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幕末の女性が書いた交換日記との出会い 揖斐高【日本文学科】

勝海舟と西郷隆盛とのぎりぎりの折衝の結果、江戸城が無血開城された慶応4年(1868)3月15日、川路聖謨は表六番町の自邸において、護身用ピストルで自決した。佐渡奉行、奈良奉行、大坂町奉行、勘定奉行兼海防掛、外国奉行など要職を歴任し、傾き懸けた幕府の屋台骨を支えようと尽力してきた68歳の聖謨は、幕府の命運に殉じたのである。自決するに際し、聖謨は妻の高子に用事を言いつけて遠ざけたが、高子は聖謨が自分を遠ざけた理由を察していたという。その高子の自筆日記が、国立国会図書館に『川路高子日記』と題されて所蔵されている。
この日記は聖謨が51歳でまだ奈良奉行の任にあった嘉永4年(1851)に書かれたものである。高子は48歳だった。聖謨は奈良奉行から大坂町奉行に転任することになり、江戸へ呼び出された。奈良の留守宅を守る高子が、江戸に滞在する夫聖謨のために書き送った日記であり、この時、夫聖謨もまた江戸から高子に宛てて『浪花日記』と題される日記を送っている。『川路高子日記』と『浪花日記』とは中年夫婦の交換日記だったのである。
達筆な崩し字で書かれたこの『川路高子日記』の写真を取り寄せ、一年かけて大学院の演習で解読に取り組み、その成果を演習に参加した院生たちとの連名で『成蹊人文研究』に発表した。高子は文才に恵まれており、平明達意の文章で書かれたこの日記は、十分に文学作品としても通用するものであった。和歌をよくした高子は、夫への相聞歌ともいうべき愛情表現豊かな歌や、狂歌まがいの滑稽な歌もこの日記の中に挿入している。
日記の中の高子は、病弱ではあったが、聡明で朗らか、夫を深く敬愛し、使用人や子供たちへは慈しみの心で向き合い、日々を生き生きと生きる女性であった。江戸時代の女性たちは封建的な道徳に縛られて忍従の生活を強いられていたという、ステレオタイプ化された女性像を覆すに足る女性の姿が、この日記の中にはあった。

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