Highlights

Highlights

社会のために汗を流す。そこに、生きた学びがある。

2016年01月20日

Interview

main04.jpg

野村 明祥 さん

(法学部法律学科3年)


成蹊の建学の精神のひとつに「勤労の実践」があります。
東日本大震災後のボランティア活動を継続的に行っている野村さんに、活動を通して学んだことや成蹊大学の支援体制について話を聞きました。


intv04_pic01.jpg

ー 野村さんがボランティア活動を始めたきっかけについて教えてください。

野村 もともと私は高校では理数科で、ロボット製作にのめり込んでいました。高校1年生の時にロボットの全国大会で優勝し、2年生の時も連覇を目指して準備に没頭していました。けれどもその大会の開催日が2011年3月11日。あの東日本大震災が起こり中止になってしまったんです。多くの時間をかけ、全力を尽くしてがんばっていた私は、なんだか急に自分の未来が断たれてしまったような気がして2~3日放心状態になってしまいました。しかし、被災地では多くの方々が命を奪われ、助かった方々も大変な思いをしている。私の悔しさや悲しさなんてそれに比べたらちっぽけなことと気づき、被災者の方々のために何かできることはないかと思ったのです。私は高校で生徒会活動をしていましたが、そのメンバーと一緒に、福島県の農作物を取り寄せ学園祭で販売する活動をしました。多くの方が買ってくださり、ほぼ完売できたのがうれしかったです。

大学でのボランティア活動は、1年生の時に受講した成蹊教養カリキュラムの授業がきっかけになっています。その授業で、武蔵野市を拠点に東北の復興支援を行う「武蔵野まごころ連」という団体の方が講義を行ってくださいました。高校の時の活動から3年ほど経っていたので、被災地も落ち着いているだろうと勝手に思っていましたが、お話を聞いて実はまったくそうではないということが分かりました。再び何かの形で貢献したいと強く思い、荒れ地の整備を手伝ったり、現地の小学校で子供たちに勉強を教えたり。また、現地の農家ではやはり人手が足りなくなっている。そこで農業支援として、イチゴ農家、ネギ農家、キュウリ農家など、さまざまな所に出向いて農作業をお手伝いしました。

intv04_pic02.png
現地での活動の様子

ー そうした活動は今も続けられているんですか。

野村 実は、私は今「武蔵野まごころ連」の三代目の代表を務めさせていただいています。私たちのスローガンは「続けよう、伝えたい、忘れまい」というもので、この団体はそもそもこうした考えに賛同した有志の集まりなんです。一度きりの支援なら誰でもできる。支援を続けることが重要だし、被災地の方々もそれを求めている。これが「続けよう」。「伝えたい」というのは、向こうに行くだけじゃなく、向こうで得たことをこちらでも広めていくこと。「忘れまい」は言うまでもありません。ですから先ほどお話ししたような農業支援だけでなく、現地の物産品を大学で、さらには吉祥寺の商店街で販売するお手伝いや、被災地の様子を伝えるパネル展を実施したりしています。

intv04_pic03.jpg

ー ボランティア活動で大変に思うことはありますか。

野村 「武蔵野まごころ連」のメンバーは今30名を超えていますが、ほとんどが社会人の方です。仕事を持ちながら活動されていらっしゃるので、定例会などにも人が集まりにくい。「続けよう」の思いを今後どうつなげていくかが課題です。あとは、現地での活動へ周りの友人を誘うと、放射線の影響のことなどを心配して難色を示すご家族が多く、難しさを感じています。これはもちろん各々の考えがありますので、仕方がないことですけれど。
農作業自体に関しては特に苦労とは思いません。夏はビニールハウス内が50℃にもなり、さすがに暑いですが(笑)。

ー これまでの活動を通して得たもの、自分の成長につながったことは何ですか。

野村 現地の方とコミュニケーションする際に、今「被災者」という言葉が問題になっています。「私たち被災者のためにありがとう」と言う方がいらっしゃる一方で、「もう私たちは被災者じゃない、立ち直っているんだ」と言う方もいらっしゃる。支援することがこちらの都合、押し付けになってはいけない。相手の立場、相手の気持ちにしっかり思いを馳せ、相手の本当のニーズをつかむことが大切だとつくづく感じました。

また、「ボランティアと言って肩肘を張らず、楽しむために気軽に来て欲しい」と言う方もいらっしゃいます。私は昔から、どうも物事を真面目に硬く考えすぎてしまう傾向があるんです。ひと言で言うと、頑固。現地での触れ合いのひとつひとつから、もっと柔軟になろう、いろんな考え方を受け入れ、いろんな考え方ができるようになろう、そう思うようになり、自分を成長させる良いきっかけをいただきました。

現地だけでなく、共に活動するメンバーからも多くのことを学んでいます。例えば、大学に講義に来てくださった初代代表の方は、70歳近いのに未だに被災地を駆け回り、復興住宅のための材木運びといった重労働をされている。その行動力にも感動しますが、続けていくことで相手の心が開き、より深くつながっていく素晴らしさを、その背中から学んでいます。

また、たくさんの大人に交じって活動する中で、社会でのコミュニケーションのあり方など、学生同士の世界では分からないことが身についてきているような気がします。

intv04_pic04.jpg

ー 成蹊大学ではボランティア活動に取り組む学生は多いんですか。

野村 はい。ボランティアサークルだけではなく、個人で動いている学生も多いです。カンボジアなど海外で教育のボランティアをしている学生。東北で活動して帰った後、今度は都市部の防災に貢献しようという学生。それぞれがいろんな分野、さまざまな形で活動しています。私はこうした学生たちともっと交流や連携ができたらいいなと考えていまして、最近、成蹊大学の「ボランティア支援センター」で知り合った仲間と新しいプロジェクトを立ち上げようとしています。さらには大学間での連携も推進できるといいなと思っています。

ー 今お話に出てきた成蹊大学のボランティア支援センター。ここはどんなことをしているんですか。

野村 どんなボランティアをしたいかという希望を伝えると、支援を必要としている所とマッチングしてくれます。また、常駐のコーディネーターの方にいろいろ相談にのってもらうこともできますし、ミーティングや交流の場としても活用できます。ここに来ることで、新しい出会いが生まれ、新しい活動が生まれてくる。私もよく利用しますが、ボランティア活動に少しでも興味があれば気軽に訪れてみて欲しいです。

ー これから先、野村さんはボランティア活動とどう関わっていくお考えですか。

野村 私にとってボランティア活動とは、奉仕というよりもライフワークのようなもの。使命のようなものでもあるし、好きで続けているものでもあります。社会に出ても、そこで身につけた新しいスキルやノウハウ、ネットワークを生かしながら何らかの形で活動していきたい。そして、これは夢なんですが、自分で学校を作りたいと思っています。それも、生徒と共に全国を移動する学校。私は活動を通して知らない土地に行き、自分の目で見て、自分で触れて、多くのことを学んでいます。そして、何事も先入観で判断するのではなく、自分で体験することの大切さを痛感しています。こうした実体験をベースにした学校があればいいなと思いまして。

intv04_pic05.jpg

ー 面白いアイディアですね。成蹊大学も実践的な教育を大切にしている学校のように思います。

野村 そうですね。学生がこんなことをやりたいんだと思った時に、目的や計画がしっかりしていれば、積極的にサポートしてくれる大学です。学生の主体性を大切にしてくれ、やる気があれば自分のビジョンを現実化できる大学なんです。私も成蹊大学のさまざまな制度や施設を活用しながら、今後も色々な活動にチャレンジしていこうと思っています。

ー 明日は早朝からまた東北に行かれると聞いています。気をつけて。本日はどうもありがとうございました。

intv04_pic06.jpg
  • このコンテンツはYOMIURI ONLINEに公開された内容を再編集したものです。コンテンツ内容や、学生の在籍学部学科名、在籍年次、教員の役職等の情報は2015年度公開時のものとなります。