文学部遠藤不比人
英国を中心とした19世紀ヨーロッパ文化は、現代の様々な価値観を良くも悪くも決定しました。その価値観の中には「人間」とは何か?というような本質的なものもあります。神への信仰が希薄になったこの時代において、「人間」こそが、世界(あるいは宇宙)の中心であるという観念が生まれ、人の心の中を研究する心理学が学問の中心となりました。個人の主観が非常に重要視される時代になったのです。それと並行して発展したのが近代文学(特に小説)でした。このジャンルは同時代の心理学と同様に、人の心の中を描くことに熱心でした。この両者において共通するのは、人間は世界を支配するのと同様に、自分の心も理解し、支配し、管理ができるという大きな自信でした。
ヨーロッパ人が抱いたこのような大きな自信は、第一次世界大戦によって根本的に打ち砕かれてしまいました。人は自分の心の中の攻撃性を制御できない、この事実に多くの人たちが激しい衝撃を受けたのです。この中で注目を集めたのが精神分析です。ウィーンのユダヤ人の医者であったジークムント・フロイトが創始したこの心理学は、人を真に支配するのは「無意識」であると提唱しました。つまり、人間は自分で知り得ない自分の心(無意識)によって支配されているという視点が提出されたわけです。その意味で精神分析は、近代の人間観と心理学を支えていた楽観的な考えを否定する、ラディカルな「反心理学」であったと言えるでしょう。
第一次世界大戦後、精神分析と同時に、近代の楽観的な人間観を否定した一連の作家たちの作品を「モダニズム文学」と呼びます。英国文学では、ヴァージニア・ウルフ、D・H・ロレンス、T・S・エリオットなどが代表的です。この作家や詩人たちは、人間の本質についての19世紀的な楽観性を根底から疑いながら、人間の心の持つ「暗黒」ともいうべき要素を徹底的に描きました。心理学は科学として、人の心を客観的なデータを使用し、研究し、理解することができるという前提から出発します。その楽観性へのラディカルな批判が精神分析でありモダニズム文学ということになります。不幸なことに、人類が戦争をし続けることをいまだやめることができない21世紀に生きる私たちにとって、彼らの思想が意味するところを国内外の研究者と共に考察することが、現在の私の仕事の中心となっています。
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