研究

経済学部鴨野洋一郎

ルネサンス期に活動したフィレンツェ商人に関する研究

「花の都」の実業家たち

イタリア中部のトスカーナ地方にあるフィレンツェでは14から16世紀にかけてルネサンス文化が花開きましたが、この文化を経済的に支えていたのはイタリア語で「ウォーミニ・ダッファーリ(uomini d’affari)」と呼ばれる都市の実業家でした。彼らは数人でお金を持ち寄って「コンパニーア」という会社を設立し、上質な布をつくったり、商品を買い付けて遠い場所で売ったり、外国の商人にお金を貸したり、といったさまざまな活動を展開しました。「コンパニーア」は「カンパニー」の語源となり、彼らが取引を記録するために使った複式簿記の技術は今日も企業などの会計で広く取り入れられています。芸術のみならず経済の分野でも、フィレンツェが後世に与えた影響は小さくないのです。

図1:大聖堂頂上からのフィレンツェの街並み

フィレンツェとオスマン帝国

ルネサンス期フィレンツェの実業家は活動の詳細を帳簿に記録しましたが、それらの多くは今日もフィレンツェ内外の古文書館で保存されています。私はこれまでそうした帳簿を丁寧に調査し、彼らのビジネスに少しずつ光を当ててきました。その際とくに注目してきたのはフィレンツェがオスマン帝国との間で行った貿易です。15世紀半ばから16世紀半ばまでつづくこの貿易は、フィレンツェで織物をつくりそれをトルコで販売もする「貿易する織元」という興味深い家系を生み出します。「貿易する織元」は、近代的な「分業」とは異なり、いろいろな部門が一つの家系を軸に有機的に結びついていた当時のビジネスのあり方をよく物語っています。

図2:ガラタ塔から眺めるトルコのイスタンブル。手前のガラタ地区にはイタリアの商人が多く住んでいた。

日本にあるフィレンツェ商人の帳簿

「貿易する織元」の一例として、毛織物の製造とトルコでの販売をともに行ったメディチ家の分家(「ジョヴェンコの家系」)があります。この分家が残した膨大な記録はアメリカのハーヴァード大学に所蔵されていますが、1冊の帳簿が一橋大学の社会科学古典資料センターに保管されています。私はこの帳簿を解読し、これがフランチェスコ・デ・メディチという人物によってトルコで自分の取引を記録するためにつけられた帳簿だと突き止めました。トルコでつけられた帳簿は数えるほどしか残っていませんが、そのうちの1冊が日本にあったのです。今後はアメリカにある史料も調査し、「ジョヴェンコの家系」のビジネスをさらに解明していこうと思っています。

図3:フランチェスコ・デ・メディチの帳簿の一部。ここにはトルコでの毛織物販売について記録されている。

Profile

経済学部

鴨野洋一郎

専門分野
西洋経済史
担当授業
西洋経済史A・B、地域経済史、比較経済史、上級ゼミナールⅠ・Ⅱなど

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