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近代小説の誕生:書簡体小説と「覗き見」趣味

文学部

近代小説の誕生:
書簡体小説と「覗き見」趣味

「小説」を「小説」たらしめるものとは何でしょうか?私たちが世界史や古文の授業で習う『ドン・キホーテ』や『源氏物語』と「小説」は一体どのような点で異なるのでしょうか。今回は「近代小説」の成り立ちと、その普及の背景についてアニメーションでわかりやすく解説します。

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ABOUT STUDY

大学での学び

-テキストバージョン-

01

小説の誕生

小説とはなんでしょうか。どんな作品が小説と呼ばれるのでしょうか。その質問にお答えする前に、小説が18世紀半ばのヨーロッパで生まれた、比較的新しいものだ、ということを確認しておきましょう。

小説のことを英語でnovelと言います。形容詞のnovelは「新奇な」、つまり「新しくて変わっている」という意味でした。小説が18世紀半ばに誕生したとき、それは「新しくて変わって」いたものだったのです。

では小説はどんなものと比べて「新しくて変わって」いたのでしょう。そもそも、18世紀以前に小説がなかったとしたら、人々はなにか読み物を手に取ったことがあったのでしょうか。

18世紀半ばのヨーロッパで生まれた小説

NOVEL=NEW, STRANGE, UNUSUAL

小説はどんなものと比べて「新しくて変わって」いた?

02

小説以前に誕生した「物語文学」

スペインのミゲル・デ・セルバンテスが17世紀に出版した『ドン・キホーテ』は小説ではなかったのでしょうか。あるいは『アーサー王と円卓の騎士』は? 日本では11世紀に『源氏物語』が書かれていますが、これは小説ではないのでしょうか? 小説以前に誕生したこれらの作品は、しばしば「物語文学」と呼ばれます。

また、これらの作品とはっきり区別するために、18世紀半ばに誕生した小説を「近代小説」と呼ぶこともあります。では、近代小説は『ドン・キホーテ』や『アーサー王と円卓の騎士』と比べてどこが「新しくて変わって」いたのでしょうか。

『ドン・キホーテ』

『アーサー王と円卓の騎士』

『源氏物語』

小説以前に誕生したこれらの作品は、「物語文学」と呼ばれます

18世紀半ばに誕生した小説「近代小説」との違いとは?

03

物語文学と近代小説

「物語文学」はその名の通り、「ものを語る」ことをします。近代小説も出来事を「語る」のですが、「語る」だけでなく「描写」することにも力を入れます。

近代小説の書き手たちが、とくに関心を持っていたのは「心理描写」でした。登場人物の内面を克明に描写する・・・近代小説が「新しくて変わって」いたのは、物語を「語る」だけでなく、登場人物の内面に分け入って、今どんなことを考えているか、どんな気持ちなのかを読者に詳しく説明したからなのです。

そのような近代小説の代表作の一つに、サミュエル・リチャードソンというイギリスの小説家が1740年に書いた『パミラ、または報われた美徳』というものがあります。パミラというのは主人公の15歳の女性の名前。

彼女は貴族の屋敷で召使として働くうちに、屋敷の若主人B氏に目をつけられて何度も誘惑されます。しかしパミラは、身分の低い自分はただ愛人にされるだけだとわかっているので、そのたびに拒絶します。貞操を守る彼女の決意が固いことを知り、また自分がパミラを真剣に愛していることがわかったB氏は、彼女と結婚することにします。その後もパミラの結婚生活を脅かす事件はいくつか起こるのですが、彼女は黙って耐えます。身分違いだと馬鹿にしていたB氏の周囲の貴族たちも、パミラのことを誉めそやすようになります。

「物語文学」

近代小説の書き手たちが関心を持っていた「心理描写」

サミュエル・リチャードソン『パミラ、または報われた美徳』(1740)

屋敷の若主人B氏に目をつけられて誘惑されるパミラ

身分の低い自分は愛人にされるだけだとわかっているので、拒絶するパミラ

パミラと彼女と結婚することにした若主人B氏

貴族たちに誉めそやされるパミラ

04

小説の副題「報われた美徳」

小説の副題の「報われた美徳」とは、彼女が誘惑に負けずに自分の貞操を守った結果、貴族と結婚できたことを表しています。

こうやって物語の筋だけ説明すると、どこが「新しくて変わって」いたのかわかりませんね。じつはこの作品では、パミラが両親に書き送る手紙として――のちには、B氏に監禁されて手紙が送れないようになると、パミラがつける日記として――パミラの身の上に起きた出来事が語られます。

小説の副題「報われた美徳」

手紙や日記へ身の上に起きた出来事を綴るパミラ

05

書簡体小説

手紙や日記ですから、パミラはその日に起きた出来事をただたんたんと語るのではなく、そのとき自分がどう思ったか、どう感じたかを赤裸々に書き留めます。手紙のことを書簡ともいうので、『パミラ』は書簡体小説と分類されるのですが、18世紀半ばにかけてこのような書簡体小説は数多く書かれました。

ドイツではゲーテが1774年に『若きウェルテルの悩み』を書き、フランスではラクロが1782年に『危険な関係』を書いています。

書簡体小説では、読者は主人公の内面をまるで覗き見するようにはっきりと見てとることができます。みなさんは、家族の日記を盗み見したり、友人の書いたブログの記事を読んで、自分に向けて直接は言わないような気持ちが書かれていて、ドキドキしたりしたことはありませんか。私たちは周囲の人物が何を考えているのか、どんな気持ちでいるのかと、始終考えながら生きています。

自分がどう思ったか、どう感じたかを赤裸々に書き留めるパミラ

ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(1774)

ラクロ『危険な関係』(1782)

主人公の内面をまるで覗き見しているような「書簡体小説」

内面を覗き見しているようでドキドキしている様子

周囲の人物が何を考えているのか?どんな気持ちでいるのか?

06

近代小説

近代小説が「新しくて変わって」いたのは、ただ起きた出来事を語るだけでなく、なかなか知ることのできない他人の内面を覗き見する興奮を読者が味わえたからなのです。

18世紀以前の物語文学でも、登場人物の内面の心理は描かれていました。しかし大抵は、心理描写は「語り」に組み込まれ、軽く説明されておしまいでした。それは一つには、物語文学は必ずしも「読む」ものではなかったからです。

昔は読み書きできる人は限られていました。貴族や僧侶などの身分の高い家に生まれなくても、万人が等しく教育を受ける権利があるという考えは、17世紀から18世紀にかけての一連の市民革命を経てようやく広まりかかっていたところでした。

したがって、物語は読み書きのできる人が読み聞かせるもの、あるいは「語り物」と呼ばれる演芸として、誰かが演じてみせるものでした。「演じられる」ものとしての物語文学は、内面の心理を克明に描かなくても、演じ手が熱演すれば伝わります。わざわざ詳しく「書き込む」必要はありません。

18世紀以前の物語文学

物語文学は登場人物の内面の心理をサラッと説明されておしまい

必ずしも「読む」ものではなかった18世紀以前の物語文学

昔は読み書きできる人は限られていた

物語を読み聞かせる演者

聞き手に物語を熱演する演者

07

近代小説の普及

近代小説の普及には、社会全体の識字率の上昇と、それに伴う黙読の習慣の定着が大きな役割を果たしました。本を一人で黙って読むには、それまでの物語文学にはない様々な「仕掛け」を必要とします。その仕掛けの一つが、この「描写」を詳しく、克明に、「リアルに」行うことでした。

逆に言うと、一人でこっそり読むからこそ、他人の生々しい内面をまるで覗き見るような楽しみが味わえたのです。誰かが読み聞かせてくれるのを聞いたり、あるいは語り手がみんなの前で熱演するのを聞いたりするには、気恥ずかしいような内容。小説の心理描写はそんな「禁断の果実」とでもいうべき楽しみを読者に提供しました。従来の物語文学にはない、そのような魅力を持っていたからこそ、18世紀半ばに誕生した小説は、ごく短い期間に多くの人々から支持を得るようになったのです。

社会全体の識字率の上昇とそれに伴う黙読の習慣の定着

『パミラ、または報われた美徳』を読む少女

リアルな描写

リアルな描写

こっそり1人で読むことで、他人の生々しい内面を覗き見るような楽しみ

誰かの読み聞かせや熱演を聞いたりするには、気恥ずかしいような内容

小説の心理描写はそんな「禁断の果実」とでもいうべき楽しさ

ごく短い期間に多くの人々から支持を得た「18世紀半ばの小説」

08

成蹊大学で学ぶ「批評理論」

成蹊大学文学部英語英米文学科 日比野(ひびの)啓(けい) 教授の講義「批評理論」では、このような小説の特徴や批評理論について、さらに詳しく学ぶことができます。日比野教授はその魅力について「批評理論を学ぶと、小説にかぎらず文芸全般を、これまでとは異なる見方で捉えることができるようになり、新たな面白さを見出せるようになります。」と語ります。

さて、あなたは文学にどんな魅力を見出すでしょうか?ぜひ、成蹊大学でその答えを聞かせてください。

成蹊大学 文学部 英語英米文学科で学ぶ「批評理論」

批評理論を学ぶことで、小説にかぎらず文芸全般の面白さを見出せる

あなたは文学にどんな魅力を見出すでしょうか?

成蹊大学でその答えを聞かせてください

日比野 啓 教授
日比野 啓 教授

近代小説の誕生:書簡体小説と「覗き見」

YouTubeやTikTokを見ていると、時間があっという間に経ってしまいます。そうしたネットコンテンツと違い、小説はたいてい長いし、読み通すのに時間がかかって面倒くさい、そう感じている人は多いでしょう。その一方で、読書はネットやアニメを見るよりずっと知的な営みであり、「高級」なのだ、となんとなく思っている人もいるかもしれません。

しかし「近代小説」(modern novel)が誕生した18世紀から19世紀にかけて、つまり小説が現在のYouTubeやTikTok同様、最新のメディアだった時期、小説は夢中になって読むもの、面白くて時間が経つのを忘れてしまうものでした。

その一方で、小説を読むことは今ほど「高級」なことではなかったし、ときには「下品」な趣味だと思われたりもしました。なぜ当時、小説はそれほどまでに人々が熱中し、一部の人々からは俗っぽいと軽蔑されたのでしょうか。この講義では、「書簡体小説」と「覗き見」という二つのキーワードを使ってその理由を説明します。

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成蹊大学文学部にはご紹介した学びの他にもさまざまなテーマに取り組む少人数のゼミがあり、教員と学生が近い距離の中で日々の学びに取り組んでいます。