武蔵野の都市気候変化

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はじめに

 成蹊気象観測所は,東京の西の郊外に位置し,都市気候の変化をモニターするのには,最適な位置にあります.観測所初代所長の加藤藤吉氏は,観測開始から30ヶ年を経過し平年値が計算できるようになったことを受けて,気象データの解析結果を,「武蔵野の気象概要」という小冊子にまとめています.この中で,加藤氏は,武蔵野の気温が都心とほぼ並行して上昇しているが,夏季気温の上昇は吉祥寺の方が都心に比してやや低いこと,これに関係して,結氷や降霜の日数や初終日および桜の開花日等が変化していることなどを指摘しています.また,加藤氏の仕事の中には,在校生の通学区域が広いことを利用して,生徒達と東京近郊の積雪や降霜の様子を調査しているものがあります.例えば,図1は,降霜の日数について,都立化学工業高等学校との共同調査により,都心を中心にして降霜日数が同心円状に増加している様子などをとらえたものです.注意深くみると,降霜日数80日と90日の等値線が,中央線に沿って湾曲しており,これは都市化に伴って気温の変化が生じているとみることができるでしょう.

  図1.昭和14年晩秋から同15年晩春に至る1冬間の霜日数(30ヶ年報より転載)


 この「70ヶ年報」を用いると,武蔵野市周辺の都市化による気象データの変化を解析することができます.富士山と東京タワーの視程日数の解析もその一例です.ここでは気温を中心に,加藤氏の指摘した変化のその後の様子について概観してみたいと思います.


気温の変化

 まず,1926年〜1996年までの70ヶ年の気温変化について見てみましょう. 

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 図2は,その様子をグラフを使って見てみたものですが,平均気温は過去70年間で約2.1℃上昇していることが読みとれます.本観測所の平均気温は,1日の最高気温と最低気温の平均をとったものですが,平均気温の上昇は,主に最低気温の上昇によるところが大きいことが分かります.特に,冬季に最低気温の上昇が顕著に認められます.

夏日・冬日の変化

 この傾向は,図3に示すように,真夏日や真冬日の日数の変化としても見ることができます.
冬日は日最低気温が0℃未満の日を言いますが,昭和初年には年90日前後あったものが,最低気温の上昇とともに減少し,現在は年40日を下回る状態が続いています.これに対して,真夏日は,日最高気温が25℃程度以上の日を言い,こちらの変化はさほど大きくありません.また,真冬日の減少に伴って,降霜や結氷の日数も減少します.


霜・雪・氷日数の変化

 霜日数は,ある年の晩秋から翌年の晩春までの降霜のあった日数を示したものです.降霜については,観測開始当初から市内にあった加藤氏のご自宅の庭を利用して観測をされていました.しかし,観測を退かれた後は,観測担当が通いとなったため,霜の観測が学校始業前頃(8時すぎ)となり,これによって1965年頃を境に霜日数が減少しています.結氷の方は,霜よりも観測の難しさはないので,双方を合わせるとやはり激減していると考えてよいようです.同様に,霜・氷の初日は次第に遅れ,反対に終日は早くなります.また,結氷の厚さの積算値も急激に減少し,桜の開花も早くなる傾向が認められます.

 このように,70年間の間に冬の冷え込みが弱められる傾向が分かります.都市化のない観測点と比較しないと断定的なことはいえないのですが,地球温暖化の効果はこれほど大きくはないので,この気温上昇はほぼ都市化に伴うヒートアイランド現象によるものと考えてよいようです.

湿度の変化

 このように,冬の間の気温が上がるのは,過ごしやすくなるようにも思えますが,一概に「よい」とは言えないようです.次の図は,午前9時の湿度の年平均の経年変化を表したものです.これを見ると,年々わずかずつですが湿度が減少し,40年間でやく4%近く下がっています.空気の中に含まれている水蒸気の量が同じ場合,気温が高くなるほど湿度が下がります.ですから,これも気温上昇の影響であるとともに,地面や植物からの水蒸気の蒸散が減っていることも関係がありそうです.従って,都市化によって気温上昇とともに乾燥化も進んでいることになります.


気圧の変化

 同じような傾向を示すデータには,他に気圧があります(図6).こちらは40年間で1hPa程度の低下が見られます.こちらの方は,原因はよくわかりません.


おわりに

 このように,学校で行っている観測なのですが,少しグラフを書いてみただけで,いろいろなことが分かります.授業や講習などで年報をご利用頂いて,身近な環境の変化について考えて頂くのもよいかと思います.何か面白いことが分かりましたら,成蹊気象観測所の方にもお知らせ頂ければ幸いです.