今回、50年以上の交流があるオーストラリアのカウラ高校に初めて訪問する機会を得ました。私に国際教育部の先生2人を加えた3名で、3月25日(土)に日本を出発し、翌日26日(日)シドニー空港からオレンジ空港を経由して、カウラの地を訪れました。
27日(月)には、念願のカウラ高校への訪問です。高校では、全校集会を行うスペースで、我々を歓待するセレモニーが組まれていました。先ずは、先住民族であるアボリジニの儀式を踏襲したスモーキング・セレモニーが行われ、民族衣装を纏った生徒達によるダンスが披露されました。初めて見るオーストラリアの伝統文化に、異文化交流の良さを実感しました。


次に、カウラ高校のハミルトン校長先生と私が互いにスピーチをした後、記念品の交換です。カウラ高校の生徒からオーストラリアの伝統的な楽器が贈られた後、本校からは交流記念の墨書きがされた大皿を贈りました。この一連のセレモニーに対して、多くの生徒が暖かい拍手をおくってくれ、両校の交流が更に深まると確信しました。本校からの留学生である小谷莉子さんの留学初日と丁度重なり、留学生の紹介も兼ねることができ、とても盛り上がったセレモニーとなりました。



その後、学校内を生徒会の生徒に案内してもらいました。特に、歴代の交換留学生の写真が飾られた特別室を訪れた際には、50年以上に及ぶ両校の深い繋がりを感じることが出来ました。ランチもカウラ高校の生徒と一緒です。カウラ高校の状況から好きな食べ物、美味しいお土産まで紹介してもらい、とても楽しいひと時を過ごせました。午後は、カウラ市役所に寄り、漢字で書かれた名刺を持っているビル・ウェスト市長や日本語の堪能なスミス副市長をはじめとする、日本との交流の意義を理解している行政関係者の方々と接することが出来、両国の歴史と交流の重要さを改めて認識しました。夜には、歓迎レセプションがあり、成蹊高校と関係のある多くの人達が集まってくれました。両校の関係者だけでなく、カウラ市民の方も多く参加しており、地域の方々がこの交換留学に関わってくれていることを実感し、感謝の想いで一杯になりました。






翌日は、「カウラ事件」の舞台となった捕虜収容所跡やその際犠牲となった人たちを埋葬する日本人墓地、この事件を風化させてはならないと作られたビジターセンターの記念室などを訪れました。1944年に起こった日本人捕虜による集団脱走事件の実際の場に立ち、両国の歴史を語るうえで、忘れてはならない地であることを改めて理解しました。午後には、その悲しい歴史を乗り越え、日本とオーストラリアの交流の証として造られた、池泉回遊式庭園「ジャパニーズ・ガーデン」の素晴らしさにも感動しました。



この日の夜には、この交流を支え続けてくれているカウラ成蹊交換留学委員会会長のボブ・グリフィスさんの邸宅に多くの関係者が集まり、食事会が開かれました。そこには、本校に留学していた多くの留学生が集まってくれ、当時を懐かしむ楽しい光景が数多く見られました。そして、名残惜しかったのですが、翌日には日本に戻る日となりました。
今回、1970年に本校との交換留学が始まったカウラ高校へ訪れることが出来たのは、本当に良かったと思っています。カウラの方々の優しさや日本及び本校への理解が直に伝わってきて、この交流を今後も更に発展させていかなければならないと心に刻みました。ハミルトン校長やボブ・グリフィスさんをはじめとするカウラ関係者の方々に心から感謝いたします。有難うございました。


