社会発信

エッセイ

第3回
「『心の力』とポストヒューマン」


Society 5.0研究所所長 佐藤義明

  • 1.はじめに
     成蹊学園を創設した中村春二は、1913年に成蹊実務学校教師小林一郎に依頼して『心の力』という小冊子を作らせた。そこには「日月の精、山河の霊、鍾まりて我が心に在り」・「我が心の凝りて動くや、能く日月を貫くべし。我が心の遠く翔るや、能く山河を包むべし。ただ六尺の肉身に、限らるる我が心ならず」・「[心]を磨けば、行ふ業に力溢れ、出す語に霊籠り、不朽の生命ここに具す」・「我は古人の面を見ざれど、古人の心に触れつべし。心と心と相触るれば、相見て相語るに異ならず。我が友は海の外に在れど、友の心はよく我に感ず」として、「心と心と相あふ時、古今もなく東西もなく、無限の境をここに開く」とある。
     古典が常にそうであるように、この小冊子は読み手ごとにさまざまな解釈が可能である。何かに挑戦するときの励みにもなれば、何かに挫折したときに、広い視座からみずからを顧みて次の一歩を踏み出す力にもなる。
     中村自身、1916年に、「この風に」*という文章で、飛行機の操縦における常人離れした意気込みを心霊の活躍であるとして、「心霊の活躍するところ熱火もなく烈風もなく時間もなく空間もあるまい」とした。また、1919年には、「迷信打破について」**で、「私共は、室の壁を透して外へ出る...自在力はないと思つている。けれど在るのかも知れない。或る不図した場合に、左様いふ作用が『自身』からあらはれて、自身を驚かすことがあるかも測られない」とした。さらに、翌年の「理外の理」***でも、ある人の「生気の電波」の「波動」が他人の精神力と身体力を回復させることがあるとして、「心の研究をして、所謂理外の理といふものゝ限りなく奥深い殿堂に向かつて一歩一歩進み入りたい」とした。

  • 2.1913年における「心の力」の理解
     『心の力』が作成された1913年は、フランスの哲学者ベルクソンがイギリスのケンブリッジ大学の心霊研究学会の会長に迎えられ、「『生霊(いきりょう)』と『心霊研究』」****という題が付されることもある就任講演をおこなった年である。同学会は1882年に設立され、ウィリアム・ジェイムズが第2代会長を務めたことでも知られている。ベルグソンは、この講演のなかで、「心霊現象に関する研究に対して人々が抱いてきた偏見」を批判し、透視力やテレパシーに関する研究の意義を説いている。もっとも、当時の研究の方法は「歴史家の用いるそれと裁判官のそれとを折衷したようなもの」であった。「心の力」は、再現実験をおこなう技術がまだ存在しない状況でも、見えないものへの好奇心と想像力によって思考の対象とされてきたのである。

  • 3.未来に向けた「心の力」の解釈
     100年を経た現在、「心の力」はどのように解釈しうるであろうか。この点で想起されるのは、"The power of the mind"という小見出しをもつ宇宙物理学者ミチオ・カクの『人類、宇宙に住む』*****である。そこでは、脳に記憶チップを設置し、記憶をアップロードしたり、「大学の全課程さえも脳へ送り込み、みずからの能力をほぼ際限なく高め[たりす]る」ようになることが予想されている。さらに、単なる情報のビットではなく、感情・感覚・記憶を丸ごと伝送する「ブレインネット」を構築すれば、他人の苦痛や喜びを直接体験することができるようになるとも予想されている。
     このような予想の先に、人間の脳をハードウェアとしない知性が存在することになるかもしれない。ドーキンスがミームと呼んだ複製子である情報が、乗り物(ビークル)として脳を必要としなくなるということである。カクは、物理学者ポール・デイヴィスの「生物の姿をした知性は、一時的に現れたものにすぎず、宇宙での知性の進化においては束の間の段階にすぎない可能性が極めて高い」という言葉を紹介する。現在では、知性の肉体からの独立が宣言される日は見通すことはできないものの、中村やベルグソンの好奇心をとらえたものが目の前に現れつつあるのかもしれない。

  • 4.おわりに
     1913年は、オランダのハーグで常設仲裁裁判所のために「平和宮」が竣工した年でもある。「平和宮」には現在、国連の主要な司法機関である国際司法裁判所が所在している。最近では、ウクライナがロシアによる侵攻を違法であると訴えた裁判が係属している。科学技術が「心の力」の潜在力を現前させ、人間の肉体を離れ、地球も離れ、宇宙であまねく活動する知性が存在するようになる――『心の力』では、「此の心の翔る所は、海を超え陸を超え、天地の外に出んとす。...此の心の通ふ所は、幾万年の往古より、百千劫の後に及ぶ」――そのときまで、人類を存続し続けさせることは、われわれの世代の人類史的責務であろう。もちろん、合理性の放棄に対する警戒は怠るべきではなく、第1次世界大戦の際のドイツの参謀次長ルーデンドルフのように、「意志の力さえ強固であればそれ以外の万事はあとからついてくる」という合理性に反する政策を採用してはならないことはいうまでもない。

  •  
  • *小林一郎編『中村春二選集』(1926年)53, 54-55頁。 
    **同書186, 187頁。 
    ***同書262, 264, 268頁。
    ****Henri Bergson (H. Wildon Carr transl.), Presidential Address, Proceedings of the Society for Psychical Research, Vol. 27 (1913), p. 157 [アンリ・ベルグソン(竹内信夫訳)『新訳ベルグソン全集5――精神のエネルギー』(白水社、2014年)81頁].
    ***** Michio Kaku, The Future of Humanity: Terraforming Mars, Interstellar Travel, Immortality and Our Destiny beyond Earth (Doubleday, 2018), p. 211 [ミチオ・カク(斉藤隆央訳)『人類、宇宙に住む――実現への3つのステップ』(NHK出版、2019年)283頁].