ここに一人の人間があった。
心は純粋無垢で、
醜さというものを
全くもたなかった。
血筋も良く、才智に恵まれ、
貧乏をさげすまず、
権力に媚びず、
飄 々として人生を歩いた。
眉目秀麗 、気品に満ち、
自然を愛し、神を敬い、
人を愛して憎まず、世の為、
人の為に尽すことのみを
念願としていた。
目的に向っては信念を貫き、
常に人々の先頭に立ち、
少しも怯まず、
臆するところがなかった。
惜むらくは天二物を与えず、
その精神は 鋼 の如くであったが、
肉体がこれに伴わなかった。
彼は己が身の限界を知り、
悩み、苦しみ、 懺悔 しつつ、
若くしてこの世を去った。
しかし、その名は不朽であり、
その精神は、
多くの教え子たちの心の中に
生きつづけている。
この人の名を中村春二という。
「人間 中村春二伝」より
中村春二 没後100年
特設サイト
成蹊教育の原点を知る
中村春二の教育理念と手法
教育図解
現今教育の欠陥(コップの中をみよ)・
生徒と教師の心の共鳴
心の力を養う
凝念と心力歌
鍛錬と体験主義
夏の学校
中村春二略歴
1877年3月31日
神田猿楽町に誕生
真の人間教育を成蹊園を開塾
- 1890年
- 高等師範学校附属学校尋常中学科に入学
- 1896年
- 第一高等学校に入学
- 1899年
- 東京帝国大学文科大学国文学科に入学
曹洞宗第一中学林で国語科の講師となる - 1903年
- 東京帝国大学卒業
小藤小波と結婚、六男三女をもうける
[曹洞宗大学林、
東京高等師範学校附属中学校、
麹町女学校などで教鞭を執る] - 1906年
- 今村繁三氏の援助を受け本郷西片町の自宅に学生塾を開く
- 1907年
- 岩崎小弥太氏が参画
学生塾を成蹊園と命名
池袋に五校を次々と開校
- 1912年
- 池袋に成蹊実務学校を創立
凝念法を開始 - 1913年
- 「心力歌(こゝろの力)」完成
- 1914年
- 成蹊中学校を開校
- 1915年
- 成蹊小学校を開校
機関誌『新教育』創刊
- 1916年
- 成蹊教育会を設立
- 1917年
- 成蹊実業専門学校を開校
目白に成蹊女学校を開校
成蹊学園学園長となる
『教育図解』出版
財団法人成蹊学園の設立
- 1919年
- 財団法人成蹊学園を設立
『導く人の為めに』出版
校地を吉祥寺へ移転することを決定 - 1920年
- かながきひろめかいを設立
『かなのめばえ』創刊 - 1922年
- 七年制高等学校設置を決定
- 1923年
- 五行詩を提唱
『斯の道の為めに』出版
1924年2月21日
逝去(四六歳)
- 戒名は「成蹊院枯林黙笑居士」
巣鴨染井墓地に眠る
成蹊教育の原点とその後の学園の発展を紹介
(動画 : 約15分)
中村春二を知る
成蹊学園史料館
成蹊学園史料館では、100年を超えた成蹊の歩み、
独自の教育理念と実践の様子を展示しています。
「人間 中村春二伝」販売中
販売価格:1,782 円(税込)
復刻版「人間 中村春二伝」を
学園内紀伊國屋書店ブックセンターにて
販売しています。
ウェブサイトからもご注文いただけます。
【お問い合わせ先】
株式会社紀伊国屋書店 成蹊学園ブックセンター
TEL:0422-36-0360 FAX:0422-36-1005
E-mail:seikei@kinokuniya.co.jp