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「一目ぼれ」の歌 吉田幹生【日本文学科】

平安時代の男性は、めったに女性の姿を見ることがなかったと言われています。では、そんな彼らが、何らかのきっかけで女性の姿を見て一目ぼれしたとしたら、いったどんな和歌を詠むのでしょうか? 最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』を開いてみると

  春日野の雪間をわけておひいでくる草のはつかに見えし君はも
  山ざくら霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ

といった和歌を見つけることができます。最初の和歌は壬生忠岑、次の和歌は紀貫之の作です。これらは、「春日野の雪間をわけておひいでくる草のはつかに見えし」(春日野の雪の間をわけて伸び出してきた若草がちらりと見えた)「山ざくら霞の間よりほのかにも見てし」(山桜を霞の間からちらりと見た)というように、まずは自然の情景を述べるところから詠み始めています。そして、「はつかに見えし」「ほのかにも見てし」というところから一転して、「はつかに見えし君はも」(ちらりと見えたあなたであることよ)「ほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ」(ちらりと見たあなたのことが今も恋しい)と収めています。つまり、自然の映像を利用しながら、相手をちらっと見たことを表現しているわけです。すると、どうやら、歌のポイントは「ちらっと感」にあるということになりそうですね。一目ぼれの歌なのですから、いかに「ちらっと」あなたのことを見たのかを訴えているわけです。

似たような作り方をした歌は『万葉集』にも見つけることができます。「朝霧のおほに相見し人ゆゑに命死ぬべく恋ひ渡るかも」「夕月夜暁闇のおほほしく見し人ゆゑに恋ひ渡るかも」などがそれですが、これらでも「朝霧のおほに」「夕月夜暁闇のおほほしく」は、相手の姿をぼんやりとしか見られなかったことを自然の映像を利用して表現する機能を担っています。しかし、これらと比べてみると、忠岑や貫之の歌の更なる工夫が見えてきます。実は詞書によると、忠岑の歌は春日祭に出かけた時に姿を見た女性に、貫之の歌は花摘みをしていた女性に贈ったものだったのです。つまり、「春日野の雪間をわけておひいでくる草のはつかに見えし」「山ざくら霞の間よりほのかにも見てし」という自然の情景は、単に「ちらっと感」を表現するだけでなく、一目ぼれの現場を想像させる効果もあった、言い換えれば相手の女性をそれぞれ「(春日でちらっと見えた)草」「(霞の間からちらっと見た)山桜」にたとえてもいたということになります。
すると、こういうことになりそうです。忠岑や貫之は、万葉以来の歌の型を踏まえながら、その自然表現に更なる工夫をこらし、「ちらっと感」のみならず、一目ぼれした現場感をも表現しようとした、と。

実は在原業平は、これらの伝統を根底から覆すような「一目ぼれ」の和歌を詠んでいるのですが、その分析はみなさんにお任せすることにしましょう。

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