所蔵史料紹介

成蹊学園の変遷

-建築物(記録写真)-

学園本館

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1925(大正14)年6月7日
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工事中の本館



正門を入って正面に、煉瓦タイルの外観をもつ建物があります。これが学園本館です。鉄筋コンクリート造の三階建てで、学園の吉祥寺移転に伴い新校舎として建てられました。
建築途中で関東大震災に見舞われましたが、被害は少なく、一部設計を変更して工事を再開し、1924(大正13)年10月に竣工します。
校長室、教職員室、事務室のほか、小学校と旧制高等学校の普通教室や図書室などの特別室が配置されました。中央には2階と3階が吹き抜けの大講堂が設けられ、毎朝の授業前には生徒と教職員が集まり、凝念を行い、心力歌を斉唱しました。
戦後になって新制の各学校の校舎が整備されるまで、多くの成蹊生たちが本館で授業を受けました。現在は教室として使用されていませんが、欅並木とともに学園の歴史を物語る象徴的な存在として親しまれています。

大学情報図書館

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竣工して間もない理化館
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緑蔭堂文庫

吹き抜けに浮かぶ球体(グループ閲覧室「プラネット」)が目を引くのが、大学情報図書館です。世界的な建築家・坂 茂氏の設計により、2006年に竣工しました。学園本館との調和を図り、周囲の欅並木の眺望を取り込めるよう工夫されています。
この図書館が建つ以前、同地には学園本館と同じ外観をもつ三階建ての建物がありました。1927(昭和2)年4月に竣工した通称「理化館」です。設計には旧制高等学校で物理化学を担当した加藤藤吉教授が携わり、理科科目の講義室や実験室が配置されました。1965(昭和40)年には大学の教室棟とするため内部が改造され、2004年12月に解体されるまで大学1号館として使用されました。
なお、大学図書館の歴史は、旧制高等学校時代の1938(昭和13)年に建てられた緑蔭堂文庫(現在の大学14号館の場所にあった木造平屋建て)に始まります。その後、1967(昭和42)年竣工の旧大学図書館(現在の大学1号館)および1983(昭和58)年竣工の旧大学図書館別館(現在の大学2号館)を経て、現在の大学情報図書館に引き継がれています。

トラスコンガーデン

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トラスコンにおかれた成蹊工場
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バスケットボールをする旧制高校生

コンビニを併設し、学生たちの憩いの場となっているのが、トラスコンガーデンです。この建物は、雨天体操場として、1924(大正13)年に竣工しました。鉄骨、屋根、外壁などの建材をアメリカのトラスコン・スチール社から輸入して組み立てられた総鉄製組立家屋で、「トラスコン」の呼び名は、ここに由来します。
旧制高等学校の籠球(バスケットボール)部は、このトラスコンでの猛練習を経て、1931(昭和6)年のインターハイなどで優勝を飾りました。
戦争が激化した1944(昭和19)年には、三菱電機株式会社の成蹊工場が設けられました。勤労動員された旧制高等学校の生徒たちが航空通信機器部品の製作に従事したという戦争の記憶も刻まれています。
戦後は体育館として復活しましたが、1993(平成5)年にその役割を終え、内装を一新して、トラスコンガーデンへと生まれ変わりました。現在も南側の天井にはバスケットゴールが残されており、建物の歩んできた歴史を今に伝えています。

岩崎小弥太別邸和風門

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岩崎別邸と農園、温室
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明正学寮

中学・高等学校西側の扶桑通りに面して、和風門が静かに佇んでいます。この門は、岩崎小弥太が母親のために建てた鎌倉別邸の正門を、1939(昭和14)年に移築したものです。 現在の中学・高等学校の敷地一帯は、かつて岩崎小弥太の所有地で、そこには数寄屋造りの別邸と農園がありました。別邸には小弥太が静かに茶を嗜んだお気に入りの茶室があり、農園内の温室ではメロンの栽培も行われていたと伝えられています。
この土地が1937(昭和12)年に学園へ寄付されると、旧制高等学校の寄宿舎「明正学寮」が建てられました。人格教育を施すことを目的として、高等科第1学年の生徒全員が寮生活を送りました。
和風門が現在の場所へ移築されたのは、この頃のことです。学園の歴史を静かに見守ってきた存在として、今日までその姿をとどめています。

濵家住宅西洋館(旧「有定寮」)

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有定寮

旧制成蹊高等学校には4つの寄宿舎があり、岩崎小弥太理事長によって、内寮は「静専寮せいせんりょう」、外寮は「守之寮しゅしりょう」、中寮は「有定寮ゆうていりょう」、北寮は「操要寮そうようりょう」と名付けられました。そのうち、学園の西側、かくれみの小路に面して唯一現存するのが「有定寮」で、現在は武蔵野市が所有する「濵家住宅西洋館」です。
有定寮は、アメリカのアラジン・カンパニー社が販売していたツーバイフォー組立住宅で、1927(昭和2)年に三菱合資会社から学園に無償で貸与されました。翌1928(昭和3)年に最初の寮生が入寮します。2階にあった3室を2人一部屋で使用したとみられ、毎年度6名前後の生徒がここで共同生活を送りました。
寄宿舎として約4年間使用された後、1932(昭和7)年に濵徳太郎氏へ売却されました。戦前の貴重な輸入住宅の姿を今に伝える建造物であることから、2010(平成22)年には国の登録有形文化財に指定されています。

  • 成蹊学園 史料館
  • 〒180-8633
  • 東京都武蔵野市吉祥寺北町3-3-1
  • 開館時間:月曜日~金曜日 9:30~16:30
  • 閉館日:土曜日・日曜日・祝日・学園の定める休業日

※各学校の行事の開催に合わせ、特別開館も行っています。日程につきましては開館カレンダーをご参照ください。