成蹊の名前は、『史記』の作者 司馬遷が「李将軍列伝」で、李廣の人物を讃えるために引用したことわざ「桃李不言下自成蹊」に由来しています。成蹊教育が目指す理想として、学園の中にしっかりと息づいています。
成蹊実務学校の開校式を10日後に控えた1912(明治45)年3月23日、近隣からの類焼で、新築されていた校舎は全焼してしまいます。中村春二は「教育は建物ではなく精神である」とし、仮校舎を急造し、予定通りに開校式を行います。成蹊学園では、中村春二が教育に対する不退転の決意に至ったこの日を「建学の日」と定め、建学の精神を永く継承しています。
心力歌は、漢文調の文章で、人間の持つ何事をも乗り越える己の心の奥底にある「尊い心」を気づかせるために日々音読されていました。また、凝念は成蹊学園独自の行為で、精神を集中・持続する習慣を養うものです。どちらも中村春二の考えによってつくられ、成蹊実務学校の時代から教育手段の一つとして取り入れられてきました。
「成蹊の歌」は「海ゆかば」などで著名な信時潔の作曲、松尾芭蕉の研究家で俳人の志田義秀(素琴)の作詞によって、1927(昭和2)年につくられました。その後、式典などの席上で歌われるようになり、校歌として定められました。
校旗などに使われているスクールカラーは「紺青(こんじょう)色」という色で、日本に伝統的に伝わる色彩の一つです。校章は「桃李不言下自成蹊」に由来する桃の実をモチーフとし、デザインは中村春二自らが考案したものです。また、ロゴマークは桃を新しく表現したデザインで、SEIKEIの文字は漢字「成蹊」のルビとしての役割を果たし、インターナショナルに開かれたコミュニケーションのシンボルとなっています。
創立100周年記念映画「たしかなあしぶみ~なかむらはるじ~」のDVDや、学園の隠れキャラクター ピーチくんをモチーフにした文具など、さまざまな成蹊学園オリジナルグッズをご紹介します。