中村春二を知る

中村春二を支えた家族

中村春二を支えた家族

中村春二を支えた家族

春二の父・秋香は、祖父の松木直秀について国学を学び、国文学者として名を成し、第一高等学校や東京音楽学校(現、東京藝術大学)の教授を歴任、1897(明治30)年に宮内省御歌所寄人となった。母・清は、駿府の画家・鈴木香峰の娘である。春二の祖父・中村録郎は山梨稲川の次男で、駿府の武家・中村家を継いだ。長崎でシーボルトから和蘭医学を学び、駿府研屋町(現、静岡市葵区研屋町)で医を業とした。春二の曽祖父・山梨稲川は、江戸時代後期の漢学者であり、中国古代の音韻研究や詩文、書で知られる。

春二と小波
春二と小波
結婚した当時の中村家
結婚した当時の中村家
前列左2人目より清、秋香、小波、後列右が春ニ

1903(明治36)年、26歳の春二は、8歳下の小藤小波と結婚した。小波の父・亨三は陸軍少佐で、のち日露戦争に出征する。小藤家は赤坂にあり、小波は「赤坂小町」と呼ばれるほどの美人であった。春二と小波は、本郷・西片町に新居を構えた。新しがりやの春二は、畳の上にじゅうたんを敷き、机や椅子を使った西洋式生活を始め、蓄音機やドイツ製のピアノも備えた。この西片町の家が、後に春二が起こす学生塾・成蹊園となる。春二は小波との間に六男三女をもうけた。

春二の家族(1922年4月)
春二の家族(1922年4月)
左から、四男・正、長男・秋一、次女・篤子、三女・友子、五男・彰、春二、小波、六男・文雄、長女・美佐子、三男・崇、次男・浩

中村家略系図

中村家略系図

参考『成蹊学園百年史』

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