学科・大学院

教員メッセージ

遠藤 不比人 
専門:イギリス文学・文化 文化理論

自己紹介

もともとは20世紀イギリス文学を研究していましたが、徐々に関心が第一次大戦後のイギリス文化、さらに文化理論一般に拡がっていきました。特に第一次大戦後のヨーロッパの文学と文化は「暴力」という問題に執り憑かれていたのですが、その点に関してもっとも鋭い視点を提出したのが精神分析でした。現在の私の関心はこの時期のイギリスの文化における「暴力」の問題と同時代の精神分析の関連にあります。さらにこの時代の精神分析はいま現在の文化理論においても大きな存在です。「戦争」とは何か?「文化」にとって「暴力」はいかなる意味をもっているのか?人間存在にとって「暴力」とセクシュアリティはいかなる関係において結びついているのか?このような広い意味での「暴力」をめぐる現代思想に関しても論文を書いています。

受験生へのメッセージ

いま日本のみならず世界は大きな混迷のなかにあります。とくにそこでは「暴力」が大きな問題となっています。このような時代に生きる私たちにとって、根源的に「人間」とは何かを問う文学部は、いま大学でもっとも知的な刺激にあふれている場所になっています。英語英米文学科はこのような問題を考える格好の場所です。それと同時に英語英米文学科に入学したら猛烈に英語の勉強をしてください。英語英米文学科は学生諸君の英語力を大いに訓練する場所でもあります。

英語英米文学科に興味のある皆さんへ
-英語で研究発表したり論文を書くために-

私は最近メディアでよく耳にする「国際化」とか「グローバリゼーション」とかいう言葉は好きではありません。それに批判的ですらあります。それはしばしば単純に日本がアメリカのルールに合わせることを意味するからです。そしてそれは必ずしも日本の利益にならないからです(むしろ不利益の方が多いでしょう)。しかしながら日本で英語圏の文化や文学を研究する人間として「英語で発信する」ということには大きな意味があると考えています。具体的には海外での国際会議において英語で研究発表したり、英語で論文を書いて英語圏の専門誌に掲載されることを目指したり、英語で著書を出したりすることです。最後の英語の著書に関しては計画中の段階ですが、研究発表や論文に関してはそれなりに実行してきました。

ではそういった活動をする基盤になっている私の英語力はどのように身につけたのでしょうか。ちょっと思い出してみます。

まずは読解力(これがないと話になりませんよね)。私の英語を読む力の基盤になっているのは大学受験のために繰り返し(文字通りバラバラになるほど)勉強したある参考書にあるかと思っています。それは原仙作という長崎大学の先生が書いた『英文標準問題精講』(『原の英標』と一般に呼ばれた)という本です。この本の特徴は、フォーマルな英語を読むためにその構文を徹底的に分析し理解することを目指しているところにあります(ある独特の解剖図を使っています)。この参考書をたぶん10回程度は勉強して、そこで使用されている英文をかなり暗記しました。扱われている英文は少々古いのですが(基本的には20世紀前半)英語の文章は日本語ほど変化していないので、フォーマルな英語の勉強のためにはいまでも役に立つのではないでしょうか(英米文学の作品が多いので英語英米文学科の学生にはとくに)。ここで大切なことは繰り返したことです。はじめは頭で理解した英語の構文を反復練習し暗記をしたことで、少々複雑な英文でも自然に構文が取れるようになりました。なにも英文学者でなくても、この力がないと英語を使った仕事などできません(ビジネスであっても)。いまフォーマルな英文を暗記したといいました。じつは大学の英文科に入っても私は好きな作家や批評家や学者の英文をかなり暗記しました。そうすることで私が英語で論文を書く力がついたのだと思います。ここで重要な点は、英語を書いたり(話したり)するときに、見たことがない表現を使わずに、記憶の中にある表現を使うことです。それはすべてネイティヴが使った自然な表現ですから、そのインプットがないと自然なアウトプットもありません(ちなみに私は中学の3年間に使った教科書も全部音読して暗記しました。そのおかげで高校生のときには基本的な日常会話はできるようになりました)。書くとか話すという力のためにはこういったインプットの質と量が決定的で、それがほとんどすべてと言って良いでしょう。

ほかに思い出せば大学受験をきっかけにして発音記号をつねに意識していたことです。ある単語をかならず発音記号に書き換える作業を繰り返しました。これと英文の音読の反復練習をすることが、私の英語の発音の基礎となっています(これはいまでも繰り返しやっています)。

ということでいま私が日本の英文科の教授として海外の学会で活動をしている基礎は中学と高校の勉強であったことになります。世間では受験英語は役に立たない、生きた英語を勉強するためには留学しかない、ということが言われますが、それは半分ウソです。日本での地道な勉強がなければ、留学しても教科書は読めないし、レポートも書けない、ということになるでしょう。ですので、まずは日々の読み書きの練習が大切であること、英語を音読し暗記すること、この二つの重要性を体験的に強調しておきます。もちろんそれを基礎にして、日常的に多くの英語を読み,書き、聴き、話すことが大切であることは言うまでもありません。

じつはこれは同時通訳の神様と呼ばれた國弘正雄というひとの勉強法でもありました。

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小野 尚美 
専門:英語教育

自己紹介

大学の専攻は、国際関係学(東南アジア、南アジア研究ゼミに所属)でした。英語教員の免許を取ったことがきっかけとなり、米国インディアナ州インディアナ大学(ブルーミントン校)で応用言語学と言語教育学を勉強しました。7年余りをインディアナ州で過ごし、ほとんどHoosier(インディアナ州の人々のニックネーム)になりかけたところで帰国して以来、日本の大学で英語科教育法および第二言語習得論を教えています。現在、情報処理過程としての読解過程分析、リーディング・ストラテジー研究、語彙・文法習得研究、授業分析研究を行っています。

受験生へのメッセージ

私のゼミでは、第二言語習得論および英語教育学を学んでおり、「英語によるコミュニケーション能力を向上させるためにはどうすべきか?」という素朴な疑問を持つ学生が集まっています。現在ゼミの学生は、第二言語習得、英語教育の理論について学ぶとともに、短期留学や、成蹊小学校でTeaching Assistantを経験しながら言語習得について知識を深め、上記の疑問に対する答えを模索しています。さらに、大学院では教育理論(リーディング論)という科目を教えていますが、現役の英語教員の学生も在籍しており、院生同士が刺激し合いながら勉強しています。学生時代は、あらゆることに挑戦しながら、自分がどんなことに興味があるのか、どんな能力があるのかを捜し求めることに熱中できる「モラトリアム時代」です。緑豊かな武蔵野の成蹊キャンパスで、あなたの学生時代を過ごしてみませんか。

英語英米文学科に興味のある皆さんへ
- “Things will come right in time”の精神と私の米国留学 -

今から30年以上も前になるが、私は大学卒業後すぐ米国に大学院留学した。将来、中学校か高等学校の英語教師になろうと考えていたので、大学を卒業してから英語能力養成と応用言語学を学ぶために、インディア州立インディアナ大学(ブルーミントン校)言語学科で勉強することにしたのだった。

大学を卒業したその年の8月19日に日本を発った。この長い1日のことは今でも鮮明に覚えている。当時私は飛行機に乗ったこともなく、当然外国に行った経験もなかった。ブルーミントンまで直行便がないので、シカゴのオヘア空港乗り換えで、そこから国内線でブルーミントン空港まで行くという行程となった。成田からの国際線では、隣に座っていたビジネスマンが初めて飛行機に乗る私に色々教えてくれた。運悪く、私の乗った飛行機はかなり遅れてシカゴに到着したため、速く国内線に乗らなければならなかった。私の乗る国内線は国際線の飛行機とは会社が違うので、遅れても待ってはくれない。 空港内の関係者らしき黒人女性に勇気を出して英語で質問してみた。 “Excuse me, could you tell me ---”と言い終わる前に、勢いのいい英語で何かを説明してくれたが、結局何の情報も得られなかった。当時オヘア空港は工事中で、国際線と国内線の乗り継ぎ場所を示す看板が見つからず、あちこち走り回った。次の飛行機の出発時間は刻々と迫っていた。仕方なく目の前になるかなり大きな道路を走って渡って国内線乗り場へ直行した。危機一髪!もう数分で出発という小型飛行機に乗り込んだ。これで目的地には行けると一安心。この飛行機には機長を含め8人だけで、座席と荷物置き場が一緒になっている「超小型飛行機」であった。

私が乗った超小型飛行機は間もなく雲海の上に出た。小さな窓から雲海を見ながら当時朝のNHK連続テレビ小説の「雲のじゅうたん」という番組を思い出していた。「自分も雲のじゅうたんの上だ~!」などと感激していたが、かなり疲労がたまっていたので間もなく睡魔が襲い、起きたころには夕暮れのほとんど人けのないブルーミントン空港に到着していた。迎えに来るはずの米国人のボランティア夫婦は到着日を間違えたため、現れなかった。国際線に預けていた荷物は結局私が乗った小型飛行機には間に合わず、その時自分が持っていたのは、英和辞書、歯ブラシ、お金、パスポート、筆記用具、ハンカチとちり紙だけであった。生きてはいける最低限のものだけであった。「どうにかしなくては…」と考えていたところ、ブルーミントン空港にいた香港人留学生が“Where are you going?”と聞くので、“Eigenmann”と答えたら、同じところへ行くからと言って車で連れて行ってくれた。

Eigenmannとは大学院生用の寮である。そこの係の米国人の英語がまた中西部訛りで聞き取れず、渡された鍵で部屋の番号が分かり、指差した方向にエレベーターがあったので、部屋には行けた。部屋の戸を開けると年代を感じさせる木製の机、椅子、ベッドしかなかった。もう夕方の6時で「どうにかしなくては…」と考えていたところ、その寮の同じ階に1人だけ学生がいるらしく、物音がしていたので、思い切ってノックしてみた。自己紹介し、“I want to buy ---”と全部言う前に、その韓国人女子大学院生が友達を呼んでくれて、Mallへ行き、当座必要なものを買うのを手伝ってくれた。コインの種類の区別もまだつかず、お財布からお金を出すにも時間がかかった。着替えも何もないまま夜を迎え、夕食も食べなかったが、18時間の長い道中、英語らしい英語を話さずにとにかくベッドシート、枕カバーとブランケット、赤い皿とカップだけは揃って、米国時間の夜10時ごろ寝ることができた。ハプニング続きでも「どうにかなった」この日、その後7年余りもインディアナでの生活が続くことは想像していなかった。

あれから随分年月が経ったが、今でも困ったことがあると、「なんとかなるものだ。(Things will come right in time)」の精神で生活している私は今も相変わらずである。

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小林 英里 
専門:英語圏文学 ポストコロニアル・フェミズム批評

自己紹介

これまでおもに20世紀イギリスの文学作品について読んできました。大学の卒業論文ではD.H.ロレンスの『恋する女たち』について、大学院の修士論文ではジョゼフ・コンラッドについて書き、そして大学院後期博士課程の博士論文ではジーン・リースの小説を扱いました。卒論、修論とともに男性作家の作品でしたが、博士課程で女性作家の作品と出会ったとき、まるで自分のことが書かれているかのように感じられて、以来、女性作家の作品を、とくにジェンダーと人種という観点から、読んで研究に取り組んでいます。

受験生へのメッセージ

現在、「演習」「2年次演習」といった少人数制のゼミ科目に加えて、CALLや「イギリス文学史」そして「フレッシャーズ・イングリッシュ」などの1・2年生の必修科目も担当しています。英語英米文学科のどの授業も、学科教員によって、よく練られた授業設計がなされており、バラエティに富んでいます。野球の投球の喩えで言うなら、緩急あるピッチングや多彩な変化球、それに変幻自在の投球が、教員側から学生へ向かって投げかけられるといった感じでしょうか? このように英米文化学科では、みなさんの英語力向上と専門分野の知識の涵養のために多種多彩な授業が用意されています。一緒に勉強できることを楽しみにしています。

英語英米文学科に興味のある皆さんへ

わたしが英文系の学部学科へ行こうと決めたのは、受験生向けのある問題集(筒井正明著、『英文解釈その読と解』)と出会ったからです。その問題集には、単元ごとに毎回500ワードくらいの英文が載っており、英文の構文をとりつつ和訳するのが課題となっていました。まず自分なりの訳を作り、その後自分の試訳と和訳例の訳とを照らし合わせながら、構文と訳文を確認するという作業を、毎回その問題集でおこなっていました。

じつはその問題集には続きがあったのです。構文をとって和訳する作業(つまり読)だけにとどまらず、その英文の内容を咀嚼し解釈する部分(つまり解)が各単元末部についていたのです。わたしはその「解」の部分を読むのが毎回楽しみで、単元は15ほどあったと記憶していますが、最後の回まで読み終えてしまうのがもったいなくて仕方ありませんでした。自分では英文の構造をきちんと把握して誤訳をしないようにすることが精一杯でしたが、解の部分を読んでみると、この英単語にはこのような意味がある、ここの部分はこうした解釈が可能である、そして欧米にはこういう思想がある、ということがわかり、毎回新しい発見に満ちあふれていたのです。

その問題集に収録されていた英文の大半は、哲学(バートランド・ラッセルの『幸福論』からの抜粋)や英米の小説といった、人文系の分野の書物から抜粋されたものでした。わたしがとくに好きで何度も何度も繰り返して読んだ単元では、イギリスの小説家W.S.モームの『人間の絆』(1915年)の最後の部分が収録されていました。この小説は、主人公フィリップ・ケアリの成長を扱った教養小説なのですが、小説末部ではずっと人生の意味を問い続けてきたフィリップがその意味を悟ります。人生にはこれといった確定できる意味はない、ここにあるペルシャ絨毯のように、各人それぞれが思いのままに多彩な糸で人生という絨毯をそれぞれ織り編んでいけばよい、という啓示の瞬間が、ここ小説末部で主人公に訪れるのです。この部分の解を読んだとき、わたしが大学で学びたいことは、英文を読んで、その奥に隠されている思想を知りたいことなのだと悟りました。大学は文教育学部の英文科へ進学しました。卒論ではモームは選ばずに、ほかの男性作家の作品を扱うことになりましたが、教壇に立っている今でも、英文の奥に隠された思想を知りたいという受験生のときの思いは消えていません。英語英米文学科に関心のあるみなさんと一緒に、英文の奥にある思想を追求できることを願っています。

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権田 建二 
専門:アメリカ文学・文化

自己紹介

アメリカ文学および文化を専門としています。より具体的にいうと、20世紀アメリカ文学で殺人事件とその裁判を扱った作品群(通称、殺人物語)をこれまで研究対象として扱ってきました。「殺人物語が専門だ」と言うと大抵の人は怪訝な顔をするか、私のことを変わった人扱いするか、憐れむかするわけですが、私が殺人者に関心を抱いているのは、別に私自身が暴力的な人間で、人殺しが好きだからというわけではありません。私が殺人物語群をはじめとしたアメリカ文学と文化の研究を通して学びたいと思ってきたのは、正しく生きるとはどう生きることなのか、ということです。そしてその問いは究極的には、良い人生とはどういうものか、という別の問いに行き着くのだと思っています。こんなことを考えつつ研究者・教育者となり、そんなことを考えつつ研究者・教育者として生きていくことになるのだと思いますが、それはそれで良い人生であるかどうかは別として、悪くはないのではないかと思っています。

受験生へのメッセージ

大学の4年間というのは短いものです。英語英米文学科に在籍している間に、次のことを行ってほしいと思います。まずは、英語と日本語の運用能力の向上。せっかく英語英米文学科にいるのですから、英語能力を高めると同時に、日本語で表現する能力も養ってほしいと思います。

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ジャマール・モーリス 
専門:英語教育

自己紹介

Maurice Jamall is an Associate Professor in the Department of English and American Literature. He has been teaching English since 1987 and taught in the UK, Nepal and Thailand prior to coming to Japan. His main interests are in teacher-training, materials development and curriculum design. Professor Jamall has authored several textbooks as well as serving as Series Editor for a three-level listening series. He has been active in teacher training in Japan for many years and is one of the anchor trainers on the ETJ teacher-training course sponsored by Oxford University Press and David English House. In addition, Professor Jamall has been a tutor on the Royal Society of Arts Diploma in language teaching. He regularly gives presentations overseas and has served as plenary speaker on two occasions.

受験生へのメッセージ

Life is short. Even a long life is only 650,000 hours. Not very long, is it? The four years that you will spend at university are a precious gift, (don't forget to thank your parents; they are spending a LOT of money!). Just think; for four whole years your only responsibility is to learn, to think, to grow as a person, to develop your intellect. My advice to you─regardless of whether you choose to apply to Seikei or not─is this:

  • choose your classes wisely, learn what you can from all those around you: your teachers, your classmates, your seniors.
  • if you have the opportunity, take advantage of any exchange programmes and spend one of your university years overseas.
  • don't let your part-time job(s) interfere with the much more important task of broadening your mind. it will benefit you long after the extra pocket money has been spent.
  • do your best to get on with everyone around you.
  • when you have class or club nomikais, pace yourself. Contrary to popular belief, it is not kakkoi to drink five large glasses of beer in five minutes. In fact, it is very dasai!
  • build friendships that can last a lifetime.
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庄司 宏子 
専門:アメリカ文学・文化

自己紹介

専門はアメリカ文学・文化です。ご存じの通りアメリカは建国から200年ばかり、植民地時代を入れても400年ほどなので、全体をカバーできればよいのですが、現在関心があるのは19世紀の前半、特に30年代、40年代あたりにかかれた文学や文化状況です。アメリカ史においては文化の覚醒期が3つあり、最初が1830年代に本格化する領土拡張の時代、次が1880年の新思想の時代、それから1960年代のニューエイジの時代であると言われますが、そうした時代に生み出された文学にはエネルギーがあります。
文学研究を通じて文化、社会、精神思潮などある時代をまるごと俯瞰できればと考えています。

受験生へのメッセージ

成蹊大学の魅力は緑溢れる落ち着いたキャンパスでしょうか。学生数もこぢんまりしているので、ゼミでは少人数をキープでき学生一人ひとりに目が届くという利点があります。10代終わりからの4年間は人間の成長という意味で他にはない遙かに大きい可能性を秘めた時期だと思いますが、そうした皆さんと一緒に学ぶことができればと思っています。

英語英米文学科に興味のある皆さんへ
< デジタル・ネイティブの皆さんへ >

英文科の教師をしていると、中学や高校時代さぞかし英語が好きで好成績だったのだろうと思われるのですが、私の場合そんなことは全くありません。むしろ英語は苦手で、大学で英文科に進んだのも苦手な英語を克服したかったからです。また、英語という言語を勉強したいというよりは、英語の向こうに広がっている世界に近づきたいという気持ちが強かったように思います。

今、学生とどのような音楽を聴くかという話をすると、意外と洋楽を聴かないようですが、英語を楽しく勉強する方法としては英語の音楽を聴くというのがおすすめです。本のなかの英単語や熟語を覚えることは難しくても、音楽だと自然と耳で覚えることができたりします。青春時代にどんな音楽を聴くかで世代は分かれるものですが、私はイギリスのロックバンドのクイーンが大好きでした。私の通った中学ではランチタイムに放送クラブの人が好きな音楽をかけていて、クイーンの“Good Old-Fashioned Lover Boy”がよく流れていました。その当時は歌詞の内容を理解しないで聴いていたのですが(イギリスのパブリックスクールに通うゲイの男の子の歌で、のちに『アナザー・カントリー』などの映画にみられる世界が描かれています)、今も私の中学時代の記憶は、教室のマイクから流れてくるフレディ・マーキュリーの甘い歌声のなかにあります。

生まれたときからCDやDVD、デジカメの世代の皆さんは、音楽や映像を楽しむ方法も私とは大いに異なっていることでしょう。LP(プレーヤーにレコードのA面とB面をひっくり返してかけるものです)で育った私は、ジャケットに描かれたアートを楽しみ、アーティストがA面とB面で展開する異なる世界を味わったものです。1曲目から最後の曲までひとつに連なっているCDではそうしたヤヌス的な表現はありませんし、同じようにデジカメやケータイのカメラでは、以前のフィルム時代のカメラにあったようなネガとポジもありません。

どのような機器で音楽を聴くか、映像を見るかということは、人間の認識や記憶のつくられ方と微妙に関わっています。皆さんには、音や映像のテクノロジーが自分の記憶や思考の様態とどのように関わるのか、ひいては自分という人間にどのように影響しているのか、自覚的であってほしいと思います。レコードのA面とB面、カメラのネガとポジで育った私は、これらの映像や音を通じて、世界には表と裏、明と暗、光と影があることを、ぼんやりとですが感じ取っていたように思います。若い皆さんはiPodやケータイを手に、その場で瞬時に映像の音を切り替え、自分の好みに応じて音と絵をパッチワーク的に加工することに慣れているようです。
記憶をつくる映像がセピア色に染まることがなく、経年で音が風化することもないデジタル・ネイティブの皆さんの考え方や感じ方に私は興味があります。文学言語もまた、記憶や思考や感情の巨大な貯蔵庫ですが、そうした文学をデジタル・ネイティブ世代の皆さんと一緒に読むことを、私はとても楽しみにしています。

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田辺 春美 
専門:英語学

自己紹介

英語史、特に中世の英語の文法や語彙の歴史を専門に勉強しています。このところ、13世紀イギリスの修道女のために書かれた戒律の編集の仕事を主にやっています。いくつか現存している手書きの写本はほぼ同じなのですが、所々違う綴り字や単語が使われているので、それを写本ごとに比べられるような本を作っています。根気のいる作業ですが、着実に成果が出ます。そのほかには、コンピュータを使って昔から現在に至るまでの膨大な英語の文献を調査し、文法や語彙にどのような変化がおきたか研究します。最近調べてわかったことは、finish+動詞のingのような動名詞を目的語にした文は、とても新しくて19世紀後半から20世紀になって急にふえています。結構最近の用法なのですね。

受験生へのメッセージ

英語に限らず、言葉って本当におもしろい。私は言葉について調べたり、考えたりしているだけで、毎日楽しいです。英語が好きで英文科に来たみんなにもそんな気持ちになって欲しいです。確かにこのごろ、英語は単に道具だ、役に立てばそれでよい、という声も耳にするけど、小さな単語一つに隠されている意外なドラマに感動する心と知性をもちたいですね。でも、英文科に入った以上、「絶対英語ができるようになってみせる!」という覚悟も大切。教員は、CALL教室、ネイティブの先生、ゼミとつぎつぎ隠し球を出して、みんなのことを鍛えていきますから、しっかりついてきてください。

英語英米文学科に興味のある皆さんへ
< 徳川慶喜のポートレートと母音の無声化 >

テレビで徳川慶喜(1837−1912)の業績をかたる番組[i]をやっているのを見て、とても面白い発見をした。慶喜は敵前逃亡をした大将とか評判がよくないが、その合理的な政治判断を渋沢栄一は評価していたそうだ。彼は、日本を植民地にしないため、欧米諸国との外交の重要性に早くから注目し、まだ写真が珍しい時代に自分のポートレートを撮影させた。そして、欧米の王族や指導者の間では、自分の写真を送り合う習慣あることから、それをまねて自分の写真を積極的に海外に送った。彼の欧米流の外交姿勢は欧米列強国の大使から格段に高い評価を得ていたそうだ。その写真を伝える当時の新聞記事の文面が一瞬テレビにでたのだが、“The portrait of Stots Bashi”と書かれていた。一橋徳川家の第9代当主であった 慶喜は、「一橋」と呼ばれていたので、 Stots BashとはもちろんHitotsubashi(一橋)のことだ。なぜ、当時の外国人記者は Hitotsubashiと書かずに、“Stots Bashi”と書いてしまったのか推察すると、母音のiの音が無声化していたからに違いない。現代の関西弁でも無声子音間にある母音も無声化されずに丁寧に発音されるが、関東ではとくにiとuの母音は必ず無声音になっている。ピンと来ない人は、のど仏に指をあてて江戸っ子らしい発音でちょっとぞんざいに「菊池君」といってみると、指に振動がつたわらないはずだ。いわゆるささやくときのような音である。そのため、非日本語話者には子音しか発音していないように聞こえる。では、なぜhではなくsがついてStotsとなったのだろうか。ごぞんじのように、江戸っ子の発音はヒがシになる。シの母音が無声化し、s音のhissing soundのみがのこって、tと結びついたためであろう。当時の記者は日本語が読めず、五十音のローマ字による転写方法もしらず、耳できいて自分で考えた転写法をとったのではないだろうか。そして、期せずして当時の発音が今に伝わっているのだと思うと、わくわくしてしまう。

 念のため、当時の日本にいたイギリス人Chamberlainが書いた日本語の文法書[ii]をみてみると、ちゃんと母音の無声化についての記述と例があった。彼は東京帝国大学の外国人教授で、日本語の音声を大変良く理解していたとみえ、「生粋の東京生まれの人の発音では、iとuはf, h, s, sh, とtsの後でしばしば聞きとれない」と書き残し、「二つ」は‘ftatsu’または‘ftats、「人」は‘hto’、「下」は‘shta’と発音されると例をあげている。

 外国人の耳を通すことによって、日本語の発音の意外な一面が明らかになるように、私たちも英語という外国語を通して新たなものの見方を発見できる。そのことを一人一人に体験して欲しいと思う。

  • [i] 
    BS−TBS「THE歴史列伝」2014年10月10日(金)22:00から放送。私が見たのは、11月23日10:00の再放送。
    http://www.bs-tbs.co.jp/retsuden/bknm/26.html
  • [ii] 
    Basil Hall Chamberlain, A Handbook of Colloquial Japanese, 4th ed. London: Crosby Lockwood & Son, 1907, p. 14. (1st ed 1888).
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塚田 雄一 
専門:イギリス文学・文化、シェイクスピア劇

自己紹介

イギリス文学・文化、特にウィリアム・シェイクスピアの劇作品の研究を行っています。英語英米文学科では「イギリス文学史」や「英語圏芸術・文学」といった講義科目、3・4年生対象のゼミ、英語科目などを担当しています。皆さんと吉祥寺のキャンパスでともに学ぶことを楽しみにしています。

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日比野 啓 
専門:比較演劇、演劇理論

自己紹介

専門は演劇学で、現在の研究対象は、19世紀終わりから20世紀初めにかけて、大衆社会の成立とともに演劇がどのように変貌を遂げていったかを、アメリカと日本について見ていくことです。とりわけ、アメリカではバーレスク、ヴォードビル、ミンストレル・ショーといった演芸が、ミュージカルという国民演劇として発展していき、日本では西洋の近代劇がどのような変質を遂げていくか、ということに興味があります。また一般にコメディに関心があり、紀元前後のローマ喜劇からシェイクスピア、マルクス兄弟から松本人志に至るまで笑えるものが大好きです。

受験生へのメッセージ

英語英米文学科で学んでほしいのは、第一に、英語を速くそして正確に読めるようになることです。残念ながら、英語で入手できる情報と比べると、日本語で入手できる情報は質量ともに劣っています。たくさん単語を覚えて多量の英文を読むという地道な作業をいとわずに行うことができた人だけが、この目標をクリアできるでしょう。次に自分の感性を磨くこと、自分がどんなものが好きで、どんなものが嫌いかをいろいろ体験して知ること。演劇でもダンスでも、映画でも絵画でも、小説でもマンガでも、自分の好きなものをどんどん増やしていってください。

英語英米文学科に興味のある皆さんへ
< 英語の失敗談 >

私も昔は英語ができませんでした。英語を使おうとしてうまくいかなかったことはたくさんありますが、そのうちの一つを思い出してみます。

私はまだ実家にいた頃のことです。近所にアパートができて、外国籍の家族が引っ越してきました。程なくして彼らはゴミを分別せずに回収場所に出すようになり、母親をはじめ近隣の人々は困っていました。なにしろ三十年ほど前のことで、行政も外国人の住民への対応が行き届いていなかったのでしょう。あるいは、母国ではそういう習慣がなかったかもしれません。日本語を解さない向こうの人たちも、どうやら英語なら通じるようなので、当時大学生一年生だった私に白羽の矢が立てられ、私は彼らのアパートに話をしに行きました。

話そのものはうまくいき、"Keep burnable and inburnable trash separated" という、頭を振り絞って考えだした英語のフレーズも通じたようでした(翌日からちゃんと分別して出してくれました)。私は少々得意になって、別れ際に「気をつけてください」というつもりで"Please take care" と言いました。すると、相手は怪訝そうな表情を浮かべました。

みなさんは分かるでしょうか。「気をつけてください」と言いたいのなら、たとえば "Be careful" と言わなければいけなかったのです。たしかに辞書を引くと"take care" には「気をつける」という意味があると載っています。私はそれを覚えていたので、使ってみたのです。しかし別れ際に"Take care" と命令文で言えば、それは親しい間柄同士で「さよなら」「お大事に」という意味を表します。初対面の人にいきなり"Take care"と言ったので向こうは「何だこいつは」と思ったのでしょう。

ちなみに、今の私なら「気をつけてください」とは言いません。このような場合にもっともふさわしい「気をつけてください」という表現は、"Don't let it happen again" ですが、この言い回しも文脈によっては高飛車に聞こえるので、もっと当たりの柔らかい、"Bear this in mind, will you?" (覚えておいてくださいね)という表現を使うでしょう。付加疑問文の will you? の部分は少し冗談めかして。この部分を強く言うと、逆に脅迫めいた口調になります。「覚えておけよ、いいか」という感じ。

こういったことは、英語を実地に使っていくうちにわかるようになることです。今ではもう英語で用を足すのに不便を感じることはありませんが、そうなるまでに何度も何度も恥をかいてきました。文学部英語英米文学科では、ネイティブ・スピーカーの先生のものをはじめ、英語を実地で使う授業が多く用意されています。積極的にこうした授業をとり、恥ずかしい思いをしてください。そうした体験を重ねることによって英語ができるようになるのです。

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平山 真奈美 
専門:言語学(音声学、音韻論)

自己紹介

私は言語、特に音声、音韻(=音声の文法)を中心とした研究をしています。言語学は、人間の言語とはどういうものかを考える分野です。言語によって色々な文法がありますが、面白いのは、そのバリエーションにはかなり制限があり、なんでもありではない、ということです。例えば、S(主語)、V(動詞)、O(目的語)の語順は、可能性からいうとSOV, SVO, etc.と全部で6通りあるわけですが、そのうちVOS, OVS, OSVの3つは非常に稀で、大多数の言語ではSVO, SOVのどちらか、または頻度はかなり減りますがVSO、が基本語順です。もし何も理由がないのであれば全ての語順が同じような頻度で使われることが期待されるでしょう。そうでないということは、何か人間の言語としてそうさせるものがあるのではないか、そしてそれは何なのか、というわけです。

おそらく私が今言語学、特に音声や音韻に興味を覚える初期的な体験は、中学校で初めて英語を習った時にあります。例えばthの発音など、日本語と違う発音があることを知り、発音の仕方を教わり、実際に発音してみることが楽しく感じられました。大学学部生の頃は、言語学以外にも、国際関係のようなことにも興味がありゼミに参加したり、実は将来はそちらの方向で仕事をしたいと考えていた時期もありました。でも、大学院に進み、トロント大学で言語学をさらに学ぶなかで、良い先生と仲間に恵まれたお陰で、今は言語学に携わりながら社会と関わっていければと考えています。

受験生へのメッセージ

大学での勉強は高校までの勉強とは随分と違います。そして、発見がたくさんある場所です。私も、高校の時まで、英語や英語らしい発音をマスターするのが好きではあったものの、それを調べたり系統だって考える方法があると知ったのは、大学1年で英語音声学を取った時です。言語学は高校までにはない科目なので、大学に入って初めて出会うわけです。他の科目も同様です。大学は、高校までの授業にはない切り口で、私たちの生きる社会や世界のしくみを解明するための入り口を提供してくれます。今まで考えたことのない内容、或は(私のように)興味があるけれど説明できると思ってもいなかったこと、を説明できる可能性に出会える場所です。ぜひそれを体験しに大学へ行きませんか。

英語英米文学科に興味のある皆さんへ

皆さんは、英語に幾つ母音があるか、わかりますか。(日本語(東京方言)は「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」の5つです。)英語を話すときに日本語訛りがでるのは普通で、恥ずかしがることではありません。他の言語の話者も皆、自分の母語の影響を受けた訛りで英語を話していますから。しかし、英語と日本語の発音はどこがどう違うかを知っているだけで、(日本語訛りがあっても)随分と英語の話しかたが違ってくるのではないでしょうか。その知識は聞き取りにも役立つでしょう。英語英米文学科ではそのようなことも学べます。

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森住 史 
専門:社会言語学

自己紹介

今でこそ通訳者の仕事もしていますし、英語の勉強は素直に大好きだと言えますが(ハイ、今でも英語の勉強は続いています)、帰国子女ではない私は高校生の時には英語劣等コンプレックスの塊でした。その時から「日本人が英語を話すとはどういうことなのか」が大きなテーマになっています。現在は、通訳理論と通訳者の訓練方法の英語教育への応用と、社会言語学の枠組みでの言語とアイデンティティおよび言語とジェンダーに関するトピックが研究の中心です。社会言語学とは、言語と言語行動を分析する際に社会や文化を鍵として捉える学問分野です。言葉の「乱れ」をめぐる議論や、「男女のコミュニケーションギャップ」など、身近に研究テーマがあることが魅力と言えます。ゼミの学生には、自分や身の回りの人の言語行動や言語意識に疑問を持てるようになることを期待しています。私自身の留学経験は、ケンブリッジでの英語研修に始まり、ロンドン、エディンバラとイギリスに偏っています。大学1年の夏休みに6週間過ごしたケンブリッジにすっかり心を奪われて、それ以降はイギリス以外は留学先として考えられなくなりました。今、「留学します」と言いに来てくれる学生の皆さんがちょっぴりうらやましいです。

受験生へのメッセージ

英語を生業(の一部)としているのにもかかわらず、長年、「英語」と「私」は愛憎半ばする複雑な関係にありました。今になればほろ苦い思い出でです。 中学入学の少し前、幼馴染の友人とその親が近所の英会話教室を見に行くというので、私はついて行きました。私も私の親も、興味はゼロだったのですが、初めて耳慣れないエキゾチックな音に囲まれた私は、すっかりその言語に魅了されました。 中学校に入り、英語の授業が始まると、文法をはじめいろいろな「ルール」を教わることになり、これがまた楽しくて仕方ありませんでした。新しい文法ルールを教わったら、それを使ってその頃飼っていたセキセイインコについての英文をあれこれと作ってみたり。英語の勉強があまりに楽しかったので、英語教育に力をいれている高校へ進学を決めました。そしてあこがれの高校へ入った、のは良いのですが、ここで私は自分の英語力が周りの帰国子女の生徒と比べて明らかに劣っていると自覚させられました。朝、授業が始まる前には、当時流行っていたテレビドラマの話(いえいえ、『24』とか『ダウントン・ アビー』などの海外ものでなく、普通の日本のドラマです)を、早口で話しては盛り上がっている級友たち。今の私なら、早口で英語を話せたからといって英語力とイコールではないし、そもそも英語を話せることだけが人の価値を決めるのではない、と言えますが、当時の私にはそのように考えることができませんでした。この時期、「かわいさ余って憎さ百倍」という言葉の通り、私はそれまで好きだった英語と、英語が表象するもの(アメリカン・ドリーム、イギリスの歴史、ハリウッド、等々、英語の裏にあるものすべて)を憎みました。日本の文化だって知らないことは多いし(自分一人では着物を着られない、お能も見たことがない、とか)、日本語だって完璧じゃない(「薔薇」の漢字は書けない、『源氏物語』も読めない、とか)。英語なんか勉強している場合ではないのではないか、と自分を責めました。自分の中で「あるべき自分」「なりたい自分」と、「今現在の自分」が衝突し、その葛藤の只中で居場所を失っていた気がします。大学に入ってからは、似たような経験や思いをしてきた学生が周りに多く、肩の力が抜けました。そして、社会言語学という学問分野に触れ、まさに私が苦しんできた言語とアイデンティティーの問題や言語と権力の問題がそこで扱われていることを知り、英語に対して、また、英語と自分の関係に対して、客観的に見る姿勢を学んだことで、気が楽になりました。以来、勉強(後には研究)のための英語力を身につける努力を続け、社会言語学を専攻にして研究を始めているうちに、もっと英語を使ってみたいという欲が出て、通訳の学校に通い、通訳者にもなりました。そして、今、英語は私の一部となっています。独り言を英語で言うこともよくありますし、英語を聞かないままで過ごす1日はありません。ネイティブ同様とか、完璧とか、そんなものではないけれど、英語は自分の言語である、と真顔でいう事ができます。例えば、自分の身長、理想としてはあと5cm高かったらと思いますが、不足分の5cmで嘆き苦しむことはしません。それと同じ感覚です。語学としての英語を勉強するだけでなく、そもそも英語ってどのような言語なのかを探る研究もできるのが大学です。言語はツール(道具)だ、と良く言われますが、単なるツールだとしたら、10代の私はあそこまで悩むことはなかったでしょうし、現在必要もない場面で英語を使ったりすることはないでしょう。みなさんの「英語と私」のストーリーを聞かせていただける日を楽しみにしています。

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