PICK UP ピックアップ記事

成蹊をロケ地にした映画たち
緑溢れる私たちの自慢のキャンパスは、映画やテレビドラマのロケ地に選ばれることも少なくありません。今回は、そんな数多くの作品の中から成蹊学園をロケ地とした映画をいくつかご紹介します。
『PARKS パークス』『きょうのキラ君』
『ひるなかの流星』 他 数作品
学生発!キャンパスVR動画制作リポート
VR(バーチャルリアリティ)技術を駆使して、学生たちがキャンパスを疑似体験できる動画を作り出しました!
さようなら、尾張屋
成蹊学園の向かいで約90年にわたり成蹊生たちを支えてくれた名物お蕎麦屋「尾張屋」さんが、2016年9月末に閉店。店主にお話を伺いました。

INDEX vol.96

01

Special Interview 蹊を成す人

直木賞作家
井上 荒野

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成蹊をロケ地にした映画たち

応募しよう―読者プレゼント

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学生発!キャンパスVR動画制作リポート

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さようなら、尾張屋

成蹊生を支えた名物お蕎麦屋が暖簾をおろすとき

18

立川らく朝さんの健康落語

19

応援に行こう!

Pick up!成蹊なでしこ

20

成蹊教育 第二世紀へのミッション

伝統から未来へ
―進化する成蹊中高の国際理解教育

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SEIKEI NEWS

各学校の近況

25

WORLDWIDE SEIKEIJIN

小山 雄也さん(法学部4年)

27

史料館だより

28

設立80周年を迎えた

成蹊会による母校支援事業(公益事業)のご紹介

29

成蹊オフィシャルInstagramスタート!

30

お知らせ/編集後記

31

100年前からのメッセージ

―成蹊教育のDNA―
「たしかなあしぶみ」

別冊

ピーチくんおともだちコンテスト
/ピーチくんオリジナルグッズ

INTERVIEW インタビュー記事

作家としての根底に、父がいる。

とても気さくなお人柄が印象的な
作家の井上荒野さん。
その小説家としての歩みを、
戦後文学の巨匠である父・井上光晴氏との
思い出を交えながら
ざっくばらんに語ってくださいました。

1961年、小説家・井上光晴の長女として生まれる。玉川学園高等部を経て、87年成蹊大学文学部英米文学科卒。89年『わたしのヌレエフ』で第1回フェミナ賞を受賞して作家デビュー。2004年『潤一』で島清恋愛文学賞、08年『切羽へ』で直木賞、11年『そこへ行くな』で中央公論文芸賞、16年『赤へ』で柴田錬三郎賞を受賞。
著書に『グラジオラスの耳』『ひどい感じ 父・井上光晴』『静子の日常』他多数。『だれかの木琴』の映画化に続き、『結婚』も2017年夏に映画化が決定。『ひみつのカレーライス』など絵本も手掛けている。

成蹊には久しぶりにお越しになったそうですね。学生時代のことを何か思い出されますか。

建物は新しくなりましたが、正門までの欅並木は今も変わらないですね。成蹊大学に入った時にとても開放的な雰囲気を感じた、そんな当時の気持ちが蘇りました。モダンジャズグループで仲間と楽しんでいた学生生活が懐かしく思い出されます。2年生の頃、フォークナーのゼミに所属していたんです。とてもエキサイティングなゼミでした。そこで一緒だった女子が学外で文芸同人誌をやっていて、それに私を誘ってくれたんです。彼女は私の父親が井上光晴だってことをなぜか知っていて、たぶんそれで声を掛けたんでしょう。彼女と私以外は社会人の集まりだったんですが、後から聞くと、私はずいぶん生意気なことを言っていたみたいです。そのくせ熱心に書きもせず、最初は酷評されていました。ここでの活動は長く続けましたし、その頃の仲間とは今も交流があります。

物を書くことは幼い頃からお好きだったんですか。

好きでしたね。まだ幼稚園とか小学校とか幼い時に、家に時々大きな段ボール箱が送られてくるんです。父が「あーちゃん、来たよ」って私を呼んで開けると、子どもの本がぎっしり入っていた。きっと父が私に本を読ませたくて、でも、子どもの本のことはよく分からないから、編集の人に頼んで送ってもらっていたんでしょう。それを繰り返し読んで、読むと、お話をまねして書きたくなった。そうしてお話を書いて両親などに読ませていたっていう記憶がありますね。

小説家の道を歩まれたのは、やはりお父様の影響が強かった?

やはり環境は大きいでしょうね。江國香織さんもお父様が物書きで、彼女と話しても感じるんですけれど、そういう家に育つとプロの物書きになるってことをあまり特別なことに思わないんですよ。普通だと、物書きになるなんて大変だよとか言われそうですが、そういった圧力みたいなものがなかった。
父からは様々な本を薦められて、それも影響していると思います。高校生くらいになると、もう大人の本を持ってきて…。最初はトルーマン・カポーティの「夜の樹」という短編集。その中に「ミリアム」っていう短編があって、これだけでもいいから読んでみろと。老いや死に対する恐怖、諦念みたいなことがテーマで、16歳くらいの若さで読んでもピンとこないわけです。でも、父はものすごく面白いと言う。父は、本当に俺って小説が上手いよな、ドストエフスキーの次に俺が上手いかもな、っていうのが口癖で。そんな父が面白いって言うんだから、面白い小説はこういうものだって思うわけです。もう刷り込みですね(笑)。私にとってそれが最初の文学への認識だったので、今でも私の素地、根底となっています。

小説家の道を歩もうと決意されたのはいつ頃なんですか。

それに答えるのはちょっと難しいんですよね。大学を卒業し、出版社でバイトをしながら同人誌に書いてはいたんですが、その頃は作家になろうなんて全然思っていなかった。いや、本音はなりたいと思っていて、なれないと嫌だから、その自分の気持ちを認めたくなかったのかもしれない。そんな中、ちょっと長めの小説が書けて、同人誌内で褒めてもらえたから賞に応募したんです。それがフェミナ賞をいただいた「わたしのヌレエフ」で、28歳の時。経歴上はこれがプロとしてのデビューになりますね。
でもその時はプロとしてやっていく覚悟もなく、小説を書くことと自分との関係がまったく取れなかったんです。受賞後1冊目の本はどうにか出しましたけど、もうほとんど自滅みたいな感じで、それから書けない時期が10年ほど続きました。小説家になりたいと自覚的に思ったのは、その後ですね。

書きたくても書けない。そんな時期が10年続きました。

せっかく立派な賞を受賞されたのに、小説が書けなくなってしまった…

そうです。ぽつぽつ仕事はしましたが、思ったとおりに書けなくなって。自分を絞るような、具合が悪くなるような、そんな感じで書いていました。何度も何度も書き直しても駄目で、途中で担当が変わって、そのうち担当からも声を掛けてもらえなくなって…。書かなきゃ、書かなきゃ、書かなきゃと思いながら、10年。誰も私のことなんて覚えていないだろうなっていうような状況になり、その間に大きな病気にも罹り。これ、私みたいな人間は早く死ぬように神様がやってるんだよねって、そう思うくらい駄目な状態でした。で、10年目に突然、長編小説の書き下ろしを頼まれたんです。ここで書かなかったら今後もう絶対に小説を書くことはないだろうと思いました。そして、その時にはっきりと思ったんです。私は小説家になりたいって。だから、ここで自分に納得のいくものを書かなきゃ終わりなんだって。父が亡くなってからずいぶん経っていたこともあり、父が読んだらどう思うだろうとか、父を知っている編集者が読んだらどう思うだろうとか、そういうことを一切考えないで好きなように書くことができました。でも、その内容は父が死んだ時に考えたことだったんです。人の死についてだったり、父が言った嘘についてだったり。この時に、自分が書きたいことと小説との関係が結びついた気がします。書き上げた作品を読んだ方から結構依頼がくるようになり、そして今につながっている感じです。

苦しい時期がありながらも、好きなことを続けてこられた。そうしたくてもなかなかできない人が多いと思うんですが、夢をつかむ原動力は何だったんでしょう。

これは父に感謝しなければいけないことなんですが…。父は訓辞を垂れるような人ではなかった。でも、ひとつだけ私にした教育があるとすれば、それは、人は何かにならなきゃ駄目だってことを、私が小さな頃からいつも言っていたんです。その何かっていうのは、お金持ちになるとか、いい会社に入るとか、そんなこととは全然関係なくて、自分の一番大事なところを使える何かを見つけなさいってことです。その言葉がやっぱり染みついていて、自分の何かは小説を書くしかないって心の奥底にあったんでしょうね。だから、プロにならなくてもいいけれど、小説は書かなきゃ駄目だって思っていた。

好きなことをしていらしても、創作活動では壁にぶつかることもあるかと思います。そんな時はどう乗り越えていらっしゃいますか。

どんな壁にぶつかっても、この壁はいつか必ず乗り越えられるって信じられるようになったんです。書けなかった10年間は、ちょっと書いてはすぐに放り出しちゃって。だけど、放り出さず、とにかく書けるだけ書くとどこかに道が開ける。突破できない壁はないと、今はそう自分に言うことができます。次の場面の出だしがうまくいかないとか、そんな小さな壁の時は、机を離れて単純な作業をしますね。洗濯物をたたむとか、モヤシのひげ根を取るとか、煮干しの頭を取ってワタを出しておくとか。すると、ひょいと思いついたりする。頭を1回クリアにするっていうことなのかな。けれど音楽とかじゃ駄目なんです。煮干しとモヤシ(笑)。

小説とは言葉。一行に一日かかることもある。

小説を書いていて充足感や喜びを感じるのはどんな時でしょうか。

やはり書き終わった時ですね。それが自分にとって納得のいくものだったりすると、ああ、書いていて良かったなあって。それから、どう書けばいいんだろうとか考えあぐねている時に、これだ!っていうひとつの言葉が浮かび、パッと視界が開ける瞬間がある。そういう時はすごくうれしくなりますね。小説とは言葉です。ストーリーを書くだけ、表現するだけだったら映画でもテレビドラマでもいい。言葉でつくられているものだからこそ、どの言葉を使うかっていうことはものすごく考えます。一行のために一日かかるなんてことも結構ありますね。

差し支えなければ今後の作品について教えていただけますか。

いろいろ考えています。ひとつは、いじめをモチーフにした中学生の話。これは「小説新潮」で連載が始まったところです。もうひとつは、瀬戸内寂聴さんと、私の父と、母の話。ちょっと自分としてもドキドキな感じで、これは画期的なものになると思っています。

ひとつでいい。自分だけのものを持ってほしい。

最後になりますが、成蹊の後輩たちに何かメッセージをお願いします。

これは自分だけのものだ、これに対しては誠実でいられるっていうものをひとつ持っていると、生きていて楽しいと思うんです。それは待っていればどこからか降ってくるんじゃなくて、自分で頑張って探さないと手に入らない。私も若い時は夢中になれるものが何もなく、それがコンプレックスだったんです。けれど、今そういうふうに思っている人にも、必ず何かあるんだって言いたい。そして、学生時代や20代の時なんて、何でもできる。人がやらないからやらないじゃなくて、自分がやりたいことを何でもやってみたらいい。自分の価値観で生きてほしい、そう思います。