成蹊教育基本理念

学園長メッセージ

成蹊学園と吉祥寺の100年

成蹊学園学園長 亀嶋 庸一

成蹊学園は、1924年に池袋から現在の吉祥寺に移転しました。当時の地名でいえば、東京府北多摩郡武蔵野村吉祥寺字野田北になります。学園校歌にあるように、文字通り「土の育む武蔵原野の林」が辺り一面に広がるのどかな風景の地でした。

その翌年に旧制の七年制高等学校が学園に設置され、それを母体として戦後に新制の中学、高校、大学が誕生し、成蹊学園は小学校から大学、大学院までを擁する総合学園として発展してきました。1949年に創設された成蹊大学は、当初、政治経済学部一学部からなる単科大学でしたが、60年代に入ってから工学部(現 理工学部)と文学部が増設され、そして1968年には政治経済学部が経済学部と法学部とに改組されて現在の4学部構成となり、大学も総合大学として発展を遂げてきました。

まさに、この成蹊の発展と時を同じくして、吉祥寺も大きな変貌を遂げてきたのです。1970年以降、伊勢丹をはじめとするデパートが次々と吉祥寺に進出し、ジャズやクラシックなどの音楽喫茶、ライブハウス、そしてファッションの店や様々なレストランが立ち並び、吉祥寺はそれまでの中央線沿線の他の駅と同じような買い物中心の街から、若者の街"ジョージ"としてその名を全国に知られるモダンなカルチャーのタウンに一挙に生まれ変わったからです。この頃、学部増設により在籍学生数が一学部時代の約1000人から4学部時代の7000人台にまで増えてきた成蹊大学の学生は、発展する吉祥寺でのシティ・ライフを楽しみながら青春を謳歌してきたということになるわけです。

現在の吉祥寺は、デパートの数こそ減ったものの、かつてと同様、時代の先端を行く活気ある街であると同時に、東京でも有数の自然と文化に恵まれた閑静な住宅街を擁する地域でもあります。成蹊学園は、このような理想的な立地条件を享受するとともに、これまで様々な取り組みを通じて地域の発展に関わってきましたが、2014年に成蹊大学と武蔵野市との間に包括連携協定を結び、さらには2018年に成蹊学園と吉祥寺今昔写真館委員会との間に地域映像アーカイブ協定を結ぶなど、地域との連携の一層の強化に努めています。今後も、成蹊学園は、"ジョージ・タウン"の学校、大学として、武蔵野市や市民の皆様とのコラボを積極的に展開し、地域の発展に貢献してまいりますので、引き続き成蹊学園の活動にご理解とご支援を申し上げる次第です。