緑豊かで、ここへ来るとホッとします。
渡辺先生が成蹊小学校で過ごされたのは80年ほど前になりますが、入学のきっかけや当時の思い出についてお聞かせください。
自宅が荻窪でしたので近かったこともありますが、私の父親が成蹊小学校の教育を気に入っていたのでしょう、お世話になることになりました。今ではちょっと想像がつかないと思いますが、その頃は周りに建物も少なく、あたり一面すべてが成蹊と言ってもいいくらい、本当に広々としていましたよ。今でも緑が豊かで、ここへ来ると何かホッとする気がします。
学校生活は質実剛健と言いますか、とにかくスパルタ教育でした。バスには一切乗らせない。破れた服はきちんと繕わされる。毎朝の凝念、これは今も続いているようですね。そうそう、肥担桶(こえたご)を担いで畑まで運ぶ作業もよく覚えています。成蹊には当時の日本のトップリーダーの子女も多く通っていましたが、お坊ちゃまもお嬢様も一緒になって担ぎました。こういう荒っぽさ、男女分け隔てのないところは、私にとってはけっこう快適でしたね。そんな校風のためか、10人ほどいた女子はみんな元気が良くて。野球や鉄棒をやったり、松林を駆け回って遊んだり。成績も1番から5番くらいまでは女子だったんじゃないかしら。私も含めて(笑)。
成蹊は家族のような学校でした。
印象に残っている先生はいらっしゃいますか。
先生方は皆厳しく、そして子どもたちをとても可愛がってくださいました。恩師の※渋谷先生をはじめ、どなたも素晴らしい先生ばかり。音楽の※草川先生が特に厳しくて、授業中にふざけた男子を叱るお姿が思い出されます。今の時代は、先生も親も上手に叱ることができなくなっているのではないでしょうか。私は今、大学の理事長という立場にあり毎日学生と接していますが、叱ることを全然怖がっていません。怒りはしませんけれど、よく叱りますよ。
入学してすぐの頃、渋谷先生がこうおっしゃったことをいまだに覚えています。「校門を通る時は必ず守衛さんに、先生にするのと同じ態度でご挨拶しなさい」。これは自分の周りにいるすべての人を尊ぶこと、お互いがお互いの「おかげ」で生きていることを、身を持って学ばせるためだったのでしょう。こうした成蹊の先生方の教えは今でも私の中に息づいています。
厳しさの中にも、先生と子どもたちの深い絆が感じられますね。
先生ばかりではなく、旧制高等学校などの先輩方もよく可愛がってくれました。夏の学校で軽井沢に行った時もみんなでついてきてくれたり、泳ぎを教えてくれたり。試胆会の夜、先輩方が私たち小学生を驚かせた悪戯も懐かしく思い出しますね。私の近所にいらっしゃった6、7歳上の先輩は学校まで手を引いて連れてってくださいました。その大好きだった先輩も含め、たくさんの方が兵隊にとられてしまいましたけれど...。
私どもの同級生仲間は毎年ずっと同窓会を続けておりましたように、思えば、先生、先輩・後輩、同級生と、成蹊は家族のような学校でした。
※渋谷光長(しぶや・みつなが)先生
1918(大正7)年から1938(昭和13)年まで在職。渋谷先生は中村春二先生からの信頼も厚かったという。
中村先生13回忌の発行『恩師の面影』も渋谷先生のお世話で発行されたもの。
※草川 信(くさかわ・しん)先生
1927(昭和2)年から1948(昭和23)年まで在職。音楽科(唱歌)の担当として着任。疎開学園にも
出かけて唱歌の指導をされた。成蹊踊、箱根山の歌、箱根寮の歌、旧制高校寮歌などを作曲。
自分の道は、自分で選ぶことが大事です。
成蹊教育の真価は「心の力」を育むことにあると思いますが、渡辺先生は人が生きていく上で大切な力についてどのようなお考えをお持ちでしょうか。
我慢する心が大切だと思います。自分の欲望を抑えることとか、人が困っているのを見たら、自分のことは我慢して助けに行くこととか。昔はどちらかというと兄弟が多かったからかも知れませんが、我慢強さや人に譲る心が当たり前のようにあったと思います。多くの学生たちと接していて、今の若者は打たれ弱いように感じますね。ちょっとしたことで気を落としたり、人の思惑を気にしたり。だから、そんなことでメソメソしていても世の中通らないわよ、なんてよく学生に言っています。私の母はよく「ならぬ堪忍、するが堪忍」という言葉を私たち兄弟に言い聞かせました。誰もができる我慢は我慢の内に入らない、普通ならできない忍耐をしてこそ「堪忍」の名に値するということです。母自身が子どもの目から見ても本当に我慢強い人で、その背中から学んだことは私の生涯を何度も支えてくれました。我慢する。努力する。そういった徳目を、幼い時から愛情を持って身につけさせること、あるいは自ら体現することが、親にも教師にも大事なのではないかと思います。
先生の著書に『置かれた場所で咲きなさい』という大ベストセラーがございますが、がんばっても「咲けないとき」にはどうしたらよいのでしょう。
仕事や結婚生活などで挫折し悩まれて、同じように尋ねられる方もいらっしゃいます。そんなとき私は「次に咲く花が大きく美しくなるように、下へ下へと根をおろしなさい、そしてそれを広げて根を張りなさい」と答えています。希望を持って、踏んばって、努力して、それでもどうしてもダメな場合は、離職なり離婚なり、背を向けてしまってもいいと思う。それも一つの勇気です。ただ、その選択・判断が自分にとって本当に良いかを見分ける「叡智」が必要です。道を選ぶ時によく考えること。「自分で考え、自分の意志で選んで責任を取る」ということが大切だと思います。それが、大人になるということでもあるのではないでしょうか。
理事長のお仕事、講演会、執筆と、お忙しい毎日だと思います。体や心のリフレッシュのために行っていることはございますか。
修道者の義務のようなものですが、神様の前で祈る「メディテーション」という時間があります。私にしてみたらこれは有難い特典でして、毎日1時間、必ず行っています。その時に、私は聖人でも何でもない普通の人間ですから、神様にけっこう愚痴もこぼすんですよ(笑)。こんな酷いこと、こんな理不尽なこと、あっていいんですか、って。けれども何のお返事もいただけないから、ま、しょうがないわねと思って、そういう日にはひと思いに寝てしまいます(笑)。
困難に打ち克つ「心の力」を鍛えてほしい。
卒業生を含めた成蹊学園のたくさんの後輩たちに向けて、何かメッセージをいただけますでしょうか。
後輩たちにメッセージとおっしゃっても、もう80年経って、時代もずいぶん変わっていますからね(笑)。ただ、今日も何度か出てきましたけれど、「心の力」を鍛えることを忘れないでほしい。何か今の時代、お金を増やすとか見た目を良くするとか、そんな表面的なことばかりに目を向ける人が多くなっていますが、人の心は傷つきやすいものでして、いかなる困難にも打ち克つ心を育むことが何よりも大切だと思います。
そして、鍛えるだけが能ではありません。「ねむの木学園」の宮城まり子さんは「やさしくね、やさしくね、やさしいことはつよいのよ」と表現されていらっしゃいましたが、心の優しさこそ心の強さにつながり、また、心が強いから人に優しくなれるんだと思います。私もたまに腹が立つようなこともありますけれど(笑)、そんな時にはグッと我慢して、その方に優しい言葉をかけるようにしています。
渡辺和子先生の大ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)の数々の名言の中から、幾つかをご紹介させていただきます。
困難に打ち克つ「心の力」を鍛えてほしい。
境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。「現在」というかけがいのない時間を精一杯生きよう。
苦しい峠でも必ず、下り坂になる。
人はどんな険しい峠でも越える力を持っている。そして、苦しさを乗り越えた人ほど強くなれる。
"あなたが大切だ"と誰かにいってもらえるだけで、生きてゆける。
人は皆、愛情に飢えている。存在を認められるだけで、人はもっと強くなれる。
人生にポッカリ開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる。
思わぬ不幸な出来事や失敗から、本当に大切なことに気付くことがある。
倒れても立ち上がり、歩き続けることが大切。
時には立ち止まって休んでもいい。再び歩き出せるかが、目標達成の分かれ道。
子どもは親や教師の「いう通り」にならないが、「する通り」になる。
子どもに何かを伝えるのに言葉はいらない。ただ、誠実に努力して生きていくだけでいい。
信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく。
この世に完璧な人間などいない。心に2%のゆとりがあれば、相手の間違いを許すことができる。
自分が積極的に動いて、初めて幸せを手に入れることができる。
他人まかせでは幸せは得られない。自分が光となって世の中を照らそう。