成蹊大学Society 5.0研究所主催 第16回講演会(2025年6月14日開催)
「Society 5.0社会における大人の体育・スポーツのススメ」
成蹊大学理工学部理工学科データ数理専攻 4年 竹澤 翔大
本講演では、東北大学名誉教授の永富良一先生による「年をとっても動ける体を保つ」ための体育・健康に関する知見が語られました。先生のキャリアは医師として始まり、消化器内科の医局勤務を経て「体育実技」に出向された経験をお持ちです。その転機は、医局のトイレで突然通達された異動であったというエピソードが印象的でしたが、ここで出会った"体育"が先生の人生を大きく変えたといいます。
体育とは単なる運動のことではなく、「体を自らの意のままに扱えるようにする術」であるとされます。これは身体教育という広義の意味を持ち、人間が社会的動物として健康に生きるために生涯を通じて学ぶべき技術であると理解されました。中でも、筋力の維持・向上は高齢期の健康を大きく左右する重要な要素です。
本講演の中心テーマは、「高齢になっても動ける体を維持するにはどうすればよいか」という点です。まず、筋力がなぜ必要なのかという点から話が始まりました。筋力は体を動かすために欠かせないものであり、それが低下すると、転倒や骨折を引き起こし、最終的には寝たきりや要介護状態へとつながってしまいます。これを予防するには、「サルコペニア(筋肉減少症)」「フレイル(虚弱)」「ロコモティブシンドローム(運動器症候群)」といった状態を早期に察知し、対策を講じることが重要です。
筋力の維持・向上には、やはり筋トレが効果的であるとされます。世界保健機関(WHO)も、週150〜300分の中強度の運動、または週75〜150分の高強度運動を推奨しています。なかでも、週に40〜60分程度の筋トレをしている人は、心血管疾患やがんの死亡率が有意に下がるという研究結果も紹介されました。ただし、毎日筋トレを行うといった過度な運動は逆効果になる可能性があり、筋肉を強化するためには「壊して、回復させる」サイクルが必要であることから、適切な頻度と負荷で実施することが勧められました。
では、筋力はなぜ低下するのでしょうか。永富先生は「老化以上に、"動かないこと"が原因である」と強調されていました。使わない機能は退化するという生物の基本原理により、筋肉も骨も日常的な負荷がなければ急速に弱っていきます。ある高齢者施設での調査によれば、入居者の平均年齢は84歳で、座って過ごす時間は1日約10時間にも及び、歩行能力も著しく低下していたとのことです。しかし、同じ施設内でも、トイレの位置が遠い住居に住むグループのほうが、日常の活動量が多く、筋力も比較的高かったという事例が紹介され、日常生活のちょっとした工夫が筋力維持に大きな影響を与えることが分かりました。
筋力を回復させるにはどうすればよいのでしょうか。その鍵は「過負荷の原則」と「個別化」です。つまり、自分にとってギリギリの負荷で運動を行うことが最も効果的であり、他人と同じ回数・同じメニューをこなすことが重要なのではありません。たとえば、30回が限界の人は30回、10回が限界の人は10回が正解であり、それぞれの限界に応じた"追い込み"こそが筋力増強につながります。このような運動では筋肉痛が発生することもありますが、これは筋繊維が一部損傷し、再生・修復の過程でより強くなる自然な反応です。無理な動きで肉離れなどを起こさない限り、ある程度の筋肉痛は歓迎すべきサインといえます。
また、筋力強化を継続していくには、「やりたいと思える気持ち」が欠かせません。永富先生は、運動を習慣化するための工夫として、仲間と一緒に取り組むこと、ちょっとした競争や記録への挑戦、効果を実感できること、爽快感・充実感を得られることなどを挙げられました。つまり、「楽しい」「心地よい」という感覚が、運動継続の最大のモチベーションになります。また、体力や関節に不安がある方は、医師と相談しながら無理のない範囲で取り組むことが重要です。近年はオンラインでも運動を共有できる環境が整っており、在宅でも他者とのつながりを感じながら活動できるようになっています。
さらに、ハーバード大学が行った長期研究によれば、幸福に最も影響を与えるのは「人とのつながり」であるとされています。運動を通じて新たな出会いや仲間との絆が生まれれば、それは心の健康にも直結します。運動は単なる体力維持手段ではなく、人と人を結ぶ大切な機会でもあるのです。
本講演を通して、筋力の重要性、筋力低下のメカニズム、筋力のつけ方、そして何より「運動を楽しむ心」が大切であることを学びました。医療の視点と体育の視点を融合させた永富先生の講演は、これからの高齢社会において、私たち一人ひとりがどのように「動ける体」を保ち、豊かに生きていくかを考える上で、多くの示唆を与えてくださいました。