経済学部二井正浩
「先生、紫式部のこと知って何の役に立つの? そんなの(私には)関係ないよ。」これは、25年以上前、高校の教壇に立つ私に生徒が投げかけた怨嗟の声です。受験や内申点といった外発的動機、または先人の生き方や国民としての自覚といった道徳的動機を除けば、歴史の授業は多くの子どもにとって「他人事」の昔語りに過ぎないのではないでしょうか。
この研究は、「自分事」の歴史授業がどうすれば実現するのかを問うものです。具体的には、海外の歴史教育を研究しているメンバーと協力し、注目すべき取組を諸外国で収集し、分析・分類した成果を追試授業の実施・Web公開・出版などを通じて公開することをめざしています。
(都内,2020年,2月)
「自分事」の歴史授業とはどのようなものでしょうか。海外での事例収集は、新型コロナウイルスの影響もあり、順調とは言えませんが、ここでは、現段階で収集している授業の一つとして、ドイツで実施された「国民哀悼の日を考える」を紹介します。
ドイツでは、戦死したドイツ人兵士を顕彰するため、1920年代に「国民哀悼の日」が設けられ、ナチズム政権下では「英雄記念日」、現在では「戦争と暴力の全ての犠牲者のための記念日」として引き継がれています。この式典では、きまって軍歌「私には戦友がいた」の演奏や議会での悼辞が行われており、授業で教師は、直近のこの式典の映像を確認した後「この国民哀悼の日は今の時代にふさわしいものか、国民哀悼の日の今後の望ましい在り方とはどのようなものか」という問いを生徒に提示します。生徒は「私には戦友がいた」の歌詞や、時代による追悼文の変遷の確認などを行ないながら、問いについて歴史的考察を交えて議論を戦わせていました。
我々は様々な意図を含んだ歴史・歴史観に晒されながら実社会の中で生きています。この授業では、歴史の意図的利用が社会にあふれており、自らもその影響を受けている当事者であることを生徒に気づかせ、それに自分がどう向き合うのか考えさせる構成になっています。このような学びは、まさに生徒にとって「自分事」の歴史の学びに他ならないと思います。
(ドイツ,アイフェンドルフ ギムナジウム,2019年12月)
「自分事」の歴史授業には他にも、様々な有り様があります。現在は、歴史的エンパシーに基づいた授業、生徒自身の直面する社会的問題状況(例えば、SDGsとして提示された問題など)を歴史的視点から探究させる授業など、いくつかの類型を考えています。研究成果を日本の歴史教育関係者と共有し、歴史授業の革新に寄与できればと思っています。
(カナダ,ウォーターダウン・ディストリクト高校,R.フロスマン先生の授業風景,2019年9月)
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