卒業式に先立つ20日(月)の終業式の日に、中学校生活の思い出に3年生だけの球技大会を開催しました。コロナ禍で異例づくめの3年間でしたが、最後に思いっきり体を動かして、学年全体で盛り上がり、楽しい思い出を作ることができました。

優勝 B組

準優勝 G組

キックベース
ドッチビー
玉入れ
綱引き

3月22日(水)には、中学校の卒業式を行いました。3月とは思えない陽気に桜も開花し、3年前にコロナによって厳重体制で入学してきた学年の卒業を、華やかに彩りました。

皆の感動を呼んだ卒業生代表の寺内あい子さんによる答辞を紹介します。

答辞

 小鳥のさえずりが所々で聞こえ、花々が美しく咲き誇る季節となりました。暖かな春を感じる今日という日に、多くの希望、光、そして夢を抱えて、私たちは旅立ちます。

 初めに、このような難しい情勢の中で、入学から卒業までの約三年間、私たちの学校生活を支え、卒業式を行ってくださった先生方に、心より感謝申し上げます。また、私たちの成長を誰よりも近くで見守り続けてくれた保護者の皆様に、この場を借りてお礼申し上げます。

 二〇二〇年六月二日、私たちの入学式は、大講堂ではなく、第二体育館で行われました。多くの人が夏服を身にまとい、全員がマスクを着用した、まさに前代未聞の入学式でした。これから一体どのような中学校生活が待っているのか、予想もできず、ただただ不安を抱える日々を送っていた人ばかりだったと思います。こうして、誰も経験したことのない、中学一年生の一年間が始まりました。この年は、入学前に思い描いていた未来とは異なる点も多く、誰もが試行錯誤をしている日々だったと思います。普段の生活の中では、友人と話をして盛り上がったり、訪れる定期テストに向けて勉強をしたりと、変わらないものもありました。しかし、行事がなくなったり、授業が短縮になったりしてしまったことも少なくありませんでした。振り返れば、今まで当たり前だと思っていたことが必ずしも当たり前であるとは限らないと思い知らされた一年間だったように感じます。しかし、大きな空白を感じられるこの期間でさえ、無駄なものではありません。それは、〝人生においての様々な経験や、そこに関わった方々が、今の自分を作っている〟からです。今はまだ、このときの経験を生かして行動するというのは難しいことかもしれません。しかし、この混乱している情勢の中で大人になっていくにつれて、経験のないことにも臨機応変に対応したり、どんな壁にぶつかっても自分自身を信じて進んで行ったりすることも必要になってくると思っています。私たちは、経験するはずがなかったことを経験したからこそ、出来ることがきっと何かあるはずです。

 不慣れな生活にも徐々に慣れ始め、イレギュラーが当たり前へとなりつつあったころ、私たちは中学二年生になりました。クラス替えにより、慣れ親しんだクラスメイトや担任の先生とは離れ、全く新しい環境に身を置くこととなりました。不安を感じるというのは当然のことですが、〝自分にとって居心地のいい場所を出たときに見える景色がある〟という言葉もあるように、私はこのクラス替えで様々な新しい景色を見ることができました。私にとって、中学一年生のときのクラスはとても居心地がよかったので、変わってしまうことを寂しく、残念に思っていましたし、何よりも不安でいっぱいでした。新しいクラスでも、何かと以前のクラスと比べてしまう自分がいました。しかし、それも初めのうちだけでした。一年生のクラスにはいなかった新たな友人ができ、徐々に新しいクラスの良さがわかるようになっていきました。この子と同じクラスになっていなかったら、今の自分はいなかっただろうなと感じることも多くあります。中学二年生という学年は、学校生活にも慣れてきて、気が緩みがちだと聞いたことがあります。しかし、私たちにとってこの年は、新しいこと、初めてのことの連続でした。体育祭、クラス展、宿泊行事など、二年生になってから初めて見る世界が多くありました。かつて思い描いていた日常が戻ってきて、徐々にですが、安心感を覚えてきました。特に宿泊行事では、例年の予定とは異なりましたが、普段より友人と共に過ごす時間も長く、新たな一面も見られて、大きな思い出の一つになっています。イレギュラーな日常を楽しむことが出来ていたのかもしれません。

 こうしている間にも時は過ぎていき、三年生という、最上級生としての自覚を持ち、少しずつ卒業という言葉へ意識を持たなければならない学年になりました。責任の大きい役職に就くことも多くなり、今までより責任感も達成感も感じるようになりました。さらに、そのことにより充実感も増したように思います。その一方で、寂しくなる変化がなかったわけではありません。ついこの間まで「中学初めての」が枕詞だったのが、気が付いたらその多くは「中学最後の」に変わってしまっていたのです。ときには、その両方が付くこともありました。時の流れのあまりの早さに、戸惑い、寂しくなり、ついていけないこともありました。ですが、その度に周りの友人、先生方、保護者に支えられて、気持ちを切り替えられました。たとえ時の流れの早さの感覚が異なったとしても、皆同じ時間を過ごしてきており、その過程にある〝歩み〟が大切なのだと気づかされました。

この一年間は入学してから最も行事が多い一年でした。体育祭で大歓声を耳にしたとき、蹊祭に外部の方が来てくださったとき、待ち望んでいた何かが手に入りつつあるような、嬉しい気持ちで胸がいっぱいになりました。失ってしまったものを取り返すのは難しいことです。それでも、ある意味特別ともいえる経験を胸に刻みながら、私たちは成長していかなければなりません。

 成蹊中学校で過ごした三年間、私はいろいろな人から多くのものを吸収し、学ぶことができました。常に表情が半分隠れてしまっている状態で、先生方が必死に表情の変化を読み取ろうと、私たちと向き合おうと、工夫してくださっていたことはよく伝わっています。沢山お話をしてくださったり、本当は忙しいはずなのに私たちの様子をたくさん覗いていたり、面談では真剣に向き合ってくださったり。そばにいるだけで安心感がありました。また、私たちの学年のことを、〝心のコントロールの上級者が多く、得がたい資質を持っている〟と評価してくださっている先生がいますが、私は周りの環境こそ、自分の力だけでは手に入らない、〝得がたい〟ものだと考えています。そのような沢山の大切なものをくださった先生方に恩義を返すことは出来ていたでしょうか。それに値するものを返すのには時間がかかってしまうかもしれません。それでも、どんな形であれ、いつの日かお返ししたいです。中学校を卒業してからは、多くの縛りから解放され、自由の身になります。その自由をただただ楽しむのではなく、〝自分の興味のあることを追求できる〟期間として捉え、〝一歩、一歩、前に、大切に〟進んでいきたいと思います。そして、私も含め、この学年の人が〝多くの人を幸せにできる、幸せな人〟に一人でも多くなれるよう、一日一日を大切に過ごしていきます。保護者の皆様、そして先生方、これからそれぞれの道を歩んでいく私たちを温かく見守ってくださると嬉しいです。最後になりますが、成蹊中学校のより一層のご発展を祈念し、これを答辞とさせていただきます。