研究

文学部嶺崎寛子

イスラームとジェンダーに関する文化人類学的研究

 何かを心から信じること、何かに絶対的に帰依することに、馴染みがなく育ってきた人が、日本には多いのではないでしょうか。神の存在を当たり前に思い、神とともに生きている人の感覚や感性を、実感しがたいと感じる人もいるでしょう。特にテロと結び付けて語られがちなイスラームを、縁遠いと思う方は多いかもしれません。
 …こんなに豊かで面白いのに、もったいない!


異文化と自文化の往還―文化人類学の挑戦

 毎日5回の礼拝、ラマダン月の断食とラマダン月の夜のタラウィー礼拝(と断食月の特別なスイーツ)、ラマダン明けと巡礼後に行われる二大祭、預言者生誕祭などの聖者たちの生誕祭、出生祝い、割礼、結婚式、葬儀…。ムスリムの日々の暮らしはイスラームに様々に彩られています。日々のなかでイスラームは実践され、生きられ、それによって構築され、再生産されていきます。
 例えばラマダンは、日本人には苦行のように思われがちです。しかしエジプトのムスリムは、神からの報奨が普段よりはるかに多い、いわば「宗教的ボーナス月間」であるラマダンをとても楽しみにし、待ち望み、親族と会食し、大いに楽しみます。ラマダンは信仰を新たにし、神様への負債をリセットできる、ぴかぴかの、特別なハレの日なのです。
 「主体的な女性であり、かつムスリムであることは、当事者にとってどういうことか」が、私がずっと向き合ってきた研究上の問いです。それを知るために、現地に長期滞在し、現地の人々の言葉を話し、現地の人と暮らしながら調査する文化人類学はうってつけでした。ムスリムの信仰のありようや、そこにジェンダーがどのように作用しているのかを、私は主にエジプトと、英領インドで起こったスンナ派の少数派、アフマディーヤ教団を事例に研究してきました。それは歴史や移動、環境などによって変化する価値観や文化をめぐる、グローバルな、わくわくする旅でもあります。他者の文化を知り、それを鏡として自文化をはじめとする自分の「あたりまえ」を問い直し、新たな視座を拓くことを目指して旅をしています。旅の目的は、他者と新たな、豊かな関係性を取り結ぶこと。
 エジプトの女性たちのイスラーム法に関する法識字とイスラーム言説の利用との関連、結婚、離婚の悲喜こもごも、ジェンダー暴力の行使をできるだけ忌避しようと人々がどのように努力をするか、親族との関係調整の方法、子育てや介護などのケア労働と性別役割分業、ムスリムにとっての「男女平等」…テーマは多岐に渡ります。いつでも、当事者の関心に沿って、当事者の視点で考える姿勢を何より大事にしてきました。異文化は学びに満ちていて、本当に楽しい! 交渉事はエジプトで鍛えられて、ずいぶんとうまくなりました。

      *出生七日目のお祝いで着飾る妹を見守る2歳の兄。エジプト。


国境を超える―アフマディーヤ教団

 日本にはすでに数十万の、母語も民族も出身地も信仰心も実にバラエティに富む、多様なムスリムが住んでいます。日本生まれのムスリムにとって当然ながら日本は「ホーム」です。マイノリティーとして世界各地に住む少数派のムスリム、アフマディーヤも日本に住んでいます。彼らの研究を始めたのは、彼らと日本で偶然出会ったからです。しかも東日本大震災の被災地、石巻経由で! アフマディーヤ教団が母体のヒューマニティー・ファーストというNGOが、被災した私のオジがいた石巻の避難所に来て、カレーを炊き出してくれたという数奇な縁がきっかけでした。
 本国での迫害を理由に、日本や英、独などの先進国に移住したマイノリティ・ムスリムとしての彼らの経験――信仰の次世代再生産やアイデンティティの維持をめぐる苦闘、移民ならではの苦労や親子の葛藤、ジェンダー化された移民経験、結婚戦略や日本での埋葬上の困難(ムスリムは土葬)、国際宗教NGOとしての日本社会への貢献――は、実に示唆に富んでいます。それは私にとっては、日本社会への同化ではなく、共生を志向する彼ら/彼女らの側から、日本社会を覗き見る経験でした。
 それは、私たちが誰をどのようにまなざしてきたか、そしてそこにジェンダーがどのように書き込まれているのか、を知るための旅だったような気がします。国際移動して先進国でマイノリティーとして暮らすムスリムたちの、多様でかけがえのない経験の意味を、混じり合い融合する、あるいはサラダボウルのように共存する異文化と自文化を往還しながら、日々、考えています。
 2024年2月に『日本に暮らすムスリム』という本を出しました(長沢栄治監修、嶺崎寛子編『日本に暮らすムスリム(イスラーム・ジェンダー・スタディーズ7巻)』明石書店)。日本に暮らすムスリムのリアルに興味がある方は、ぜひ手に取ってみてください。

Profile

文学部

嶺崎寛子

専門分野
文化人類学、ジェンダー学
担当授業
民族文化論、フィールドワーク論、人権とジェンダー、文化人類学特講Ⅰ

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