SPECIAL INTERVIEW

作編曲家

服部 克久

HATTORI KATSUHISA

1936年、作曲家・服部良一の長男として生まれる。成蹊中学・高等学校卒業後、パリ国立高等音楽院へ留学し1958年修了。日本を代表する作編曲家として、映画「連合艦隊」、アニメ「トム・ソーヤの冒険」、フジテレビ「ミュージックフェア」、NHK 連続ドラマ「わかば」をはじめ幅広い分野で活躍。過去には日本レコード大賞編曲賞、同企画賞など複数を受賞。オリジナル曲を集めた「音楽畑」シリーズは20作を数え、主な作品にTBS「新世界紀行」のテーマ曲"自由の大地""すごい男の唄""ル・ローヌ(河)"などがある。現在、日本作編曲家協会会長、東京音楽大学特別招聘教授を務める。息子は作曲家の服部隆之。

INTERVIEW

いいことも、悪いことも、
「それでどうした」精神でやってきた。

作編曲家として輝かしい足跡を残されている服部克久氏に、成蹊時代の思い出を中心にお話を伺いました。
音楽界の重鎮であるにもかかわらずそのお人柄は柔和で軽妙洒脱。
周りを惹きつける、まさに「桃李の人」でした。

何十年前と変わらない風景。あの頃がスッと蘇る。

服部先生が成蹊学園で過ごされたのは70年近く前になりますね。

ここへ来ると、風景があまり変わっていないので、スッと昔のモードに入ります。まず欅並木から見る正面の景色が変わらない。中学時代に記念撮影をした写真が家にありますが、まったく同じように思えます。実家が吉祥寺と西荻窪の間くらいの所だったんです。電車通学でもみくちゃになるのは嫌なので自転車で通えるところがいい。成蹊は当時でも有名な学校でしたから、自然と成蹊を選んだ感じです。成蹊に入学した当時、私の父親である服部良一はすでにヒットメーカーでしたから、そのせいもあって合唱部や成蹊オーケストラに誘われて入りました。オーケストラでの担当はトランペットでしたね。映画で観てカッコいいと思った、そんな単純な理由で選んだ。でも初心者だから高い音が出せなくて、指揮者の先生にもあきれられるし、もう泣く泣くやっていましたね(笑)。

楽器を猛練習するなど、音楽漬けの学生生活だったんですか?

いや、適当な人間でしたから、練習とかいうのは苦手で...。それでも音楽とは縁が深かった。高校の時にはジャズバンドをつくろうということになって、成蹊高校を卒業した先輩たちも交えて結成しました。これだって音楽が好きという前に、当時ジャズが流行っていて、女の子たちからキャーキャー言われたかったからなんですよ(笑)。で、「譜面どうする」という段になった時、みんな当然のような顔をして「服部、お前が作んなきゃしょうがないだろ」と言うんですね。でも、父親は作曲家だけど僕は何もやったことがない。仕方ないから、やりたい曲のレコードを聴いて、耳でコピーして譜面を書いていました。やったらなんかできちゃった、という感じ。僕の編曲のキャリアの始まりです。

硬そうで柔軟。不思議な学校です。

自由な中高時代を過ごされた印象を受けます。

成蹊って不思議な学校で、硬い印象があると同時に、フレキシビリティーというか自由な空気があるんです。生徒を型にはめようとしない。それぞれが様々な興味や能力を持っていて、それを好きにやらせてくれる。だからね、学校は楽しかった。嫌だと思ったことは一度もない。
先生も素晴らしい方々ばかりでした。高名な俳人の中村草田男先生に古文を習ったり、これまた有名な翻訳家である山西英一先生に英語を習ったり...。もっとまじめに授業を受ければよかったと、今さらながら申し訳なく思いますよ。そして、好きなことをやりながら、たくさんの素晴らしい友人に恵まれた。先ほど話したジャズバンドのメンバーには、先輩に作曲家のすぎやまこういちさんがいました。その後、二人で今の作編曲家協会というのを立ち上げたりして、今でもずっと付き合っています。テレビ局に就職した先輩もいて、僕が作編曲家として駆け出しの頃、仕事の面でサポートしてくれました。
同年配の親友だと俳優の山本學くん、日本弁護士連合会の会長をやっていた梶谷剛くんなど、職業をみるだけでも成蹊の多様性を感じますね。

「桃李不言下自成蹊」
この言葉の重みは社会に出ると分かる。

成蹊で得たご友人こそ何よりの財産だと思いますが、成蹊での学びが人生の糧になっていると思う部分はございますか。

校名の由来にもなっている「桃李不言下自成蹊」、特にこれは社会に出てからすごくいい言葉だなと実感しましたし、そうありたいと願ってきました。
僕は自分の自慢とかする人間はいちばん嫌い。そして、俺が俺がと自己主張するのではなく、いつもにこやかにしていて結果をきちんと出すのが成蹊出身者だなって常々思っています。我々の仕事というのは、確かに押し出しが強くないと認められない部分もあります。けれども結果的には、やっぱり自分のことを声高に言わない人の方が、音楽界でも芸能界でも長く愛され残っているような気がしますね。自分の心の中に「桃李不言」の気持ちは変わらず持っていたいと思っています。

音楽の道を歩もうと思われたきっかけについて教えてください。

気がついたらなっていたという感じです(笑)。自分に特別な才能があると思ったことも一度もない。家族がほとんど音楽家でしたので、まあ家業ですかね。
無理やりきっかけを探すとすると、高校卒業を控えた頃に、師事していた芸大の池内友次郎教授から「フランスでも行って音楽の勉強をしてきたらどうか」と言われたことです。それで成蹊を卒業した18才の年、フランス語もろくに話せないまま船で渡仏、パリの国立高等音楽院を受験し、運よく受かった。それからは3年間、毎日毎日、音楽の勉強をみっちりとやっていました。ひとりで異国の地で暮らすことになったんですが、不安よりもワクワクする気持ちの方が強かったです。

大事なのは、自分を確立すること。

パリから帰国され作編曲家になられました。
お父様の存在が重圧になることはありませんでしたか。

自分がプロになってからは「ああ、すごい人だな」ともちろん思いました。作曲家として天賦の才能を持っている。そして本当に温かい人で、子煩悩でした。大好きな人だから、乗り越えてやろうなんて思ったことは全くないです。また、僕がやった仕事に対して、父の方から何か言ってくることもなかった。ただ、1983年に「音楽畑」という作品を始めた時に手紙が来て、「やっとお前らしいのができたな」という手紙をいただきました。

これまで手がけられた作品は、実に6万を超えると伺っています。様々な壁や苦労がおありになったかと思いますが。

苦労をしていないのが僕の欠点(笑)。というか、のんびりしていて苦労を苦労と思わないんでしょうね。70才になった時かな、ちょっと脳梗塞をやって入院しました。でも今までにない経験をすると、「こういう時、人はこういう精神状態になるんだな」というような発見があって。その入院体験も後の仕事にとても役に立った。何でもいい方に解釈しちゃうんです。僕の座右の銘は、「それでどうした」。酷い目に遭った時、世の中にはもっと悪いこともあると考えて、あまり気にしない。逆にすごくうまくいった時、例えばカーネギー・ホールでコンサートをやったら、みんな「まあ、すごい」と仰ってくれた。でも、それはたまたまの巡り会わせで、世の中にはもっとすごいことがいっぱいある。だから、「それでどうした」と思って慢心しない。「それがどうした」だと投げやりです。そんなことで、その程度で、という「それで」です。

神は細部に宿る。それが僕の創作スタイル。

仕事をする上で、ここだけは譲れないというポリシーは
何かございますか。

「神は細部に宿る」という言葉がありますよね。それは作編曲にも言える。サーッと音が流れる中で、地味な楽器の聴きとれないような一音でも、やっぱりそれが下支えをしている。そこをきちっと書くと、全体がすごくしっかりした曲になるんです。そういう細かいところを大事にするようにいつも心掛けていますね。手間暇もかかるし、そんなところを一生懸命やらなくても、という考えの人もいますが、どうしてもそこは譲れない。自己満足かもしれませんが、そこにこだわるのが自分のサウンドだと思っていますし、自分の音が出た時には大きな喜びを感じます。また、創作する人間は、見聞きしたものに対して頭脳を反応させることが重要だと常々思っています。感激もしない、刺激も受けないということになると、何かを創ろうというふうにはならない。テクニックも疎かにできませんが、それ以上に自分なりの感性を持つこと、磨くことが大切。僕はもともと好奇心旺盛ではあるんですが、流行りの音楽はもちろん、世の中の新しいものに普段からアンテナを張るようにしています。

最後に、成蹊の後輩たちに何かメッセージをお願いいたします。

まず、自分を確立してほしいということ。グローバル時代と言われていますが、ただ世界に出ればいいわけではないし、世界に合わせればいいわけでもない。自分を確立して初めて、グローバルに通用する人間にもなれるんだと思います。
そして、君たちは恵まれた学校にいるんだぞ、ということ。成蹊は、中にいると見えないかもしれないけど、自分の才能を自由に活かすことのできる環境なんです。そういう校風があるし、それを見守ってくれる先生方がいる。それを活かさなかったら、もったいない。とてもいい学校にいることを忘れないで、やりたいことをやってみてください。

Works of Katsuhisa Hattori

J:COM バルトホール・オープン記念プレミアムウィーク

けやきの森のハーモニー

『服部克久「音楽畑コンサート」With ボブ佐久間』

  • 日時:

    2017年 7月19日(水)18:00開場 / 18:30開演

  • 会場:

    府中市市民活動センタープラッツ バルトホール(京王線「府中駅」南口駅前)

  • 入場料:

    全席指定 6,500円(税込)
    ※未就学児童はご入場できません。

  • 出演:

    • ボブ佐久間 服部克久

      二胡:賈鵬芳(ジャー・パンファン)

      1stバイオリン:室屋光一郎

      2ndバイオリン:申愛 聖

    • ビオラ:馬渕昌子

      チェロ:堀沢真己

      コントラバス:斎藤 順

      歌ゲスト:蘭華

  • チケット:

楽譜集&配信限定アルバム

『音楽畑 String Quartet Collection』

1983年のリリース以来、自らのライフワークともいえる作品集となっている『音楽畑』シリーズのなかから、選りすぐりの12曲を収録。服部氏自らがこの曲集のために弦楽四重奏曲にアレンジしたスコア集と、iTunes・レコチョク他主要配信サイトよりダウンロードできる配信限定アルバムとなっています。誰もが聞き覚えのある有名曲「自由の大地」、「ル・ローヌ(河)」ほか全12曲をこの1冊でお楽しみください。

  • 収録曲:

    • 01.夜明けのマンハッタン

      02.ル・ローヌ(河)

      03.伝説の黒い森

      04.卒業

      05.ド-ヴァーの白い想い出

      06.タンゴ・クラシコ

    • 07.ロータス・ドリーム

      08.ジャンピング バロック

      09.ロマンス

      10.気まぐれワルツ

      11.ジャズ・フィドル

      12.自由の大地

  • 楽譜集:

    注文番号:GTW01094231
    価格:本体3,500円+税
    発売元:ヤマハミュージックメディア

  • 配信限定
    アルバム:

    発売元:徳間ジャパンコミュニケーションズ

CD付き楽譜集

『音楽畑 ピアノソロ Best of Best』

歴代の『音楽畑』シリーズから選りすぐった全16曲。中でも「パープル・ファンタジー」「素晴らしきかなこの世界」「愛おしきかな人生」は、この曲集のために書き下ろしたアレンジを収載。付属CDでは服部氏自らの演奏のほか、和泉宏隆氏、須藤千晴氏が参加している点にも注目です。親しみやすいメロディとともにピアノの魅力を存分にご堪能ください。

  • 収録曲:

    • 01.ル・ローヌ(河)

      02.Champs de la Musique(音楽畑)

      03.パープル・ファンタジー

      04.淡紅(とき)色の夢

      05.苺摘む朝

      06.自然紀行

      07.響(ひびき)

      08.時は優しく流れて

    • 09.帝国に陽は昇りて

      10.素晴らしきかなこの世界

      11.愛おしきかな人生

      12.懐かしのプロム

      13.自由の大地

      14.子犬のラグ【連弾】

      15.風のように矢のように【連弾】

      16.鯨のボレロ【連弾】

  • CD付き
    楽譜集:

    注文番号:GTP01094235
    価格:本体3,800円+税
    発売元:ヤマハミュージックメディア

※服部氏の出演・リリースなど最新情報は「スケジュール」でご確認いただけます。