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中村春二先生没後100年記念の会(第101回枯林忌)を行いました

成蹊学園では創立者中村春二先生の雅号「枯林」にちなみ、中村先生の亡くなった2月21日を「枯林忌」とし、その遺徳を偲ぶ日としています。
今年は、中村春二先生没後100年となることから、毎年行っている追悼会の規模を拡大し、2月17日(土)に、卒業生団体である一般社団法人成蹊会と成蹊学園との共催により、「中村春二先生没後100年記念の会(第101回枯林忌)」を学園にて開催しました。
午前中には、大学4号館ホールにて、中村春二先生の生涯を描いた映画『たしかなあしぶみ なかむらはるじ』の上映会も行い、広く一般にも周知し、約300名の方にご来場いただきました。また、午後からは、大講堂にて、事前にお申し込みをいただいた卒業生や在校生、教職員等約350名の方々が参加し追悼会を行いました。
追悼会会場への入場時には、参加者は壇上に飾られた先生の肖像画に対し拝礼し、先生がお好きであったフリージアを献花しました。
心力歌第一章の唱和、小林理事長、高井成蹊会会長からの挨拶、教育学・教育史の専門家である卒業生の北村和夫氏(高等学校20回卒)による講演の後、小学生による"春二先生への手紙"の朗読が行われ、小学校を代表して3名の児童が心のこもったお手紙を朗読してくれました。その後、中村家を代表して、中村潤氏よりご挨拶をいただきました。江川学園長から学園の近況について報告が行われ、最後は、成蹊大学混声合唱団が校歌を斉唱し、その美しい歌声と迫力に会場が感動に包まれました。
また、参加者には、『人間 中村春二伝』の復刻版や、没後100年記念カード等の記念品が配られた他、追悼会終了後には、献花したフリージアが配布されました。さらに、当日は、史料館が特別開館し、中村春二像の原画や貴重な資料が公開される等、ご参加いただいた多くの方が中村春二先生に思いをはせる日となりました。

<枯林忌追悼会>
中村春二先生の追悼行事は、死去の翌月3月19日の追悼講演会にはじまり、主催者等かたちを変えながらも現在に至るまで続けられているものです。当初は成蹊学園が主催して追悼会が始まったのですが、1929(昭和4)年に実務学校同窓会「桃蔭会」が、これとは別に第1回追悼会を開催し、先生の号に因んでこれを「枯林忌」と命名。その後「枯林忌」は、1938(昭和13)年より各学校の同窓会が大同連合して発足した「成蹊会」の主催となりました。学園主催の追悼会は、第二次世界大戦の影響もあり、1943(昭和18)年をもって一時中断。一方成蹊会主催の「枯林忌」は戦時中の中断はあったものの、その後も続けられ、三十三回忌にあたる1956(昭和31)年には、開催回数を明確に示すため、年忌に合わせて「第33回枯林忌」が開催されました。1983(昭和58)年の「第60回枯林忌」からは成蹊学園と成蹊会(池袋同窓会を含む)との共催で「枯林忌」が行われるようになり、今日に至っています。

<献花・礼拝>
学園では中村春二先生のご命日に中村春二先生および賛助員である岩崎小弥太氏・今村繁三氏のレリーフ・胸像に献花し、礼拝しています。小学校では桃の会の児童が各胸像・レリーフの清掃と献花を行い、各学級でお参りをしました。