中村春二を知る

理想の教育を支えた
二人の親友

理想の教育を支えた二人の親友

理想の教育を支えた二人の親友

岩崎 小弥太

岩崎 小弥太(1879-1945)

三菱の二代目社長・岩崎弥之助の長男として生まれた小弥太は、高等師範学校附属学校尋常中学科で中村春二や今村繁三と親交を結んだ。中村と同じく第一高等学校から東京帝国大学に進んだ後、イギリス・ケンブリッジ大学に留学。イギリスの文化思想に触れる中で国家繁栄の基礎は教育にあると感じた岩崎は、帰国後に三菱合資会社の副社長を務める一方で成蹊園の趣旨に賛同し、中村の教育事業に参画した。その後の成蹊学園においても理事長に就任するなど、大財閥三菱の四代目社長となってからも、学園の経営基盤を終生支え続けた。

第一高等学校時代
第一高等学校時代
前から3列目左から2人目が岩崎小弥太、岩崎から数えて右に6人目が中村
今村 繁三

今村 繁三(1877-1956)

今村銀行の創立者・今村清之助の長男として生まれた繁三は、高等師範学校附属学校尋常中学科在学中に中村春二・岩崎小弥太と出会った。中学卒業後は渡英し、リース校に入学。その後ケンブリッジ大学に進み、帰国後25歳で今村銀行の頭取に就任した。社会事業、とりわけ育英事業の必要性を感じていた今村は、中村の教育理念に共鳴し、30歳の誕生日を機に今村繁三生誕記念奨学金を創設、成蹊園の経済的基盤をつくった。成蹊実務学校の創立時には岩崎とともに賛助員に就任、その後も成蹊学園の理事をはじめ、成蹊高等女学校の理事長も務めるなど、長年にわたり成蹊教育の発展に寄与した。

高等師範学校附属学校尋常中学科時代
高等師範学校附属学校尋常中学科時代
3列目右から3人目が中村、2列目右から3人目が今村繁三

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