社会発信




2023年度開催イベント
アフターレポート

成蹊大学Society 5.0研究所主催 第8回講演会(2023年7月15日開催)
「介護ロボやAI活用による高齢社会でのウェルビーイングの実現」


成蹊大学大学院文学研究科社会文化論専攻 博士前期課程2年 安井由美 

 2020年時点で日本の65歳以上の人口は28.6%であり、2043年には65歳以上の人口がピークになると予想されている。高齢社会における介護ロボやAI活用は、Society5.0が実現しようとする新たな社会システムの中でも最も関心が寄せられる分野の一つだろう。株式会社TRAPE(トラピ)は"well-beingをデザインする"をミッションとして掲げ、高齢社会におけるテクノロジー活用を通して、市民一人ひとりのwell-being体験をサポートしている企業だ。代表取締役の鎌田大啓氏は介護現場における実践を通して、厚労省や地方自治体と全国の介護事業所を繋ごうと奮闘している若き経営者である。今回の講演のテーマは「介護ロボやAI活用による高齢社会でのウェルビーイングの実現」というものだ。

 鎌田氏によれば、機械化が難しいとされてきた介護のようなケアワークにも、ロボット、AI技術の発達とともに、近年、様々な機器が開発され、全国の事業所への導入がはじまっている。しかし、せっかく導入したテクノロジーを使いこなせずに、倉庫に機器が埃をかぶったまま放置されているのもよく見られる光景だという。(会場の参加者からも共感の意見が寄せられていた。)そのような介護現場に鎌田氏が率いるTRAPEがコンサルティングに入り、最新テクノロジーをうまく使いこなし、介護をする人、される人のWell-beingを向上させている。

 講演では具体的な事例がいくつかあげられたが、最も印象的だったのが、排泄予測機器に関するケースだ。ある事業所では排泄についての業務棚卸の結果、尿意を感じる工程に着目し、排泄予測機器の導入を決定した。導入にあたってはスタッフに使用法、留意事項を丁寧に伝えて使用を開始したが、アラームが鳴った後、ケアを行う失敗が続き、結局、このシステムを使うのをやめてしまったという。その後、スタッフはケアの本質にたちかえることになった。その結果、日常のコミュニケーションのツールとして膀胱尿量を参照することで、むしろ適時的確に状態判断、排泄誘導できることに気づいたという。導入当初の排尿アラームの発出機器という用途から、事業所利用者とのコミュニケーションツールへと、機器・データの用途に変化(鎌田氏はジャンプと表現した)が起こったのである。その結果、尿漏れ回数88%削減、アウトカムとして職員の働きがい33%向上という成果が上がり、当該事業所が目指していた尊厳あるパーソンセンタードな認知症のチームケアが可能になった。

 この例にみられるように、介護のようなケアワークにおいては、ロボットやAIなどの機器を生かすのも殺すのも、使う側のマインドによるものが大きい。機器の一義的な使用方法に囚われすぎず、柔軟に機器の機能を拡張していくことが、実践に関わる人々に求められる力でもあると思う。鎌田氏によれば、機器の機能の拡張(ジャンプ)が起こる場所には、対話があり、その背景にはスタッフが思い描く共通のストーリーがあるという。介護現場においても、スタッフが機器の発するデータを分析し、読み解いて、対話をデザインすることによってはじめて価値を変えることがきる。TRAPEは介護現場に入っていき、このような経験学習のコーチの役割を果たそうとしているそうだ。

 介護ロボットの開発はまだ端緒についたばかりで、使える介護ロボットしてうまく運用されているのは見守りセンサー、移乗補助器具など、わずか数種類である。ロボット開発の場面においてはニーズの掘り下げ方が浅く、業務分析に問題があることもままあるという。表面的な課題の解決をめざして開発されたロボットでは、実際の介護現場に寄り添い支援することは不可能である。今後はシステムの開発者と現場で実践する人々との連携がますます求められることになるだろう。

 質疑応答の時間には、Society5.0研究所の講演会らしく質疑応答アプリが使われて、20件を超える質問が寄せられた。質問の内容は多岐にわたり、参加者の意識の高さが窺われた。私自身も93歳と88歳の両親の近居介護をしながら大学院に通うシニア大学院生である。講演で最後に鎌田氏が述べた「長く生きることは、人類が望んでいたことです。これからの高齢社会を今までの延長線ではなく、新しく考えていかなければなりません。」という言葉に、はっとさせられた。いつの間にか介護は面倒で厄介なことと思いこんでいたからである。高齢者とまわりの人々のwell-beingをよくしていくためのAI活用を心から願い、その実用化を見守るだけでなく、生活者の立場からの実感を今後は何らかの手段で発信していきたいと思った講演会だった。