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ドイツ文書館おもしろ事情
川村陶子【国際文化学科】

皆さんは、文書館というとどんなイメージを持ちますか?古びた書類が山積みになっていて、静かで無機質な空間?ドイツの文書館には、書類だけでなく建物にもおもしろいエピソードが詰まっています。ここでは、私が利用している文書館のひとつ、ベルリンの外交史料館をご紹介しましょう。

ドイツでは東西統一後の2001年、西部のボンからベルリンに首都移転が完了し、外交史料館も新しくベルリン中心部に設置されました。隣の外務省本省はガラス張りの新しい建築ですが、外交史料館は昔の建物を再利用しています。ただ、昔といっても、ドイツの旧市街によくある100年やそれ以上の歴史を持つクラシックな建物ではありません。東京の古いビルにもありそうな、コンクリートの四角い、丈夫そうだけれど何だか退屈な建物です。

正面玄関には立派な装飾が施されていますが(写真1)、この玄関ドアの重いこと。力持ちを自負する私でも、両手で一生懸命押さないと開きません。気合いを入れて「ふぅっ!」と押して入ると、パスポートチェックのおじさんがガラス窓の向こうからニコニコ笑って迎えてくれます。

閲覧室は一番上の階にあります(写真2)。天井が高く、よく見るとぽつぽつとシャンデリアがついています。教壇のように一段高い箇所があり、そこに文書館の職員(司書)が座っていて、しまってある書類の閲覧リクエストにこたえてくれます。

ここで私は、1950年代から70年代にかけてボンの西ドイツ外務省や世界各地のドイツ大使館が作成した、文化交流に関する書類を片端から見ていました。会議の記録、手紙、報告書。外交官たちが走り書きしたメモ。ときには、亡くなった有名な政治家の直筆サインも出てきます。

目を奪われながら毎日過ごすうちに、なぜか体調が悪くなってきました。アレルギー性鼻炎のようですが、咳も出ます。何だか胸も苦しく、いやな気分です。閲覧室では学生や研究者たちが黙々と作業しているので、私のくしゃみや咳の音はかなり目立ちます。「教壇」の上の司書さんも、私がリクエストに行くと小声で「のど飴あげましょうか?」と言ってくれたりしました。

どうしてもくしゃみが止まらなかったとき、近くに座っているアマチュア研究者風のおじさまがそっとティッシュを恵んでくれました。それをきっかけに彼と仲良くなり、ロビーで昼ご飯を一緒に食べるようになりました。ある日おじさまが語ってくれた話は、私を驚愕させました。「実はこの史料館の建物、旧東ドイツ時代に使っていたビルなので、アスベストが残っているという噂があるんですよ。ご健康に影響が及ばないといいんですが。」

調べてみると、この史料館の建物は、旧東ドイツ時代に政権を独占していた社会主義統一党の中央委員会が使っていたのだそうです。もとはナチス時代に銀行が建てた建物ですが、一番長い所有者はこの旧東独の党でした。私が通っていた最上階の閲覧室は、レセプションルームとして使われていたようです。天井のシャンデリアは、党のお偉方やソ連からのゲストたちを見下ろしていたのでしょう。司書さんが座っていたのは教壇ではなく演壇で、ウルブリヒトやホーネッカー(党書記長)がここから社会主義万歳を叫んでいたと思われます。

私の咳は滞在中ずっと続きましたが、ベルリンを離れると収まりました。幸いアスベストの被害はなかったようです。でも、あの閲覧室の空気には、冷戦時代に社会主義独裁の圧力を受けた人たちの苦しみや、ベルリンの壁崩壊後に権力を失った人たちの恨みが詰まっていて、そうした「気」が見えないストレスになって私にのしかかっていたのかも知れません。今度訪れるときには、そうした昔の人たちに思いをはせながら仕事をしたいと思っています。

ドイツは地方分権の国です。今日はベルリンの文書館をご紹介しましたが、全国各地の都市にも公立の史料館・図書館があり、それらが皆独自の歴史をもっています。また機会があったら別のエピソードをお話ししましょう。

  • 写真1

  • 写真2