが、博士論文の提出につながったと思います。ちなみに研究は日常的に行き詰まりましたが、そのたびに「史料は語る」と頭のなかで呪文を唱えて史料に向かいました。

現在は大学の非常勤講師として、ゼミや授業を受け持っています。今の学生を取り巻く社会的状況は、昔とは違って、厳しいです。しかし一方で、興味のあることには非常な集中力で没頭する側面もあり、彼らの関心をゼミや授業の内容に接合させていくことが、私の仕事だと考えています。何か一つでも「へぇ」と思うこと、それが関心をもつきっかけであり、そうした学生を一人でも増やしていければ、ちょっと大げさですが、私にとっては講師冥利に尽きます。

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