成蹊大学Society 5.0研究所主催 第13回講演会(2024年7月13日開催)
「科学技術外交と日本の科学技術―仮想・現実空間の融合によるSociety 5.0の実現は可能か」
成蹊大学法学部教授・Society 5.0研究所長 佐藤 義明
東京大学名誉教授、東京大学先端科学技術研究センターフェロー、物質・材料研究機構名誉理事長、科学技術振興機構(JST)国際部運営統括、筑波大学特別顧問と要職を兼任し、現在、日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会座長を務めておられることでも知られている岸輝雄教授による標記講演会は、教授自身の研究テーマの紹介から説き起こされた。それは、フェイルセーフな材料の追究であり、そのアプローチは「小さく壊して(全体の)破損を防ぐ(靭性を向上させる)」というものであった。そして、その研究手法は材料工学と情報科学との融合、とりわけ要求される性能からバックキャストして素材を開発するという手法であった。このようにして靭性が向上すると同時に軽量化された素材は、自動車など、いわば社会のインフラストラクチャーに活用されている。
多くの情報と示唆に富んだ本講演の中でも、報告者が最も関心をかき立てられたのは、この部分であった。というのは、この研究の課題・アプローチ・手法は、社会科学の研究のそれと相同するものであったからである。社会科学の課題は、犯罪が皆無で完全に安全な社会の確立ではない。それは不可能であり、それを課題とするとユートピアを追求する空理空論に陥らざるをえない。そうではなく、社会科学の課題は、フェイルセーフをもつレジリエント(強靭)な社会の構築である。それは、犯罪の原因や、権利保障が行き届かない原因を小さなうちに顕在化させて、対処し、問題が大きくなることを予防するという手法をとる。場合によって、既得権にメスを入れる小さな社会実験から、必要な社会変革を開始することもありうる。
また、要求される性能からのバックキャストという工学の手法は、ある意味では、仮説の検証という純粋科学の手法と相同するものであり、社会的需要に対する感受性、または、既存の知見を論理的に展開し、かつ、創造的に仮説を構築する想像力が、開発や検証に先立つという点で、社会科学とも相同する。というよりも、もはや社会科学は工学を内部化すべき(そうしなければ、社会について理解することも社会を適切に運営することもできない)であり、工学もその課題設定の段階で社会科学を内部化すべきであるのであり、学融合の必然性を具体的に示唆していると理解することができる。そして、このような学融合を加速させ得る技術が情報科学を基盤として導入されうると考えられるのである。
岸教授が本講演で紹介された、初代外務大臣科学技術顧問としての科学技術外交の遂行は実践としての「学融合」とよぶこともできるであろう。外交の中の科学・科学のための外交・外交のための科学という3つの類型があることが紹介されたが、おそらく科学(史)の中の外交という類型も構想することが可能であり――例えば、科学者の亡命による科学の伝播や新たな展開――、「普遍学」(フォン・ベルタランフィ)が形を現す日も遠くないかもしれないと思わせられた。もっとも、岸教授が指摘するように、科学技術外交という概念は欧米で鋳造されたものであり、日本は15年遅れて追随しているにすぎない。国力が隆盛な時点でも加速度的に衰退しつつある時点でも、他国が追随しようとする新たな概念を日本で鋳造することができていないことは慨嘆するほかない。
岸教授はこの30年を「日本の科学技術力劣化の30年」と呼び、2024年を再興への始動 が起きるかどうかのターニングポイントであると指摘している。その提言は、大胆なものであるが、しかし、合理的なものである。例えば、公務員総合職を全員、博士号保持者にするという提言は、国際機関や国際会議で他国からのカウンターパートと互角に渡り合うために必要であると同時に、博士号保持者に対する社会的需要・キャリアパスを何ら準備することなく、学生や社会のためではなく教員のためにおこなわれたようにみえる大学院重点化構想の負の遺産を解消するためにも必要であろう。問題は、岸教授の危機意識を我々一人一人が共有し、自身と社会の変革に向けた士気(morale)をどれだけ奮い起こせるかにかかっていると思われる。