社会発信




2025年度開催イベント
アフターレポート

成蹊大学Society 5.0研究所主催 第18回講演会(2025年10月21日開催)
「技能・感覚のデジタルコンテンツ化と法的課題
 ―モーションデータと声の権利を題材に―
 現実×仮想の世界における法律~未来の世界で何が起きるか?~


成蹊大学法学部法律学科3年 千代丸 和馬 

 AIを用いて人間の技能や感覚をデジタルコンテンツ化し、それを社会に応用するという昨今の潮流が、私たちの生活をさらに豊かに発展させるだろう、という期待感は変わらなかった。文化や伝統の継承、医療、福祉、教育など、あらゆる分野で人間の営みを手助けし、社会に大きな利益をもたらす力があるからだ。しかし同時に、AIが人間の特権的な領域に踏み込み、現行の法を超越し、ついには実害を及ぼし始めている現実に、危機感を覚えた。

 現代の技術では、人間の動作や感覚を数値化し、解析・再現することが容易になっている。かつては夢のようだったデジタル化が、今では大して驚くほどのことでもなくなっている。しかし、生身の人間から収穫したそれらのモーションデータや数値は、法律上は「単なる事実」にすぎず、特許権や著作権による保護は現実的に難しい、という理論に大きな衝撃を受けた。

 よく考えてみれば、それは当たり前のことでもある。私自身、長くスポーツを続けてきたが、強い選手や有名な先生の技術を真似ることはむしろ褒められたことであり、「真似するな」と言う人間はそういない。模倣を通して技術を高めていくのは、スポーツに限らずあらゆる文化の本質的な営みだと再認識した。そう考えると、AIが人間の動きを学び再現することも、広い意味では人間の学習と何ら変わらないのかもしれない。

 この講演を通じて、私は以前から抱いていた疑問に一つの答えを得たように感じた。たとえば、流行りのサッカーゲームや野球ゲームでは、実在する選手たちの外見やプレイスタイルがAIによって精巧に再現されている。これらのゲームを制作・販売するにあたって、選手本人の許可はどのように扱われているのだろうかと、以前から気になっていた。今回得た理解によれば、そうした選手たちはスポンサーや球団とのライセンス契約を通じて、自らの肖像権やパブリシティ権を管理してもらい、技能やイメージを現金化、実質的な権利の保護を図っているのだと。つまり、現行法では直接の保護が難しい「人間の動き」や「技能」「感覚」を、契約や商業的枠組みによって間接的に守っているのだと理解できた。

 もう一つ思い浮かんだこととして、2019年の紅白歌合戦で、故人である美空ひばりさんの歌声をAIで再現するという企画があったことを思い出した。持ち歌にかかる著作権等は所属事務所が持っているだろうが、故人の「声」にかかる権利はどこに帰属するのだろうか。現在の理解では、事務所が有している録音された「声」はやはり単なる事実として扱っているから、現行の法が声を表現として扱うかどうかという議論の正解を明文で用意できていない現状であるが故に、再現できるのであろうと考えている。

 また、AIによって最も危機にさらされているのは、声優や俳優など「声」を生業とする人々であるというお話には強く共感した。近年、SNS上ではAIによるディープフェイクが溢れ返っており、有名人の声や顔が無断で使用される事例が後を絶たない。個人的な趣味を満たすような用途から、特定の政治思想を持つ人々のプロパガンダとしての用途まで様々だ。法的な課題に起こしてみると、議論されるのは主に詐欺や名誉毀損といった信頼関係に関わる問題ばかりで、「声」そのものの権利が十分に保護されていない現状が見てとれ、大きな課題を感じる。声や話し方、イントネーションといった「感覚的な個性」が、AIによって容易に再現・拡散されるようになった今、どこまでが個人の表現であり、どこからが公共財なのか、その境界を見直す必要があるのだろうと思った。

 講演の中で最も印象に残ったのは、「今後、AIと人間の関係をどう扱うのか、つまり"どういう社会になりたいか"が問われている」という言葉である。法律は単に権利を守るための制度ではなく、社会が目指す方向性を形づくるスローガンでもある。いわゆる知的財産法は、人間が新しい価値を生み出すためにインセンティブを与え、その努力を社会全体の利益として還元することを目的としている。その意味で、AIの発展をどのように乗りこなし、どのように人間の創造性と共存させていくかは、単なる技術や法の問題ではなく、「人間の尊厳」をどのように位置づけるかという、立法の根幹にもかかわっていると感じた。

 スポーツの技術も、職人の技も、通念的に存在する一定の「型」の延長線上にあるものであり、それをすべて著作権や特許で保護することは現実的ではない。むしろ、文化の発展は模倣と進化の繰り返しであり、過度な権利保護は表現の自由を侵害し、新たな創造の芽を摘むおそれがある。医療や介護など、人の命に関わる領域では、個人の技能があまりに社会の役に立つがゆえに、特許による独占を避けているという現実にも納得できた。

 AIには、社会の発展を支える側面と、人間の役割を簒奪する側面が表裏一体で存在している。一方で、人間の技能を保護するために法を強化しすぎれば、今度は文化の発展や表現の自由を損なう危険がある。人間の技能の保護とAIによるデジタルコンテンツ化は、人間とAIとの関係をめぐる大きな課題であると痛感した。