SPECIAL INTERVIEWvol.101

Special Interview 蹊を成す人
感染症疫学研究者 落合 利穏

感染症疫学研究者落合 利穏


「今を生きる」の精神で、
常に挑戦しつづける。


伝染病など、集団疾病の発生原因や予防について研究する疫学の専門家として、アジアを中心に世界各国で感染症対策に尽力されてきた落合さん。
「現場で働くフィールドタイプ」と語られるそのルーツには、十代で海外に羽ばたいた"探求心"がありました。

小学校から成蹊で過ごされた落合さんですが、成蹊学園とはもともと縁が深かったそうですね。

私の曽祖父は成蹊学園の校医として、創立者・中村春二先生のお手伝いをしていました。同じく医師だった祖父と父も成蹊の出身だったので、自然と小学校から入学しました。いざ入ってみると、成蹊の個性尊重の校風と、「好きなことをやれ」という我が家の方針とに通じる部分があって。「興味を持ったからにはその時やらなきゃ」と、いろいろなことに挑戦しましたね。

学園生活で特に印象深いことはありますか。

たくさんありますが、思い出深いのは、夏の学校です。当時は小学校の4年生と6年生、中学の1年生の時に海での遠泳があり、師範※と呼ばれるコーチを卒業生が務めます。先輩たちの大きな体を見て、その泳ぎにあこがれたものです。その後、自分も師範として参加して後輩の指導に当たりました。とにかく泳ぐことが好きで、中学からは水泳部に所属し、高校では水球に打ち込む日々。泳いでばかりいたので、高校の入学式は髪が濡れたまま出席した記憶があります(笑)。水泳を通じて先輩や後輩との「縦」のつながりと、同級生たちとの「横」のつながりを築くことができました。あの頃の仲間とは今も交流が続いています。部活に明け暮れる一方で、中学の時は生徒会にも所属していましたし、成蹊は自分がやりたいことにどんどん取り組める学校でした。


※夏の学校の師範/卒業生有志を中心に、高校生・大学生なども参加している。

充実した学校生活を送られていた中、高校1年生の夏にアメリカのセントポールズ校※に留学されます。

今考えると、家から出たいという反抗期だったのかもしれません(笑)。それだけでなく、もともと両親から「"井の中の蛙"になってはいけない。外に出て活躍しなければ」と言われて育ちましたし、何事も新しいことにチャレンジするのが好きだったんです。
セントポールズ校は全寮制で、学生だけでなく先生方やその家族も同じキャンパスに住んでいる特殊な環境。最初はホームシックになることもありましたが、不安で押しつぶされてはいけないと思って、楽しんで過ごしましたね。でも、当時のセントポールズにはプールがなかった。水泳ができないので、「それならやったことのないスポーツをやってみよう」と、アイスホッケーとレガッタに挑戦しました。私は小柄な方でしたが、背の高いメンバーたちに負けじと頑張りました。セントポールズも成蹊と同じように歴史と格式がありながら、個人の可能性を伸ばしてくれる学校だったと思います。


※セントポールズ校/アメリカ屈指の全寮制私立高校の一つで、成蹊と今年で交流70周年を迎える。

医学と外交が両立する公衆衛生の道へ。
感染症から子どもを救う。

いつ頃から医学の道を志すようになったのでしょうか。

医者になるようにと親から言われたことはないのですが、やはり家族の影響でしょうか、高校を卒業する頃に、自然と医学に興味を持ちました。アメリカの医学部って、4年制の大学を卒業しないと進学できないんですよ。4年間で一般教養というか、自分の知らないことをいろいろと習ったうえで、医学の道を専攻できる。そんなところにも共感して、医学分野に強いジョンズ・ホプキンス大学へ進学することに。実は、高校でアメリカに渡り言語や文化を学んで、将来は外交関係の仕事をしたいと漠然と思っていた時期があったんです。そのような思いがあった中、大学で「公衆衛生」という道を知りました。公衆衛生というのは、一人ひとりの患者を対象とする治療や臨床医学ではなくて、もっと大きな人数を対象とするもの――伝染病や公害、生活習慣病などに対する学問、つまり予防医学です。その予防医学を各国で普及するためには、国の政府機関や国際機関との交渉も必要になってきます。「予防医学というのは国をまたいで仕事ができる」ことを知った。医学と外交がマッチした瞬間で、これはやってみたいと思いました。

ご卒業後は国際ワクチン研究所で腸チフスとコレラの研究に従事され、アジアに飛び立たれます。

私が専門とするのは感染症の予防を研究する「疫学」の分野。その中でも、研究内容が実際に人々にインパクトを与える様子を見たくて、現場でのフィールドワークを主な仕事としていました。一つのワクチンが認可されるまでには、ワクチンの有効性や安全性を3段階の試験を通して統計的に評価する、いわゆる「治験」を行う必要があります。私が関わってきたのはその後の段階で、認可された腸チフスやコレラのワクチンを使い始める準備がそれぞれの国でできているかを調べる役目でした。私はインドやパキスタンなどの疫病が蔓延する国々に実際に赴き、現場でコミュニケーションを取ってきました。現地の医師や政府関係者に対してワクチンの性質や必要性を伝えたり、予防接種チームのトレーニングに当たったり。実際に子どもたちへワクチンを接種する場にも立ち会いました。どの国であろうと、現地の関係者に会う際は、どれだけ自分が誠意を持って仕事をしているかわかってもらうため、必ず立って挨拶をする、目を見て話す、相手の名前を覚えるといった当たり前のことこそを大切にしていましたね。

国際ワクチン研究所の後は、フランスのサノフィ社ワクチン部門でデング熱のワクチン開発に携わられます。

簡単な病原体のワクチンはすでに作られている今、新しいワクチンの開発はとても難しいんです。デング熱の場合は、約20年の歳月をかけて研究者が何人も入れ替わりながら開発されました。ここでの私の仕事は、疫学的観点からデング熱がどれほどの問題であり、ワクチンがウイルスや罹患率にどれだけのインパクトを及ぼすかを具体的な数字で示すこと。携わったのは終盤の2~3年でしたが、実際に完成した時はとても感慨深かったですね。

そうしてデング熱のワクチンが世界で認可され、次のステップとして、同社のアジア太平洋地域渉外部に移られたのですね。

ワクチンが無事に認可されてから、自分は少し違うことをやろうと思ったんです。そこで、国際ワクチン研究所で培ったアジアのネットワークを活かして、疫学の観点から政府や研究機関とのコミュニケーション役を務めることに。各国の公的機関や援助機関に出向き、企業の医薬品の有用性について話し、門戸を開いてもらう活動をしていました。まさに、自分のやりたかった外交につながる役割かもしれません。

落合さんは、ワクチン開発の仕事の醍醐味をどのような点に感じているのでしょうか。

子どもたちが皆、平等なスタートラインに立てるようにするという点です。発展途上の国々にとって、教育は次の世代が富むための重要な要素ですが、その教育を受けるために皆が同じスタート地点にいるかというとそうではないと思うんです。就学前の0歳から5歳の間にかかりやすい疫病の数はとても多く、命を落とす子どもがたくさんいます。皆が同じスタート地点に立つために、予防できるものは予防する。それで初めて小学校で教育を受ける機会がある。生きるために、ワクチンの接種を通じた予防が必要なんです。

Column 学園こぼれ話 -その1-
「自学自修」の精神を
培った小学校時代

小学校3~6年生の時の担任だった吉川五男先生に影響を受けたという落合さん。「個性的な先生のもと、『自学自修』の精神や、自分の行いは自分で責任を持つといったことが身につきました」。高学年では科学部と放送部に所属していたそうです。

小学校高学年の時、科学部のメンバーと夏のひと時を過ごしたキャンプ(左から5番目)

「今できること」で学園に恩返しを。

海外を巡る中で、成蹊出身の方と会う機会もあったそうですね。

はい、数えきれない国々を渡る中で、SNSで連絡を取るなどして、経由地のシンガポールやバンコクで同級生や先輩に再会しました。驚いたのが、学生時代には海外に出るとは予想できなかった同級生たちが今、世界中で活躍していること。商社や金融業、製造業に勤めていたり、ジャーナリストだったり......。いろんな分野で活躍している友人がいるっていうのは励みになるし、そのユニークさが「それぞれ好きなことをする」という成蹊の卒業生の共通点でもあると思います。

そんな中、2017年に帰国されたとうかがいましたが......。

日本で家族との休暇中に、プールで脊髄損傷の大けがをしました。入院中は成蹊の友人たちにたくさん励ましてもらいました。家族や友人に不思議がられるのですが、私はそんな状況でも、けがを悲観していなかったんです。辛いことがなかったと言うと嘘になりますが、この身になったからこそできることをやっていこうと。
そんな時、成蹊学園の先生方から声をかけていただき、「成蹊学園サステナビリティ教育研究センター」に、客員フェローとして参加することになりました。このセンターは成蹊学園の小中高大の連携によって、持続可能な社会の担い手を育む教育を行う、という機関です。日本は高齢化社会に向かっていますから、介助・介護は特に重要な課題です。自分自身が障がいを持つ身になると、長く予防医学の現場にいたにもかかわらず、世の中には知らないことがたくさんあるのだと知りました。だから私はセンターの活動を通して、自分の知った障がいや福祉のことを学生たちにも伝えたい。例えば、車いすの体験会などもできたらと考えています。私は高校の途中から長く日本を離れていたので、今やっと成蹊に恩返しをする機会ができたと思っています。私自身も、若い力をたくさん吸収したいですね。

最後に、今後挑戦してみたい取り組みなどがあればお聞かせください。

よく自分に言い聞かせているのがラテン語の「Carpe diem」――「今を生きる」とも訳される言葉です。今があってこそなのだから、今、自分ができることはしっかりとやらなければ。体が不自由になったからといって、「できない」ことを取り上げるよりも、「できる」ことをどんどんやっていきたいと思っています。介助をされながらですが、泳ぐことは今も好きなので、スポーツに挑戦するのもいいですね。近いうちにまた、自分一人でも体を動かして汗を流せるようになりたいです。

Column 学園こぼれ話 -その2-
青春を捧げた水泳部

成蹊中高の男子水泳部は、中学では競泳、高校では水球を活動内容としています。落合さんも留学するまで、学園生活のほとんどをプールで過ごしたといいます。写真は中学時代に武蔵野市の水泳大会に出場した時の1枚。「バタフライと個人メドレーが専門で、副キャプテンを務めていました」

「実は小学3年生までカナヅチだったんです」と落合さん(前列右から3番目)

落合利穏さんの"蹊の成し方"

1975年
東京都生まれ。曽祖父、祖父、父は医師で、母は画家。名前の由来は仏語でのライオン。

1982年
成蹊小学校に入学。井の頭線で通学する日々。その頃の将来の夢は「井の頭線の車掌さんになりたい」だったとか。

1988年
成蹊中学校に入学。水泳部に入部し、泳ぐことに夢中に。諦めない精神を厳しい練習から学ぶ。生徒会の役員としても活動。

1991年
成蹊高校に入学。水球に打ち込みながらも、「外の世界を見てみたい」という思いから、同年9月に米セントポールズ校へ留学。

1994年
米ジョンズ・ホプキンス大学に入学。公衆衛生に興味を持つ。父からかけられた「予防医学も立派な医学」という言葉に後押しされ、研究者を志す。在学中はボルチモア美術館でのボランティアも経験。

2000年
同大学公衆衛生大学院修了後、マレーシアのボルネオでマラリアの研究に従事。

2002年
韓国に本部を置く国際ワクチン研究所で腸チフスとコレラの研究に従事。在籍中の2012年に英オックスフォード大学の博士号を取得。

2013年
仏サノフィ社で世界初となるデング熱ワクチンの開発に携わる。途中、デング熱に罹患するも、「身をもって知った辛さのおかげで研究開発に力が入りました」。その後はこれまでに培ったネットワークを活かして、国際機関との渉外役を担う。

2018年
成蹊学園サステナビリティ教育研究センターの客員フェローに就任。鋭意、活動中。

落合利穏さんに聞く
-感染症Q&A-

感染症は、発展途上国から先進国まで、世界各地で罹患の恐れがある病気です。正しい知識を身につけ、適切に予防・対策することが重要です。そこで感染症に関する疑問に、落合さんに答えていただきました。

Q1.そもそも感染症って、どんな病気なんですか?

A1.感染症とは、病原体となる微生物が体内に侵入し感染することによって起こる病気の総称です。病原体には、細菌、ウイルス、真菌、寄生虫などがありますが、病原体が体に侵入しても必ずしも症状が現れるとは限りません。発症するかどうかは、病原体が持つ感染力と体にそなわった抵抗力とのバランスで決まるのです。
病原体が体に侵入する経路は大きく分けて2種類。一つは妊娠中や出産時に赤ちゃんへ感染する、いわゆる母子感染。もう一つは人や物といった感染源から周囲に広がる水平感染です。水平感染はさらにいくつかに大別され、病原体を含む分泌物に触れることによる接触感染、咳やくしゃみで飛び散る飛沫を吸い込むことによる飛沫感染、空気中を漂う微粒子を吸い込むことによる空気感染、汚染された食べ物や水、血液や昆虫などを介した媒介物感染があります。

Q2.日本と海外で、かかりやすい感染症は違うんですか?

A2.インフルエンザやノロウイルス、結核、風しんなどは、日本でしばしば聞く感染症ですよね。一方で、日本では発症例が少ない、または全くないものの、海外ではよく発生している感染症もあります。
例えば、私が研究していたコレラや腸チフスなどの感染症は、水道設備の整っていない地域で汚染された水を飲むことなどで感染の恐れがありますし、蚊などの媒介動物が原因となるマラリアやデング熱は、アジアをはじめ、南米、アフリカなどの熱帯・亜熱帯地域で発生しています。また、そのような地域では、昨今の地球温暖化による環境汚染や媒介動物の増加などで、感染症のリスクが高まることも懸念されているのです。

Q3.どうやって感染症を防げばいいんですか?

A3.病原体の多くは、まず、私たちの手に付着します。手洗いは日々の生活の中でできる、有効な対策です。そして、感染症にはワクチンで予防できるものがたくさんあります。今世界には20以上の疫病に対するワクチンが存在しますが、日本でもかかりやすい麻しんや結核、百日咳などのワクチンは小児の定期接種対象になっています。大人になってからでも、小児期に足りなかった分を補うために接種をすることも大切です。
たくさんの情報があふれる現代においては、ワクチンの効果や副作用に関する正しい知識を得るよう努めましょう。さらにもう一つ大事なのは、もし自分が罹患してしまった場合に、人に移さないように努力すること。感染症はかかる側だけでなく、移す側もいて成り立つものですからね。周囲への配慮も十分に意識しましょう。


落合さんのフィールドワーク・メモリー


感染症を予防するため、世界各国でワクチンの普及に取り組んできた落合さん。その活動の軌跡を写真とともに振り返ります。

マレーシア・ボルネオで、マラリアが子どもの成長に与える影響を研究していた時。実際に子どもたちから採血することもあったとか。

腸チフスのワクチンキャンペーンで滞在したインド・コルカタ(旧カルカッタ)にて、子どもたちへの予防接種に立ち会う。

タンザニアのクリニックを視察した際に、ドクターとナースたちと。現地の医療関係者との対話を大事にしてきたといいます。

各国で、政府関係者や医師らに向けてワクチンに関するレクチャーを開催。写真はパキスタンでの様子。

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