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精神分析とは何か?
遠藤 不比人【英語英米文学科】

皆さんは「無意識」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?おそらく「無意識にやってしまった」というような表現を聞いたり話したりしたことがあるかと思います。このような普通の会話での表現では「そのときは意識しなかったけれど後でそうだったと気がつく」というような意味になるのだと思います。しかし、精神分析でいう「無意識」の場合は、ある言動をした際の動機を本人が知ることはできません。しかも、この種の行動を知らずに繰り返してしまうが、その振る舞いが本人や他の人を傷つけることがあります。明らかに自分や他人にとってマイナスであるのに、その行動を反復してしまい、そうであるのにそれを止めることもできず、またその動機もまったく理解できない。そのような状態を説明するときに、精神分析は「無意識」という用語を使います。

精神分析的な無意識とは、本人が思い出したくない子供の頃の出来事と結びついていることが多いです。虐待までいかなくても、自分は親に愛されなかった、冷たくされた、というような辛い経験は、幼い子供にとっては耐え難いものです。そのために、そのこと自体を記憶の中から消去することを「抑圧」と精神分析ではいいます。しかし、この抑圧されたものはデータとして完全に消去することができずに、それは別の形でよみがえって来ます。それを「抑圧されたものの回帰」と呼びます。

一つの例を挙げましょう。父親がアルコール中毒で自分を愛するどころかよく怒鳴ったりして怖かったという経験をもつ女の子は、この記憶を抑圧します。しかし、大人になってから父親と同じようにお酒を飲んで自分に乱暴な言葉を使うような男性との交際を繰り返しては破局し、またそのような関係を繰り返す、そのような人生を彼女は送ってしまうというケースがあります。これはなぜでしょうか?いくつかの説明が可能です。まずは、不幸な父親との関係を無意識に生き直して、父親の代わりの別の男性に愛されることで、その不幸な過去を書きかえようとするような欲望を考えることができます。その乱暴な男性は無意識的に父親の代わりですから、同じタイプになります。別の説明はこうなります。「父親に愛されなかったのは私が悪い子であったからだ」という自責の念がこの女性の無意識にあるとします。可哀想なことに、親に愛されなかった子供は自分にその価値がなかったと無意識に自分を責めることが多いのです。この無意識の罪の意識ゆえに、この女性は父親の代わりの男性から父親と同じように自分を乱暴に扱ってもらうことで、自分を無意識に罰しているのです。しかし、本人にこのようなことを指摘しても、絶対に認めることはありません。このような辛い経験や自意識は、本人にとって耐えることができないからです。ですが、その辛い体験の繰り返しも止めることができない、そのような状態になります。

一見したところ説明がつかないこのような自傷的行動を精神分析では「神経症」と呼びます。これは普通の心理学では説明がつきません。この説明を最初に試みたのが、ジークムント・フロイトで、20世紀の初めにこのような「無意識」を解明するために精神分析を始めました。

人間の行動を知らぬ間に支配するこの「無意識」の力を物語にも認めることができます。作家や詩人や映画監督が作品を創造するときにも、彼/女らが知らぬ間に「無意識」がいつの間にか働いています。そのような無意識は別の形となって作品の中に現れていることがあります。彼/女らの過去の体験が、登場人物の行動や発言となって反復している可能性があるのです。このように、フロイトの精神分析は、私たち個人や友人の行動、小説や映画を分析するときに、他のやり方では見ることも知ることもできない物語の真の隠れた意味を解明することに大いに役立つのです。


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