日本文学科の学び

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授業の事例から:「近現代文学基礎研究」履修学生インタビュー

『三四郎』の登場人物は今の自分に通じるの?

ー当時を再現して、考えを深める

―お2人の「近現代文学」の基礎ゼミでは、夏目漱石『三四郎』を扱っていますが、どんな風に学んでいるか教えてください。
S・I:簡単に言うと「輪読」で、自分の担当パートについて考察したレジュメを作成し発表しています。それから、当時刊行された新聞や本などの一次資料で情報を集め、『三四郎』の時代背景や街の描写などについての注釈を自分なりに付けて、当時を再現しながら作品の世界観を汲み取っていきます。
―発表のときに意識していることはありますか。
Y・S:考察を立てるにあたって『三四郎』について書かれた論文などの先行研究も調べるのですが、その考えを踏襲するのではなく自分なりの疑問や着眼点を見つけて、自分の考えを説明するようにしています。
―それぞれ、どんなテーマで発表をしたのですか。
S・I:私は主人公の三四郎が進学のため故郷の九州から東京に汽車で上京する冒頭のシーンを担当し、当時の移動手段について調べました。
当時の新聞や鉄道の時刻表をデータベースで調べたり、九州~東京までの地名で『三四郎』に名が載っている場所をつなげてルートマップ化してみたら、今の鉄道路線に割と結びついていることを発見。三四郎はこのルートを通ってきたんなだと感じることができました。
Y・S:私は「低徊趣味」についてです。三四郎は自身のことを低徊趣味があり、美禰子(想い人)のいる新しい世界の主人公だと思っているのですが、私は本当にそうなのか疑問でした。そこで、小説の中で語られている3つの世界「第一の世界(故郷の母のいる昔の世界)」「第二の世界(学問に身を置く現実世界)」「第三の世界(美禰子のいる新しい世界)」のどこにも属していない与四郎(三四郎の友人)の目線から見てみたら、結局、三四郎自身の思いとは裏腹に、彼は現実の学問の世界から抜け出せていなかったという結論にたどり着きました。
※「低徊趣味」:漱石の造語で、小説にたびたび出てくるキーワード。余裕をもって人生を傍観者的な立場から眺めようとする態度のこと。
―主人公以外の人物の視点に立ってみると、新たな発見が生まれたりするんですね。
Y・S:美禰子も、都会的で自由気ままな「新しい女」を象徴するヒロイン像として作中では描かれているけれど、それは明治時代の新しさで、私たちの生きる現代に通じている新しさではないかもね、という話もしました。どの登場人物とも打ち解けられるよし子というキャラクターのほうが、今の時代に通じる社交性があると思います。
S・I:三四郎のダメ男加減については、ゼミ生の男子と女子、共学出身かそうでないか、などで解釈に差がありました(笑)。今の自分たちの視点から、当時の大学生である主人公たちのキャラクターを議論するのはとても面白かったです。
―高校生の時と大学生になってからは、文章の読み方は変わりましたか?
S・I:高校は答えの出る学びが多かったですが、日本文学科の学びは答えがないことが多く、作品も色んな読み方ができると感じています。文学は1人で読んだり学んだりするものではなく、仲間と議論しながら深めていくものだと気がつきました。
Y・S:大学に入ると色んな方面から作品を読めるようになると思います。私は塾講師のアルバイトをしているのですが「本文の中でもこことここは結びつくけど、ここは対照的に比較できるよね」と、文章の構造を多角的に見て論理的に説明できるようになったことで、高校生に教えるときにすごく役立っています。

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