卒業生インタビュー|ダイヤ精機(株)代表取締役 諏訪貴子さん

9/5(火)に行われた夏期集中講義「共生社会トピックス」を受講した学生広報委員会の記者が、ゲストスピーカーを務められた諏訪貴子さんに取材しました!諏訪さんは成蹊大学工学部をご卒業され、現在は精密金属加工メーカーの町工場の社長として日々活躍されている方でいらっしゃいます。講義では「AIに負けない経営者になろう!現役経営者が語る『仕事をする喜び』」というテーマで、ご自身の経験に基づいた経営論を学生にお話しくださいました。

インタビューでは、ご自身が32歳の時に亡きお父様の跡を継いで、専業主婦から社長となられた当時の心境や経営者としての歩みをお伺いしました。


※諏訪さんは学園広報誌「SEIKEIJIN」vol.98の卒業生インタビューにもご出演いただいております。
こちらもあわせてぜひご覧ください!

インタビュー

―― 学生時代の一番の思い出は何ですか?また、学生時代にやって良かったことや、やらなくて後悔したことを教えてください。

一番の思い出は友達がたくさんできて、いろいろな経験ができたことです。ARSEというサッカーサークルに所属していて、そこでも多くの思い出を作ることができました。後悔していることは部活に入らなかったことです。私は應援指導部のチアをやりたかったのですが、当時は練習にあまり参加できなかったため入れませんでした。

―― 急逝されたお父様の後を継いで社長になられた時は、どんな気持ちでしたか?

「私で大丈夫?」と率直に思いました。社員からの大反発もあり、「親の七光りだ」「女だから目立つだけだ」とライバル会社に言われることも多かったです。社長をやり始めても1、2年は「なんでやっているんだろう」と思っていました。父が急に亡くなって、現実を受け止められないまま社長になったので、会社に行っても「なんで会社に来ているんだろう」という感覚に陥っていました。

―― お父様の後を継いでから時間が少し経っても不安はありましたか?

最初の半年間は毎日布団の中で泣いていました。家には家族がいるので弱いところを見せたくないと思っていたので、唯一泣ける時間は夜中の自分の布団の中だけだったんです。「私はなんて不幸なんだろう」と思っていましたが、シェイクスピアの『世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ』という言葉に出会ってから、自分は人にできない経験をたくさんさせてもらっているなと考えるようになりました。それからはネガティブな言葉を一切使わなくなりました。


和やかな雰囲気で進むインタビュー

―― 悪口会議や社員との交換日記などユニークな手法を用いられていますが、そのような発想の源はどこにありますか?

思いつき!思いつきをまずやってみるということを実践しています。多くの人は思いついても行動に移さないことが多いです。ですが、思いつきを実践してみると意外にもうまくいくということが多々あります。面白そうだったらとりあえずやってみて、そこで成果が出たらラッキーじゃんぐらいな感じでやっています。また、全ての物事について「なぜ?」ということをすごく考え、次の行動への思いつきを実践してみるということをしています。

―― 社長の業務の内容、またその中で1番苦労されていることを教えてください。

業務は日々変わります。毎日会社に行って指示を出す、ということだけは行っています。午前中はメールの確認や返信をして、その後から講演会に行くことが多いです。また、時間が空いた時には現場に顔を出してコミュニケーションをとるように心がけています。
苦労していることは、講演会がオンラインから対面になったことで地方への移動が増えたことです。香川、金沢、香川と連日、日帰りということもありました!

お仕事の様子

―― 2004年に社長になられてから20年目という節目を迎えられましたが、ご自身の考え方などで変化はありましたか?

若手社員が増え、昔に比べて経営自体はだいぶ楽になりました。年上の人に敬意を払いながら経営をしていくという難しさからは解放されました。基本的な考え方は変わっていないです。社長になった時から、ものづくりに携わる社員さんが輝く姿を見たいという気持ちを持ち続けていて、今も変わっていないです。

――新型コロナウイルス感染症が蔓延した前後で身の回りで変わったことはありましたか?

新型コロナウイルス感染症の蔓延を経て、個人的には飲み会が無くなったので楽になりました。会社的には、私が社長になってからリーマンショックを経験していたので、冷静に対処することができました。社長を20年間続けてきたからこそかなと思います。

―― 女性の経営者や管理職などが未だに少ない現状があります。その理由の一つとして育児と仕事等の両立が難しいことが挙げられると思いますが、諏訪さんがこれらを両立するために意識されたことはありますか?

育児と仕事の両立は難しいと考えがちですが、何とかなるものなんです。さまざまな人から助けを借りて仕事と子育てを楽しんでやれば、両立ができると私は考えています。私の父も忙しくて年に2回ぐらいしか一緒に食事をすることがありませんでした。だから愛されていなかったかと言われると決してそうではなく、すごく愛してくれていました。父は私と一緒にいる時はベッタリで、そこで愛情表現をしてもらっていました。私もそこから学んで、自分の子供とも一緒にいられる時は深く愛し、愛情は長さではなく深さで伝えるものだと思っています。

――その経験を踏まえ、今後女性管理職比率の向上のためにはどのような取り組みが必要だとお考えですか?

女性の社会進出を進めるために必要なのは、企業自体が変わることです。これまで男性が行ってきた業務をそのまま女性にも当てはめているから、マイナスなイメージが先行して女性の管理職希望者が増えないのです。男性社会の目線で作られた業務内容・分配が未だに続いているので、女性の観点を取り入れた業務の見直しをしていくことで、女性の管理職を増やしていけると私は思っています。また、仕事の見える化を進めて先の見えない不安をなくすことも大切です。

―― 理想の経営者像や女性像をお持ちですか?

社長になった当初は男性社会の中で女性が1人だったので、目立たないようにパンツスーツを着て女性らしさを消していました。ですがある時、女性がある意味目立つのはむしろ武器じゃないかと思うようになり始めて、広告塔になろうとさまざまな賞の授賞を目標にするようになりました。そこから、しなやかに強くというのが私の経営者の理想像になったんです。女性を男性化してしまうよりも、女性らしさを持ちながら会社を経営していくというのが私の目指すところになりました。
理想の女性像としてはマザー・テレサ、オードリー・ヘプバーン、マドンナの3人がいます。その3人が身近にいると思って、優しさを持つことや身だしなみに気をつけること、自己主張をすることを目指して日々生活しています。憧れの女性を自分の中に置いて、強くしなやかな経営者になりたいと思っています。

―― 成蹊大学で学ぶ全学生に対して、先輩としてのメッセージをお願いいたします。

つい最近までの履歴書を汚すことは良しとされていなかった時代が、それをキャリアと認めてステップアップできる時代になってきています。いろいろなチャンスが巡ってくると思うので、そのチャンスをどうか逃さないようにしていただきたいと思います。チャンスは誰にでも平等に巡ってきていて、それを掴めるかどうかはその人が行動するかしないかに委ねられていると思うので、ぜひチャンスを見つけたらすぐに行動していただきたいです。その能力は成蹊大学の学生さんなら持っていると思いますし、社会に出てからも成蹊のつながりを感じることが多いと思います。あとは、学生生活を楽しんでください!

取材を終えて

今回は記者として、とても貴重な体験をさせて頂きました。諏訪さんの後輩であることを誇りに思いました。経営者としての視点だけではなく、諏訪さんが成蹊大学に通っていた頃の貴重なエピソードもお話し頂きました。諏訪さんの講義を聞いて、自分が大学生活を通して何を成し遂げたいか考え直すきっかけになった人もいるのではないでしょうか。また、就職活動を始めている人にも、この記事を通していろいろな会社に興味を持ってもらえたらと思います。




担当/福島・松尾