新型コロナウィルス感染症、激甚化する自然災害、ロシアによるウクライナへの戦争など、私たちは「災害」が日常となった世界に生きています。ウィルスも天災も人間のいのちや生活に直結し、「生」を取り巻く住環境や医療をめぐる格差、それに人種間にある緊張を露わにします。「災害」は平時には覆い隠されている、あるいは放置されてきた不平等の構造や脆弱な社会インフラを露わにします。
2010年1月にカリブ海のハイチ共和国を襲った大地震をご存じでしょうか。死者の数は22万とも30万を超えるともされ、ハイチの10人に一人がホームレスになったといわれるこの大災害を世界がどれほど記憶しているか、疑わしいものです。そこには災害がどの国を襲うかによって世界の受けとめ方の深刻さが異なるという、記憶格差ともいうべき事態が見受けられます。
災害のあとにはそれを描く文学が登場します。ジュノ・ディアスはハイチ地震に触発された小説「モンストロ("Monstro")」を2012年に発表しています。伝統的にハイチと仲の悪い隣国ドミニカ共和国出身のアメリカ作家によって書かれていることが面白いところです。
2030年ころのイスパニョーラ島を舞台とするこの近未来小説では、地球温暖化の海面上昇によって島国ドミニカ共和国の大部分は水没し、金持ちはドームに覆われて空調の効いた高層マンションに心地よく暮らす一方、貧しい人々は暑い地べたを這うように暮らしています。隣国ハイチでは未だ大地震からの復興はなされず、人々はキャンプで暮らしています。キャンプから謎の感染症「ラ・ネグルラ」(スペイン語で「黒」を意味します)が現れ、ハイチの人々が次々に感染していきます。元々黒いハイチ人をさらに黒くするこの新しい感染症を、一部の医療関係者を除いて世界はまともに取り上げませんが、やがてラ・ネグルラ感染者が爆発的に増大し、そのなかから12メートルの巨大人食いモンスターが誕生するや国際社会はこれに対処すべく軍を編成し、プエルトリコを飛び立った爆撃機が核爆弾と思しきものをハイチの首都ポルトープランスに落とし、ハイチを破壊するという物語です。
小説「モンストロ」は、旧フランス植民地で、奴隷としてアフリカから連れてこられた人々の子孫が大多数のハイチの「黒さ」に対し、旧スペイン植民地のドミニカ共和国はヨーロッパ系の「白さ」とその人種的優越性を誇るという両国の関係、ハイチを発祥地とするゾンビ、ハイチが世界的感染の震源地と捏造された病エイズ、それに何より未だに修復されないアメリカ合衆国によるハイチの軍事的支配の過去と両者の植民地主義的関係をめぐって、文学的想像力が横溢した一見破天荒な小説です。
しかしディアスのこの小説は私たちに「災害」をめぐる真摯な省察を促します。それは小説のタイトルによく現れています。タイトルの"Monstro"はその発音から英語のモンスターを連想させ、小説に描かれた謎の怪物、あるいは破壊者としてのアメリカを意味しているようですが、英語でもスペイン語でもないディアスの造語です。英語のmonsterは「現れ出る」という意味のラテン語起源の言葉で、demonstration(表出)やmonitor(監視)とも同語源の言葉です。「怪物」など不吉なものや奇怪な生き物の出現は、神の「警告」と捉えられたことと関わっています。ディアスの「モンストロ」は私たちに、「災害」がどのような未来の予兆になっているのか、「災害」が露わにする国家間の過去の経緯や等閑視されてきた深刻な問題に目を向けるよう訴えかけているのです。
また「モンストロ」には次のような一節が登場します。
ハイチで毎月何百人が恐ろしい感染病に罹ったところで、そんなものは釣り銭のようなものだ。誰が気にする? ハイチは決してロシアにとってのクリミアではないのだから。
ハイチはクリミアのような地政学的にも政治経済的にも軍事的にも意味をもつ場所ではない――。この小説が2014年のロシアによるクリミア併合以前に書かれていることを思うとき、文学がもちうる警告を発する重大な兆しの力、つまりモンストロの力に思い至るのです。