学科・大学院

日本文学科 Q&A

Q1. 日本文学や日本語になんとなく興味があるという程度なんですが、そんな曖昧な気持で日本文学科に入学しても大丈夫でしょうか?

A1. たとえば、『源氏物語』全巻を原文で読破しその魅力の源を考えてみたい、などというように、すでにはっきりとした目標のある人には、もちろんそれが充分追究できるようなカリキュラムになっています。しかし、興味はあるものの、まだ漠然としていて何をやればよいのかが分からないという人にも、日本文学や日本語のさまざまな作品や領域を体験したうえで、自分にあったテーマを発見することができるよう、入門から卒業論文作成までの有機的なカリキュラムが組まれていますので、まったく心配はいりません。好奇心と熱意さえあれば大丈夫です。

Q2. どの大学の日本文学科・国文学科のカリキュラムもあまり変わりばえしないように思いますが、成蹊大学日本文学科のカリキュラムの特色はどこにありますか?

A2. カリキュラムの柱として、1年次に日本文学入門、2年次に古典文学・近現代文学・日本語学という3つの基礎研究、3・4年次には各専攻領域に分かれての演習というように、各年次に 20人前後のゼミ形式の少人数授業が必修として置かれ、4年間を通してきめ細かな指導が行われています。これと平行して、日本文学・日本語学の基礎から専門に至るさまざまな講義が多彩に開かれ、学生の興味に応じて自由に選択履修できるようになっています。そして、成蹊大学日本文学科では、日本文学や日本語をより広い文化という視野から捉えるため、一つのテーマを時代やジャンルの枠を取り払って検討する「日本語・日本文学 総合テーマ講義」のほか、「漢文学」「日本演劇史」「日本思想史」「日本仏教史」「日本美術史」「日本民俗学」など多様な学際的科目を、日本文学科の専門科目として開講しています。
また、2004年度からは高度な日本語力を身につけたいという学生の要望にこたえるため、日本語力錬成科目を導入しました。詳しくは、 日本語力錬成科目のページをごらんください。
成蹊大学文学部では学科間の垣根が低く、日本文学科の学生であっても、英語英米文学科・国際文化学科・現代社会学科の多くの講義科目がオープンに選択履修できるようになっています。

Q3. 卒業論文が必修だと聞きました。私は学者になるつもりはないので、書かずに済むならそのほうが好都合かと、卒業論文が必修でない大学を志望しようかと思っていますが?

A3. たしかに400字詰め原稿用紙にして50枚以上の卒業論文を書くのは簡単なことではありませんから、書かなくても済むならばそれで済ませたいという気持も分からないではありません。
しかし、よく考えてみてください。一つのテーマにしたがって、取り上げる対象をさまざまな角度から検討し、参考資料をあれこれと調べ、それらを踏まえながら自分の考えをまとめ、他人に説明できるように論理化する、それが卒業論文を書くという作業ですが、この作業を完遂することの意味は、単に卒業論文を書くというレベルに止まるものではありません。
卒業論文はもちろん大学4年間の勉強の総決算としてあるものです。しかし、これは同時に社会人として必須の問題調査・解決能力を、社会に出る前に模擬的に演習する作業としての意味も併せ持っています。学者になるのでなければ必要ないというようなものではありません。自分の定めたテーマにむけて精一杯の努力を傾け、自分なりに納得できる卒業論文を書き上げた時の達成感は、自信となってあなた自身を豊かにするでしょう。だからこそ成蹊大学日本文学科では卒業論文を重視しているのです。

Q4. 日本文学科なんかに入って日本文学や日本語を悠長に勉強して、いったいどうなるの。この厳しい時代には、大学ではもっと直接的に役立つ勉強をすべきだ、なんて忠告され、自分でも悩んでいるのですが?

A4. よく言われることですね。たしかに、コンピュータを使った情報処理の方法や株式の運用を学ぶことなどと比べれば、日本文学科の勉強が実用的でないことは明らかです。しかし、そこにこそ日本文学科の意味はあるのです。どのような仕事につくにしても、人間力(自立した人間としての基本的・本質的な能力)を欠いていては、社会に貢献することができないだけでなく、自分自身すら幸福になることはできません。現実を踏まえて適切な判断ができる、他人の思考や感情を柔軟に理解できる、自分の思いや意見を豊かに正確に表現することができる等々が人間力の要素だと思いますが、そうした人間力を日本語や日本文学を通して涵養するのを目指すのが日本文学科にほかなりません。即効的な実用性はないかもしれません。しかし、どんな状況になっても応用のきく、基礎的な人間力を4年間をかけて身につけること、それこそが20歳前後の青春期にもっとも求められるものではありませんか。実用的な勉強はその上に付加されてこそ、有効な実用性を発揮するのです。