2022年3月5日(土)学園本館大講堂にて成蹊高等学校の第73回卒業式が挙行されました。今年度は、来賓の方々にもご列席賜り、保護者の皆様には式の動画をご視聴いただく形となりました。在校生代表の送辞をこちらに一部紹介させていただきます。

「この三年間の中で先輩方は、大きな変化を経験されたことと思います。大学入試形態の変化、東京オリンピックを一年延期しての実施、そして今なお続くコロナウイルス感染症など、たくさんの社会情勢の変化が起こりました。又、学校生活ではオンライン授業、行事の延期中止、部活動の縮小など、私達の高校生活にも様々な影響を及ぼしました。そして、昨年度はやや落ち着きを取り戻し希望が垣間見える時期がありましたが、再び落ち着けない状態へと戻ってしまい、人生の岐路に立つ先輩方もこれからのことに不安を感じていらっしゃることと思います。しかし、思い返してみて下さい。このような状況であったからこそ皆さんは共に同じ道を歩く仲間や家族との何気ない日常の大切さを、そして様々な生活上の困難さへの対応力を、人一倍培われたのだと思います。これから皆様は、長く親しんだ学び舎である成蹊を離れることになります。しかしどうか成蹊でのたくさんの経験を将来の糧として、不安を吹き飛ばし大きく未来を切り拓いていってください。」

行事でも部活でもよきお手本となってくれた卒業生に向けて、心からの感謝を込めた送辞が送られました。そして、3年生代表からの答辞。こちらに抜粋して掲載させていただきます。

 「入学式のあの日から今日までの、三年の月日に思いを馳せて、私は何を想うのか。あなたは何を想うのか。この答辞を書かせて頂くにあたり、私は何度も、自分の軌跡と向き合いました。その度に、幾度も脳裡をよぎった、もしもの世界。黙食なんてせず、友達と楽しく昼食を取りたかった。二、三年生の遠足や、合宿、学習旅行も行きたかった。もしもそれが叶ったなら、どんなに楽しかっただろう‥。どんな未来があったのだろう。あるはずだった思い出を、惜しみたくなる衝動を、否むことはできません。それならば、そんな私の高校生活は、不完全燃焼の一言で片付けられてしまうのか。燃えきれなかった私は、何も成長できなかったのか。物事の捉え方は多種多様で、誰もが同じ答えに行き着くと断言することはできません。 
 それでも私は、自分を含め、三年前から何も成長していない人など、居ないと思います。例え量は多くなくとも、目を瞑れば蘇る思い出と、今の自分を形成する糧が、それぞれの胸に、あるのではないでしょうか。川遊びをした遠足、はじめての体育祭、留学、合宿、蹊祭。イベントの度に友達と盛り上がった時間は、本当に楽しかった。部活で流した汗や涙も、追いかけた先輩の背中も、くだらないことで笑った時間も、全て、かけがえのない思い出です。自由に謳歌した一年生の青春の中には、今も輝く記憶があるのではないでしょうか。二年生以降の風変わりな思い出も、今は懐かしく感じられます。例えば、クラスメイトとの画面越しでの初めまして。通信の関係で時折誰かが固まってしまうオンライン朝礼。謎のオンラインしりとり。異例の形式を取りつつも、体育祭や蹊祭も実施できました。
 人生という物語を描くのも、その一ページに意味を与えるのも、いつだって自分自身です。だから、得られたものに目を向けてみると、歩んできた道のりは、また違って見えてくるようにも思われます。‥と、そんなカッコいいことを言ってみるものの、心のどこかにはやはり、失ったものばかり数えてしまう、弱い自分がいます。それでも、一つだけ、確かに言えることがあるとすれば、心に残ったあらゆるイベントも、笑い合った時間も、ひとりぼっちだったなら、存在し得なかったということです。笑って過ごせた日々があるのは、素敵な仲間に出会えたから。そんな環境があったのは、先生方をはじめ、支えてくださった方々がいらしたから。こうして学校に通えたのは、家族の支えがあったから。当たり前すぎて見えなくなってしまう大切な事実を前に、今、改めて感謝の気持ちが込み上げます。
 少しでも多く思い出を作らせてあげよう、と、私達の知らないところでもきっと、沢山ご支援くださっていた、先生方。リモート対応や生徒の安全確保など、計り知れない困難にも関わらず、部活動のご支援や、個性溢れる授業を通じ、成長させてくださったことに、心より感謝申し上げます。今まで本当に、ありがとうございました。
 一番の理解者である家族。自宅時間の増加に伴い、衝突することもありました。注いでくれた愛情に素直になれない未熟な私は、たくさんたくさん、迷惑をかけました。それでも、いつだって、優しく背中を押してくれて、こんな私を、十八年間育ててくれて、本当にありがとう。この場をお借りして、言葉では表せない程の感謝を、少しでも伝えられればと思います。そして、理不尽な現実に頭を悩ますこともあったと思うけれど、確かにここまで歩んできた、卒業生一同。今、脳裏に浮かぶ思い出の、その味は甘いでしょうか、苦いでしょうか。それがどんな味であろうと、過去になってしまったその時間は、ニ度と、同じように流れてはくれません。だから明日から、私達は、制服を着て登校することも、授業を受けようと教室の戸を開く事も、皆の口から溢れ出る「ヤバい!」の声を聞きながら、テスト間際の勉強に励む事も、もうありません。そんな日々は二度と私達を迎えてはくれない。明日になれば、見慣れた教室にはもう、私が座る席はないから、黒板に書いた落書きや、好きだった食堂のおそばにも、さよならを告げねばなりません。卒業するとはそういう事だと、今になりようやく、理解されます。そして、名残惜しいと思える時間があることを、幸せに思います。今日まで、思い出を作らせてくれて、本当にありがとう。
 制服に別れを告げた私達が、これから歩み出す世の中は、私達を高校生として保護してはくれません。成年年齢の引き下げに伴い、来月からは皆、大人となります。社会的責任を背負った各々が、歩む道の先には、数多くの困難が待ち受けているでしょう。辛い時もあるでしょう。しかし、高校生活がこうして終わっていくように、良くも悪くも、全てのことに、いつか必ず終わりが訪れます。試練を乗り越えたその先には、きっと、成長した自分がいるはずです。だから、限りある時間を大切に、今ある自分を信じて、歩き出しましょう。高校生の自分に、今日、永遠の別れを告げて。
 最後になりましたが、今までご支援くださった全ての方々に改めて御礼申し上げると共に、成蹊高校の更なるご発展を祈り、答辞の言葉とさせていただきます。」

コロナ禍の中でも懸命に充実した高校生活を送った3年間の思いが込められた、力強く感動的な答辞でした。最後に校歌斉唱、吹奏楽部によるお祝いの演奏に代わって、音楽科の先生方のピアノ演奏が行われました。卒業生の319名の門出を祝福し、これからのご活躍をお祈り申し上げます。