法学部宮島和也
中国語(漢語)がいつから文字によって記録されるようになったのかー即ち漢字がいつ誕生したのかーは未だ不明な点が多いですが、少なくとも殷代後期(紀元前13世紀頃)の甲骨文字(主に殷王室の占いに用いられた、亀の甲羅や動物の骨に刻まれた文字)は、漢字の直接の祖先であると言うことができます。この甲骨文字をはじめ、青銅器の銘文(金文)、竹簡・木簡(竹や木の札)に記された文字など、中国大陸では古代中国の言葉や文字の実態をうかがい知ることのできる資料が大量に発見されています。私はこうした出土資料を活用し、古代中国の言葉や文字の歴史的な変化や地域的な差異について、特に戦国時代から秦・漢時代(紀元前5世紀中頃〜3世紀頃)を中心に研究を行っています。 戦国時代(紀元前5世紀中頃〜紀元前221年)には文字を使う人々や文字が用いられる場面・用途が拡大し、様々な内容が文字によって記されるようになりました。また"戦国の七雄"と呼ばれるような大国が分立したこの時代には、漢字は地域ごとに独自の発展を遂げました。近年の研究によって、当時は文字の形が地域ごとに異なっていただけでなく、文字と語の対応関係(用字法)の違いが大きかったことも明らかになってきています。例えば、一人称代名詞の〈吾〉という語を表記するのに、南方の楚では「古代中国の言葉と文字
写真1:河南省安陽市・殷墟にて戦国時代の多様な文字世界
」という文字を、東方の斉や中原(黄河中下流域)の国々では「
」を、西方の秦では「吾」を使っていました(現在「吾」を使うのはこの秦の用字法を受け継いでいるためです)。こうした地域的な差異の実態、そしてそれがどのようなメカニズムで、どういったプロセスを経て形成されたのかを明らかにすることによって、漢字や中国語の歴史をより精緻に復元することができるだけでなく、広く言語や文字一般に関する研究にも貢献できるのではないかと考えています。
写真2:出土資料に関する国際シンポジウムも活発に開催されている(2018年8月、広州・中山大学にて)
古代中国で生まれた漢字は。もともと漢語を表記するための文字でしたが、後に日本を含む東アジア各地に広まり、その文化に大きな影響を与えました。古代中国というと遠い世界のような気がしますが、現在でも日本語では漢字と漢字から派生した仮名を使用し、また「成蹊」が前漢時代の司馬遷の著した『史記』に由来するように、古代中国の言葉や文字は我々にとって意外と身近な存在です。こうした現在にまで繋がる漢字文化の源流を探ることは、現代の日本に生きる我々にとっても意義あることではないかと思います。
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