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2CAPS 次の10 年を見据えて所長 中神 康博今年度CAPS は設立30 周年を迎えました。1981 年度というのは、高度経済成長を続けていた日本経済が二度にわたる石油ショックから見事に立ち直りながらも、金融の自由化と国....

2CAPS 次の10 年を見据えて所長 中神 康博今年度CAPS は設立30 周年を迎えました。1981 年度というのは、高度経済成長を続けていた日本経済が二度にわたる石油ショックから見事に立ち直りながらも、金融の自由化と国際化の怒涛のなかで果敢な挑戦を余儀なくされる時代の入り口にさしかかった時期でもありました。いまでこそアジア太平洋を対象とする研究機関も増えましたが、そうした時代に成蹊大学はいち早くアジア太平洋に目を向けCAPS を設立したことは誇るべきことであり、その実現のために尽力された先達に対して心から敬意を表します。この30 年間にわたりCAPS は、日本の「バブル」とよばれた経済繁栄のときから失われた10 年とも20 年ともよばれる景気低迷という激動の時代にあって、アジア太平洋地域に関する研究活動を地道にサポートしてきました。その30 年間を駆け足で振り返ってみます。1980 年代、日本は世界から護送船団方式となかば揶揄されながらも破竹の勢いで世界経済を席巻しました。私も1981 年3 月に大学を卒業し、アメリカの大学院で経済学を学ぶ機会を得ましたが、日本からアメリカへ渡る留学生は年を追うごとに増え続けていました。アメリカの大学では日本研究の講座も到る所で新設され、日本では『ジャパン・アズ・ナンバーワン』がベストセラーとなり、世界からジャパン・バッシングを受けるほど日本経済には勢いがありました。そして80 年代の終わりから90 年代初頭にかけて、中国では天安門事件、ベルリンの壁の崩壊、ソ連の解体など、世界情勢は目まぐるしく変化し、社会主義経済から市場経済への移行はグローバル化の流れをいっそう加速させました。1991 年に加藤節所長のもとで企画された10 周年記念の国際コンファレンスは『アジアとヨーロッパにおけるデモクラシーの未来』というものでした。日本全体が自信に満ち溢れ絶頂期にあったまさにそのとき、CAPS は時代の節目を感じ取り、デモクラシーという観点から同時代認識を試みようとしたのです。それから程なくしてバブルは崩壊し、日本経済は長いトンネルに入ります。自民党政権による55 年体制にピリオドが打たれ新たな時代の到来を期待させましたが、政治が安定するためにはなお長い年月を要しました。その一方で、ソウルオリンピックの成功で弾みをつけた韓国経済は活況を呈し、シンガポールやタイなどASEAN 諸国なども着実に経済成長を続け、1989 年のAPEC の誕生によりアジア太平洋の地域統合の動きも見られるようになります。しかし、日本は1997 年のアジア通貨危機で一定の役割を果たしはするのですが、バブルの後遺症は想像以上に根深いもので、これまでの景気対策では太刀打ちできないほど日本経済は活力を失っていました。1994 年に「高齢社会」に突入して急速に少子高齢化が進む日本は、年金や雇用対策など社会保障の問題がクローズアップされるようになり、国及び地方の長期債務残高は膨張を続け、政府・日銀は超低金利政策を取らざるを得ない状況にありました。1999年に幸村千佳良所長のもとで成蹊大学創立50周年の記念行事として企画された国際コンファレンス『アジア太平洋地域の夢と葛藤』、また2001 年に富田武所長のもとでCAPS 設立20 周年の記念行事として企画された国際コンファレンス『21 世紀のアジアと女性』はまさにこうした時代の流れを大きく反映するものでした。