SPECIAL INTERVIEWvol.103

Special Interview 蹊を成す人
ジャズトランペット奏者 市原 ひかり

ジャズトランペット奏者市原 ひかり


自分を大切に、他者を大切に。
誰かの道を照らす「光」でありたい。


中学生の時に触れたジャズの世界に魅せられ、プロのトランペット奏者になる夢を実現させた市原さん。「誰にも似たくない」という思いで、自分にしかできない表現を模索し続け、演奏や歌のみならず、絵画にも挑戦の場を広げています。

音楽家の道を歩もうと思ったきっかけは。

成蹊小学校の卒業文集に「スタジオミュージシャンになりたい」と書いていました。当時はまだ、楽器を演奏できたわけでもないんです。ただ、プロのドラム奏者である父の仕事場によく連れて行ってもらっては、CMや映画、テレビアニメの音楽をレコーディングする姿を見聞きしたことが、この道を歩くきっかけだったと思います。

そもそも成蹊小学校への入学は、市原さんご自身が希望したそうですね。

私、幼稚園ではのろまな子だったんです。靴も左右がわからずに、うまく履けなくて。両親はそんな私の教育について心配していたみたいです。ある夜、一家で車に乗っていた時のこと。たまたま五日市街道から見えた成蹊のけやき並木と本館の夜景がまるでお城のようで、素敵な光景でした。感動した私は「この学校がいい!」と言ったそうです。それが受験の半年前。大慌てで準備し、どうにか合格しました。

成蹊小学校に入学してからは、どのような学校生活でしたか。

言いたいことがあるのに考え過ぎてしまい、結局、何も言えない。そんな性格の子でした。だから、はじめはクラスのお友達になかなか馴染めなかったんですよ。当時はよく、校長室や保健室で過ごしていました。校長室なんて、今思えば何で入れたんだろう?と思いますが、「教室に戻りなさい」とは言われませんでした。校長先生とお話しした内容をはっきりとは覚えていませんが、とにかく穏やかな心地良い空間で、本を読みふけっていました。「1年間で200冊」という目標を立てていて、その頃は「小説家になろうかな」なんて考えていたんです。
一方、わが家はクリスチャンで毎週日曜日に教会に通っていました。そこではよく歌い、踊っていましたね。

将来の夢を綴った小学校の卒業文集。
楽器を演奏する前から、ミュージシャンになることを決意していた

教会では活発に過ごしていたんですね。

牧師さんが音楽家で、教会はゴスペルやビッグバンド風の音楽で満ちていました。父がその牧師さんたちと一緒に演奏活動をしていて、私はそのコンサートに行くのもすごく楽しみにしていたんですよ。
トランペットに出会ったのは4年生の頃、キリスト教関係のイベントでコンサートを観た時でした。讃美歌のポップアレンジ曲をトランペット演奏で聴いて、「やってみたい!」と一目惚れしました。しかし、父から「トランペットは身体を駆使するし、難しい楽器だから、中学に入ってからにした方がいい」と諭され、中学校で吹奏楽部に入部する日を、ひたすら待ち望みました。

成蹊は、自分で道を選ばせてくれる学校。

そして、成蹊中学校への進学と同時に、晴れて音楽に没頭する日々が始まったのですね。

入部して、希望通りトランペットのパートに決まりました。部活は中学と高校の合同で活動していて、全体で約60人の部員がいたと思います。ふだんは現代音楽が中心でしたが、文化祭ではポップスなどの曲にも取り組んでいました。その中でアドリブ(即興)パートを含む曲を演奏することになり、参考のメロディーラインが書かれた楽譜をもらったんです。その時に、「楽譜を見ずに、本当にアドリブで吹けたらなぁ」と即興演奏に興味を持ちました。そんなことを家で話していたら、「随一のトランぺッターがいるから、演奏を聴きに行くといいよ」と父が薦めてくれました。その方が、エリック・ミヤシロさん。ハワイ生まれのトランペット奏者で、アドリブやアレンジの神様のような存在です。エリックさんのビッグバンドの演奏をライブハウスで間近に聴いたことがきっかけで、音楽大学でトランペットを専門的に学ぼうと決意しました。まずはクラシックの基礎を学んでからジャズを勉強したいと考え、部活に加えて個人レッスンへ通い始めました。

成蹊高校では、どのように過ごしていましたか。

私は音楽ばかりで、とにかく勉強しなかったんです(笑)。ただ、3年生の倫理の時間だけは、教室の最前列の子に席を代わってもらって、食い入るように授業を受けました。授業が終わると職員室へ行って、先生に「ここはどういうことですか?」って質問しまくりました。そうして「まとめノート」を作るんです。あの頃は学年のほとんどの生徒が、私の「まとめノート」を見ていたんじゃないかな(笑)。そんなふうに、興味を持ったものは、とことん追求する性格だったんですね。
成蹊は、自分で道を選ばせてくれる学校でした。好きなものを自分で見つけて、そこに向かってどう生きるかを探る、という環境を与えてくれた。そして先生方が、それを近くで見守っていてくれるんです。ああしなさい、こうしなさいとは言わず、何か良いところを引き出してくれるような先生ばかりだったと、改めて思い出します。「音楽、頑張っているね。ただ、もうちょっと勉強もしてね」と言われることも、しばしばありましたけど(笑)。規則でがんじがらめの学校だったら、今の自分はないだろうな、と思います。けやきや桜の並木道もきれいで、校内の景色はとても好きでした。

Column
夢中でトランペットを
練習した吹奏楽部時代

「プロのトランぺッターになりたい」と宣言して入部したという市原さんのため、通常は1、2学年上の先輩が新入生を指導するところを、特別に高校生の先輩が指導してくれたそう。「先輩の美しい音色が私の原点」と振り返ります。コンクールをめざして練習に励み、ハンガリー生まれのクラシック作曲家・バルトークなど、現代音楽に近い難解な楽曲にも挑戦。「合宿ではたくさん練習して運動したので、食事の白米がとても美味しく感じて。少食だった私が初めてご飯をお代わりしたことが自分でも印象的でした」

「先輩や仲間とは今でもSNSなどでつながっています」(写真一番右が市原さん)

12年間通った学舎を巣立ち、洗足学園音楽大学ジャズコースに進学します。

師事した原朋直先生は、ジャズトランぺッター。小編成の演奏に取り組む先生で、トランペット、ベース、ドラム、ピアノの4人で、シンプルな譜面をどう広げていくかというアドリブの深淵世界に入っていきました。先生からは「私の真似はしないでね。自分の個性を磨きなさい」と言われ続けました。その言葉を心がけるうちに、いつしか、私の根底に「誰にも似たくない」という気持ちが芽生えるようになりました。その思いは、プロになった今もずっと心に抱いています。

演奏を聴いてくれた人が、ハッピーな気持ちになってくれたら。

大学を首席で卒業後に、メジャーデビュー。「ジャズ・ディスク大賞ニュースター賞」を受賞され、その後も精力的にアルバムをリリースされるなど、活躍していますね。

大学4年で出場した「山野ビッグバンドジャズコンテスト」で優秀ソリスト賞を受賞して、レコード会社のポニーキャニオンに声をかけていただき、デビューに至りました。
順風満帆だったはずなんですが......。ジャズは特殊な世界です。まず、リスナーがすごくコアなファン。私の何倍もの時間、ジャズを聴いてきた人ばかりです。若い女性のトランペット奏者も少なくて、珍しがられることもあれば、「やっぱり女の子だからね」と言われることも......。デビュー時に実力が伴っていないことは自分でも痛感していました。はじめはそれがしんどくて、いかに音楽の世界で生き残るかばかりを考えていました。ところが、30歳を越えたら自然と楽になったんです。「自分にしかできないことが、きっとある」と感じ、そんな自分を受け入れて大切にしようと思えるようになりました。そうしたら、そもそも自分が音楽をやりたかった理由は、聴いてくれる人に「幸せだな」「楽しいな」と感じてほしいからだと、ようやく思い出しました。思いきって髪をピンクに染めたのも、そんな心境からです。ジャズって内向的で、敷居も高いイメージかもしれませんが、演奏を聴く皆さんにハッピーな気持ちになってもらいたい。今はとにかくその一心なんです。

数々のステージやメディアに出演し、第一線で活躍

最近ではトランペットだけでなく、ボーカルにも取り組んでいますね。歌うことを始めた経緯は。

ジャズイベントの打ち上げの夜、カラオケで熱唱していたら、ジャズトランペット奏者の日野皓正さんに「歌、いいじゃないか! 本気でやってみたら?」と言ってもらって。トランペットは笑顔で吹くことなんてできませんが、歌っている時には心がオープンになって、お客さんに笑顔で接することができます。そう考えると「歌もいいな」って思い、ボイストレーニングに通って技術を磨き、ボーカルを入れたアルバムを発表しました。

コロナ禍の現在はどんな毎日を送っていますか。

これまで連日あったライブが激減しましたが、空いた時間にもともと好きだった絵を描いたり、数年前からその魅力にのめり込んでいる競走馬(サラブレッド)のことを考えたりして過ごすようになりました。そうした時間を経て、音楽の練習に取り組むと、音域が広がって調子が良くなるんです。
ライブの大切さも、実感するようになりました。ライブハウスの人たちは、安全にライブを開けるように試行錯誤し、一生懸命に環境を整えてくださっています。とても感謝しています。
これまでコツコツと将来図を描いてきたつもりですが、急に時間ができた今、夢はさらに広がっています。演奏家として技術を磨き、多くの皆さんに楽しい時間を過ごしていただきたい。その思いは、変わりません。ボーカルもしっかり磨き、音楽性を広げていきたいです。不定期ではありますが個展を開催するようになった絵画でも、思いを伝えていきたいですね。

ご自身が大切にされてきたモットーはありますか。

「桃李不言 下自成蹊」の言葉は、小学校で教わりましたが、大人になってさらに身にしみていますね。周りの人を大切にするために、まずは自分を大切にしよう、そうすれば、おのずと道が成されるのではないかと思って、生きています。自分を愛し、他者を愛していきたいです。

お名前には、「人の道を照らす光になるように」というご両親の思いが込められているそうですね。

そんな存在になりたいと、ずっと思ってきました。私の演奏を聴いた人が「休憩しようか」「頑張ってみようか」なんて思えて、道が照らされるような、そんな音楽をやっていきたいです。「ひかり」という名前に合った人間でいられたら、素敵だなと思います。

絶えず殻を破り、活躍の幅を広げていく姿に、後輩の皆さんも勇気づけられると思います。

ひしひしと感じているのは、「人生は1回しかない」ということです。だから、自分の好きなことをひたすらやり続けるしかない。事態が良くなりましたら、皆さん、ぜひライブを聴きにいらしてください。

Column
大好きなサラブレッド
絵を通して支援

数年前、知人に連れられて初めて訪れた競馬場で、サラブレッドに魅せられた市原さん。現役を退いた馬たちが安らかに過ごせるようにと、描いた絵の売り上げを引退馬協会に寄付しています。「引退馬のために、いずれはもっと活動をできれば」と夢を語ります。

作品にはピアノの鍵盤や蓄音機なども登場。自らのフィールドである音楽と大好きな馬が織りなす、独自の世界観を展開している

市原ひかりさんの
"蹊の成し方"

1982年
東京都に生まれる。人の道を照らす「ひかり」になるように、と名づけられた。音楽一家の一人っ子で、大切に育てられた。

1989年
成蹊小学校に入学。自宅や通っていた教会では、歌って踊って、賑やかな子どもだったが、一歩外に出ればシャイに。小学校では、校長室か保健室に入り浸る日々。

1995年
成蹊中学校に進学。吹奏楽部に入部し、部活中心の生活に。仲の良い仲間や先輩もでき、ようやく自然体でいられるようになった。この頃、エリック・ミヤシロ氏の演奏を聴き、ジャズトランペッターを目指そうと決意する。

1998年
成蹊高等学校に進学。「勉学が少々疎かになった」が、先生たちにはプロ奏者を目指す姿勢を理解してもらい、温かく見守ってもらった。

2001年
洗足学園音楽大学ジャズコースに入学。原朋直氏に師事。自宅から約2時間をかけて通学し、早朝から夜まで練習に費やす日々を送る。現在、自身も同大学で講師を務めている。

2004年
「山野ビッグバンドジャズコンテスト」に学生ビッグバンドの一員として出場し、優秀ソリスト賞を受賞。「最優秀賞が取れると思っていたので、むちゃくちゃ悔しかった」

2005年
洗足学園音楽大学を首席で卒業。ポニーキャニオンと専属アーティスト契約を結び、ファーストアルバム『一番の幸せ』でメジャーデビュー。

2006年
セカンドアルバム『Sara Smile』を発表し、スイングジャーナル誌のゴールド・ディスクと第40回ジャズ・ディスク大賞ニュースター賞を受賞。

2016年
精力的にアルバムをリリースし、「ミュージックフェア」「題名のない音楽会」「僕らの音楽」など数々の音楽番組に出演するなどトランぺッターとして注目を集めてきたが、新たな挑戦としてボイストレーニングにも通い始める。

2019年
9枚目のアルバム『SINGS & PLAYS』にボーカル曲を収録。ジャケットのイラストやデザインも手がけ、新境地を披露する。

2021年
より幅広い音楽活動を見据えて、ポニーキャニオンから「Days of Delight」にレーベルを移籍。3月、10枚目のアルバム『Anthem』を発表。現在は絵画制作にも熱中し、個展も開催。

市原ひかりさんが案内する
♪ JAZZ & TRUMPET ♪

日常の何気ない場面でも耳にすることが多い、ジャズとトランペットの音色。その成り立ちや特徴、おすすめの曲目を、市原さんにうかがいました。

♪ ジャズってどんな音楽なんですか?

「アドリブ(即興演奏)がある」。なんといっても、これが一番の特徴です。そのルーツは、20世紀初頭ごろのアメリカ・ルイジアナ州ニューオーリンズに住んでいたアフリカ系アメリカ人たちが演奏した音楽にあるとされます。そこから長い時間をかけて世界に広がり、各地の音楽と融合されながら、新しいジャズが生み出されていきました。たとえば、クラシックの発祥の地である欧州で演奏される「ヨーロピアンジャズ」は、その筆頭と言えるでしょう。

♫ おすすめの1曲
カーメン・マクレエ(Carmen McRae)
「Sunday」


ジャズシンガーで一番好きなのがカーメンです。特に、この曲のスキャット(声によるアドリブ)は、とてつもなく格好良い。仕事の合間にちょっと一息つきたい時などに聴くと、元気をくれる曲です。


♪ トランペットってどんな楽器なんですか?

唇を振動させ、舌の位置や息のスピードをコントロールしながら、3つのピストンだけであらゆる音階を吹くのが、トランペットです。「肺活量が必要でしょう?」とよく聞かれるのですが、意外とそうでもないんですよ。トランペットは楽器の中でも特に、音色に個性が出やすいと思います。私自身、試行錯誤を繰り返しながら、どうしたら気持ち良く吹けるのかということが、最近ようやくわかってきました。

♫ おすすめの1曲
パオロ・フレス(Paolo Fresu)
「Lascia Ch'lo Pianga」


パオロはイタリアのトランぺッターで、私は彼の大ファン! こちらはイタリア歌曲のジャズアレンジによる演奏です。寝る前にこの曲を聞くと、穏やかに1日を終えられます。


- DISCOGRAPHY
of Hikari Ichihara -

これまでに10枚のアルバムを送り出してきた市原さん。往年の名曲にオリジナル曲、王道路線からコアなアレンジまで、多彩な輝きを放っています。その歩みをプレーバック!

1st 一番の幸せ(2005年)

22歳で発表したデビューアルバム。幼少期に教会で聴いた音楽から派生したという、ソウルミュージックをベースに展開。

2nd Sara Smile(2006年)

ジャズ界のレジェンドたちとニューヨークでレコーディングした一枚。スタンダードな4ビートのジャズに徹し、各賞を受賞する高評価を得た。

3rd Stardust(2007年)

再びニューヨークに渡り、楽曲のアレンジにも挑戦。「この頃からジャズミュージシャンとしての自覚も芽生えてきました」

4th JOY(2008年)

レコード会社から「好きなことをやっていいよ」と背中を押され、自らメンバーを集め、セルフプロデュースを初経験。

5th MOVE ON(2010年)

「もっとコアなジャズ」を追求し、ライブとレコーディングを固定のメンバーで行う「市原ひかりグループ」名義で発表。

6th UNITY(2011年)

グループとして発表した2作目。全曲オリジナル曲で構成され、キャッチーでグルーヴ感あふれる、王道のジャズにこだわった。

7th PRECIOSO(2012年)

ピアニストの佐藤浩一さんとのデュオ・アルバム。理想のピアノを求め、神戸のライブハウスに泊まり込んでレコーディングを実施。

8th Dear Gatsby(2014年)

小説『華麗なるギャツビー』からインスピレーションを得て制作。英語による原作も読み込み、ストーリーや登場人物のイメージを膨らませた。

9th SINGS & PLAYS(2019年)

約3年間のボイストレーニングを経て発表した、初のボーカルアルバム。ジャケットのアートワークやPR映像も自ら担当した意欲作。
[動画はこちら (YouTube)]

10th Anthem(2021年)

レーベル移籍後初となるアルバム。「さらに自分のやりたいことをやり通そう」という心がまえで、全曲オリジナルで制作。
[動画はこちら (YouTube)]



※Apple MusicやSpotifyなどのサブスクリプション音楽サービスでも市原さんのアルバムをお聴きいただけます。

フォトギャラリー