校長ブログ「百代の過客」

武蔵野にある「長崎平和祈念像」

12月11日(土)、中学の進路企画である「社会を見よう」(東京を知ろう)について、私も講座を担当させて貰いました。内容は、三鷹・武蔵野市といった身近な地域について、文学や歴史の側面から理解する散歩企画です。

 寒さが和らぐ晴天に恵まれる中、中学2年生・3年生の有志と共に三鷹駅から出発です。最初は三鷹駅車両区近くの太宰治が愛した跨線橋に向かいます。近く撤去されることが決まっており、名残惜しさもあって渡りました。

 続いて、太宰治関連の場所として、「太宰文学サロン」と太宰が入水自殺した地に置かれた「玉鹿石」を訪れました。中学2年生では「走れメロス」を学習するので、太宰関連の場所は学習を身近に感じられる所です。
跨線橋上にて
太宰文学サロン前

そして、玉川上水沿いを歩いて、山本有三記念館に到着です。山本有三は『路傍の石』などの作品が有名ですが、これらの作品は現在の教科書には載っておらず、知っている生徒もいませんでした。しかし、スクラッチタイルで覆われた洒落た洋館の佇まいには、生徒達も興味津々でした。

山本有三記念館
記念館前にて

次は、メーンイベントの井の頭自然文化園内にある彫刻館です。自然文化園は「象の花子」で有名ですが、ここはアトリエ館と作品が並ぶ2つの彫刻館から構成される園を代表する施設です。アトリエ館は、彫刻家北村西望が実際にアトリエとして使っていた場所で、彫刻館には西望の作品が数多く並んでいます。中で最も代表的な作品は、長崎市の平和公園にある「平和祈念像」です。実は、「平和祈念像」は、長崎出身の北村西望の手により、この井の頭の地で製作され、長崎まで運ばれました。像の本体は木組みで造られ、そこに像のパーツを貼り付ける工法で製作されてことから、運ぶことができたのです。この彫刻館には、長崎の像と同じ大きさの平和祈念像が今でも残されています。この像を目の当たりにした生徒達は、身近な武蔵野の地で、平和の尊さを改めて実感できる体験をしたと思いました。

学芸員の方の説明に耳を傾ける生徒達(アトリエ館)
平和祈念像と共に

最後に、「井の頭」の語源となった「家光御切付旧跡」の碑を眺め、広重も描いた井の頭弁財天にお参りして、七井橋を渡って吉祥寺駅に無事到着しました。
 後日、生徒達が書いてくれた感想には、身近でも知らないことがたくさんあり、それに気付かされたことを印象深く綴ってくれました。まとめのポスターまで製作してくれた者もいて有難かったです。

生徒が製作したポスター
北村西望の自筆

最後に、北村西望が平和祈念像の背面に刻んだ、平和を考えさせられる心に沁みる言葉を書かせてもらいます。
「あの悪夢のような戦争
  身の毛もよだつ凄絶悲惨
   肉親を人の子を
かえり見るさえ堪えがたい真情
 誰か平和を祈らずにいられよう
茲に全世界平和運動の先駆として
この平和祈念像が誕生した
山の如き聖哲
 それは逞しい男性の健康美
全長三十二尺餘
右手は原爆を示し左は平和を
顔は戦争犠牲者の冥福を祈る
 是人種を超越した人間
  時に佛 時に神
長崎始まって最大の英断と情熱
今や人類最高の
  希望の象徴
昭和三十年春日 西望塑人」