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【結果発表】2023年度「書評コンクール」受賞作品のお知らせ

イベント

日程:2023年11月30日(木)

みなさん、お待たせしました。
「書評コンクール」受賞作品の結果発表です。
まずはたくさんのご応募を本当にありがとうございました。
応募者数54名、応募作品は延べ57点でした。

厳正な審査の結果、下記のとおり受賞作品を決定しました。


金賞:宮本美夏さん(文学部 日本文学科 2年生)

『ジャクソンひとり』/安堂ホセ著/河出書房新社 請求記号:913.6/あん

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 自分が多数派に立つとき、人はどうしても少数派に属する人を固定化された枠組みに押し込み、カテゴライズして認識してしまう。安堂ホセ『ジャクソンひとり』は、そんな固定概念を底から揺すり、無意識のうちに行われる差別的な思考に警鐘を鳴らす物語だ。
 日本とアフリカのどこかとのハーフで、ゲイらしい、と認識されているジャクソンは、職場であらぬ噂をたてられていた。その原因は彼が着ていた服にプリントされたQR コードで、リンク先は自分とよく似た特徴を持つ男が裸で磔にされている動画であった。ジャクソンはその服が誰かから送られてきた物であり、動画の男は自分ではないと弁明するが、肌の色や髪の毛などが動画の男と似ているからという理由で、誰も彼の言葉を信じようとしない。そんな中ジャクソンは、この動画をきっかけに、ゲイでブラックミックスであるという共通点をもつイブキ、ジェリン、エックスの三人と出会う。動画の被写体は誰なのか、QR コード付きの服を送り付けてきた犯人は誰なのか、一つの動画を発端に、四人の動線が絡み合う。
 彼らは犯人捜しの傍ら、自分たちが一人の人間としてではなくブラックミックスという記号として認識されている事を逆手にとって「入れ替わっちゃう作戦」を実行し、日頃の復讐を始める。そこで着目すべきは、誰の視点かわかりづらい語りである。この曖昧な視点の切り替えが、我々読者でさえもブラックミックスの見分けがつかない事を揶揄しているように思えてならない。さらに、四人が入れ替わって周囲の人を欺く様は、普段我々が人を画一的に認識しているという事実を浮き彫りにする。
 扱うテーマがマイノリティへの差別やそれに伴う葛藤、復讐といったマイナスなイメージをもつものであるにも関わらず、作中に重い雰囲気はなく、むしろ軽快で飄々とした印象さえ受ける。しかし軽い文体に惑わされてはいけない。この一冊は、強い風刺と皮肉を秘めているのだ。

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銀賞:今井更紗さん(文学部 英語英米文学科 1年生)

『顔の読み方:漢方医秘伝の観相術』/丁宗鐵著/平凡社 請求記号:SN9/910

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 <顔>。たったこれだけで何が分かってしまうかご存じだろうか。健康状態に性格、そして運命まで...?
この本は、東アジア圏共通の文化である「観相」などの人相見と、体の一部だけでなく全身を診て病態を総合的に判断するところに診察の神髄を持つ「漢方医学」の共通点に興味を持った丁宗鐵氏のなんとも理解しやすく、また実践してみたくなること間違いなしの1冊である。
 人相見の歴史は古く、日本最古の医学書である『医心方』にも載っている。迷信的な記述も多くみられるが、観相についてだけではなく「男尊女卑の思想や文化が横行していた古代中国の女性像」を垣間見ることもできるため、現代に生きる私たちの目線で改めて差別問題について考え直すきっかけにもなるだろう。
 さて、おそらく本書で一番読者が手を止めることになるのは、第3章の「顔で人を読む」だ。自分の顔は吉相なのか、はたまた凶相なのか。気が付けばあなたの手には鏡が握られているはずだ。それだけではない。この章を読めば、いつも掴めないあの人の性格、自分の知らない一面にもきっと気づけるだろう。
 また、作中で最も欠かせないパートは、第4章「観相と漢方医学の密なる関係」である。なぜなら、ここを読むことで占いよりも確かな根拠をもって自分の未来が分かるからである。自身の健康状態の行く末や将来罹りやすい病気は、漢方医学の基礎である観相で読み解くことができるのだ。
 筆者は、信頼のある医者に必要なのは「権威でも権力でもなく、ただひとえに『その患者の現状』をきちんと説明できるかどうか」であると述べている。医学の原点に立ち返ってみた時、今の医療に必要なのは、どんな効果抜群の薬よりも、観相学を重んじて1人1人の患者にきちんと向き合える医師なのかもしれない。確実に医学に対する理解が変わる。読む価値のある作品である。

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銀賞:澤井雨夢さん(法学部 法律学科 3年生)

『同志少女よ、敵を撃て』/逢坂冬馬著/早川書房 請求記号:913.6/あい

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 2022年2月から、2023年10月現在。日常に戦争の足音が入り込んでくるような、得体の知れない不気味さを感じる20ヶ月だった。
終戦から78年、年が経つごとに戦争についての記事が小さくなる新聞、戦争の特集番組が短くなるテレビ。当時戦争を体験していた人から、リアリティのある言葉で戦争を語られる機会もほぼ失われた。
そんな今だからこそ、本作のような疑似体験が我々には必要だ。
本作はソ連の平和な村に暮らしていた少女セラフィマが、突如としてドイツの侵略により家族と日常を奪われ、復讐のために狙撃兵として戦場に飛び込んでいく物語だ。
過酷な訓練に耐え、狙撃兵としての十分なスキルを身につけた彼女。しかし初めて戦場を目の当たりにした時「自分の精神と肉体は、戦争を理解していなかった」ことを思い知らされる。絶え間なく鳴り響く銃声と大砲の轟音、数秒前まで会話していた味方が屍と化す様。デビュー作とはとても思えない作者の凄まじい描写力によって、読者は1942 年のスターリングラードに引きずり込まれる。そうだ、私たちも戦争を理解していなかったのだ。
「自分が怪物に近づいてゆくという実感が確かにあった。しかし、怪物でなければこの戦いを生き延びることはできないのだ。」
本作を通じて、戦争の本当の恐ろしさはその巨大なシステムによって、人間から正常な判断力と理性を奪うことにあると気づかされた。それに呑み込まれてしまってから後悔しても、全ては手遅れなのだ。そして平和は想像しているよりもたやすく崩れ去ってしまう。
我々は現実と対峙し、照準器スコープを覗いて見極めなければならない。味方を装って私たちを戦争へと向かわせるような為政者には、投票という意思表示をもって全力で抵抗しなければならない。それが、かろうじて民主主義というシステムが保たれてい
るこの国で、平和を勝ち取るための唯一の手段だからだ。
「敵」はすぐそこまで迫っている。

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銅賞:忍田睦実さん(文学部 日本文学科 2年生)

『レペゼン母』/宇野碧著/講談社 請求記号:913.6/うの

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 異なる価値観を持つ人に自分の意見をわかってもらうのは難しい。子供にとってその最たる例は親ではなかろうか。生まれ育った時代や環境が全く異なる両者は、身近でありながら、そこには確かな隔たりがある。
 本作の主人公はそんな親子関係に悩みを抱える子供、ではなく、母親だ。早くに夫を亡くし仕事と子育てを一人で頑張ってきた明子は、借金・犯罪・女性関係と、三十五歳にもなって迷惑をかけ続ける息子・雄大に悩まされていた。そんな明子は息子の嫁・沙羅を通じて、雄大と本気で口喧嘩が出来る舞台を手に入れる。ラップで戦うMCバトルである。
 「対戦する」とは、「相手のことを想像して、相手の立場になりきること」。「本当の勝負」は、「相手を理解すること」。相手のリリックをよく聞いてアンサーを返すことが求められるMCバトルは、二人が出来なかった本音のコミュニケーションを可能にした。伝わらなかった思い、自分さえ気づいていなかった心の叫び。全てをぶつけ合った果て、二人の「へその緒」は切れる。
 同じ家にいても血がつながっていても、親と子は違う人間であり、同じ考えを分かち合う必要はない。わかり合えなくても相手を理解することはできるという本作の着地点は当たり前のように見えて、共感を求めてしまう人間には、実践するのが難しい。しかし大切なことだ。他者の尊重が謳われ、あらゆる人の言葉が簡単になだれ込んでくる現代、共感と理解の使い分けは、自身の心を守る鎧となる。
一度読み終えたら、雄大の過去の所業が描かれた明子の回想シーンを、雄大の視点に寄り添いながら読んでみてほしい。そこには二人のキャラクター性を隠れ蓑にして、雄大の本音が巧妙に隠されている。"相手の立場になって考えよう"。誰もが教わるであろうコミュニケーションの基礎の難しさを、あなたは身をもって知ることができるだろう。

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審査員特別賞:脇彩乃さん(文学部 英語英米文学科 3年生)

『うけいれるには』/クララ・デュポン=モノ著/早川書房 請求記号:953.7/D97

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 「もし彼らが黙れば、石が叫ぶだろう。」これは、聖書のルカによる福音書19章にある言葉である。冒頭にこう書いてあるとおり、本作はある家庭の葛藤が庭の石の視点から描かれる。フランスのセヴェンヌ地方で暮らしていた両親、長男、長女の幸せな家族の元に、第三子である男の子が生まれた。愛らしい子どもだったが、3か月を過ぎたころ異変に気が付き、やがて目が見えず脳の情報伝達ができないことによって四肢が動かないという重度の障がいを持っていることがわかる。1章では長男、2章では長女、3章ではこの子どもが亡くなった後に生まれた末っ子が、子どもとどのように関わっていくのかを描いている。
 長男は、自信にあふれ周りに一目置かれるかっこいい少年だったが、突然彼は周囲の誰ともつきあわずに、子どもによりそう「弟中心の生活」を送るようになる。「中心」から離れて生きる人を「他者」とみなし、彼らが「普通であることを勝ち誇っている」ことがより長男を子どもに密着させ、彼の弟への思いは情熱恋愛を思わせるほど強くなる。一方長女は、これでもかというほど弟を嫌悪し、拒否していく。「不平等に対する怒り」が反抗的行動となって出てくるようになる。ある時彼女は我に返り、家族がバラバラになっていることに気づき、彼女の心を殺して家族関係の修復に立ち上がる。末っ子は、長男のまっすぐな気性、長女の生き生きとした生、子どもとの一体化を示し、兄姉全員を思わせる人物である。末っ子でありながら、家族全体が一番見えている人物ともいうことができる。
 障がいがある子どもを「うけいれるには」どうするのか、各自がもがいている。長男のようにその純粋さを愛する者、長女のように拒否反応を示しつつ自分を殺して家族を思う者、末っ子のように家族全員に気を使う者、それぞれ社会にいるであろう。「うけいれる」ことを超えて同じ人として愛を持って接することができる時代になることを願う。

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審査員特別賞:村木碧唯さん(文学部 日本文学科 3年生)

『千年後の百人一首』/清川あさみほか著/リトルモア 請求記号:911.147/きよ

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 百人一首に収められている和歌の分類の中で、恋の歌が最も多いことをご存知だろうか。春、夏、秋、冬、離別、羇旅、雑とあるが、恋の歌は全部で四十三首と半分近くを占めている。これだけ多くの和歌が収められていることから、「恋」というものがいかに人々の心を動かすものであったかがうかがえる。
 小倉百人一首の成立は鎌倉時代。歌人藤原定家が、御家人の宇都宮頼綱に依頼され、百人の歌人から秀歌を厳選したものである。現代では、かるた競技部を舞台にした漫画「ちはやふる」の影響により、百人一首や和歌のことを知る人が増えたように思う。しかし、私たちは普段から和歌を詠んだり、誰かと送り合ったりはしない。和歌の技術によって、結婚相手を決めることもない。そこが古典の世界の面白い部分でもあり、難しく感じる部分でもあるかもしれない。
 本作は、そんな百人一首を一首ずつ、アーティストの清川あさみが歌の情景を布やビーズで表現し、現代詩人の最果タヒが独自の感性で現代語に訳したものである。たった三十一文字に込められた思いをくみとり、当時と現代を重ね合わせながら編まれる美しい色彩と言葉に、ページをめくるたびに引き込まれていく一冊である。
 当時の「恋」は人々にとってどのようなものだっただろう。相手の顔を見ることなく、手紙から想像し組まれる結婚。結婚しても同居することなく、夫が訪ねてくるのをいつまでも待ち続ける夜。日が昇らぬうちに自宅へ帰らなければならない''決まりごと''。身分差によって、募り募って果たせなかった、告げることが出来なかった思い。忍んでいたのにとうとう素振りに出てしまった感情。別れた後も、いつまでも切り離せない心。はたして彼らは、そんな「恋」を辛いと感じただろうか、切なくも楽しんだのだろうか。
 あなたなら、千年前の和歌をどう訳しますか?

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受賞されたみなさまおめでとうございます。

惜しくも受賞を逃したみなさん全員に、ささやかながらも参加賞を用意しています。
参加賞の受け取りは、12月7日(木)以降に図書館2Fカウンターへお越しください。
詳しくはSEIKEIポータルよりご連絡します。

受賞作品と書籍は大学図書館アトリウムに順次展示しますので、実際に手に取ってみてください。
コピス吉祥寺内のジュンク堂書店吉祥寺店とのコラボフェアも開催予定です。

成蹊大学図書館

TEL:0422-37-3544

(平日 9:00〜17:00 土曜日 9:00〜12:00)

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